Jリーグのピッチに立てなかった本当の理由⑧


失敗と後悔!嗚呼、俺様のサッカー人生


登場人物
僕=筆者。光明台JSC-ガンバ大阪堺ジュニアユース-ガンバ大阪ジュニアユース-ガンバ大阪ユース-関西大学体育会サッカー部。16年間のサッカーキャリア。現役引退後は毎日サッカービジネスを妄想中。

シマ。早熟スピードスター。悩めるサッカーモンスターのイケメン純粋ボーイ。得意のプルアウェイでキーイチ名人。

えも。絶対敵にしたくない男No.1。やんちゃの度合いが想定外で、典型的な大阪人。ファッションモンスターかつ恋愛マスター。

あらた。NEWJIファウンダー。ガンバ大阪、京都サンガ、清水エスパルス、セレッソ大阪、大分トリニータで活躍。清水エスパルス時代はキャプテンマークをつけて試合に出場していた。現在はガンバ大阪の指導者として活躍。

すぐる。SGGK(スーパーグレートゴールキーパー)で、ジュニアからずっとガンバ大阪で育ち、プロ生活はガンバ大阪、FC岐阜、徳島ヴォルティス、奈良クラブ、バンディオンセ加古川、高砂ミネイロFCでゴールマウスを守り続けている。


前回までのストーリー

序章(少年期①)~サッカーの楽しみを知る~
序章(少年期②)~サッカー以外はワクワクできない~
序章(少年期③)~ただ今成長中、むしろピークを迎えたか~
序章(少年期④)~サッカーは何が起こるかわからない~
序章(少年期⑤)~全日本少年サッカー大会全国大会~
第一章(青年期①)~知る人ぞ知る、南大阪の強豪ガンバ堺~
第一章(青年期②)~エリート集団はプライドの塊~


第一章(青年期③)~三島から全国へ~


三島トレセン最強チーム


現在のナショナルトレセンであるトレセン制度は僕が小学生の時から存在していた。小学生の時には、大阪トレセンだけでなく、その上の関西トレセンのメンバーにも選ばれたが、全国大会があったかどうかは記憶にない。



出典:http://www.jfa.jp


中学生に上がっても継続してトレセン制度があり、このカテゴリーになると地区トレセン、都道府県トレセン、地域トレセンを経て、年代別日本代表メンバーまでつながる全国大会も開催されていた。



出典:http://www.jfa.jp


大阪で分類される地区は、豊能・三島・大阪市・北河内・中河内・南河内・泉北・泉南となっており、ガンバ大阪ジュニアユースは大阪の三島地区に分類され、三島トレセンとして活動することになっていた。


日本のユース育成の中心的役割を果たしているのがこの制度であり、主に日本サッカーの強化や発展のため、将来日本代表選手となる優秀な素材を発掘し、良い環境、良い指導を与えることが目的となっている。


あくまでも「個」を高めることに重きを置いてあり、各地域で上手い選手をかき集めて、レベルの高い「個」が、自チームで楽にプレーができてしまい、ぬるま湯のような環境の中で刺激のない毎日を過ごさないようにするためでもある。


大人の事情もあるトレセン制度ではあるが、レベルの高い「個」同士を集めて良い環境、良い指導を与えること、レベルの高い者同士が互いに刺激となる状況を理想としている。


たしかに地区トレセンでは普段一緒にトレーニングをしない選手が集まることで新鮮さはあったものの、選手側の立場に立って正直な感想を言うと、普段のトレーニングは全く意味をなしていなかった。むしろ、ガンバ大阪ジュニアユースで練習をしていた方が、より内容の濃い練習ができていたように思える。


ただ、トレセンの即席チームで試合をすると、また普段とは違った感覚でサッカーと向き合うことができたのは事実である。


なぜなら、三島トレセンはガンバ大阪ジュニアユースに所属していない選手で、レベルの高い選手が集まったからだ。後にそれらの選手がガンバ大阪ユースでチームメイトとなることにはなるのだが、僕たちの三島トレセンは当時のトレセンチームとしては最強のメンバーが集まったのだった。


関西制覇を成し遂げたイレブン


当時の三島トレセンはユニフォームの袖に「薩摩の牛太」がスポンサーとなっていた。普段はガンバ大阪のトップチームと同じ青と黒のユニフォームを身にまとっていたので、オレンジのユニフォームがやけに新鮮に思えた。僕の背番号は10番。ポジションはシマと2トップを組むFWでの登録だ。


月に1〜2回あったかどうかの練習会は、吹田市立山田東中学校で行われた。単純に当時の指導者がその学校のサッカー部顧問だったからだ。


三島トレセンで参加した試合はいくつかあったと思うが、関西招待中学生サッカー選抜大会、通称ガンバカップが1番記憶に残っている。


今思えばなぜだか分からないが、周りの参加チームはほとんどが都道府県トレセン。その中で、なぜか大阪は三島トレセンが地区トレセンで参加して、三島トレセンを除いた大阪トレセンも参加していたように思う。大阪の予選を勝ち上がったのか、開催地域枠として参加したのかは分からない。


三島トレセンのメンバーの多数がガンバ大阪ジュニアユース所属であったことはさて置き、この年代から既にJクラブアカデミーが活動地域周辺でプレーする高いレベルの選手をかき集めていたのは否めない。今はクラブによっては寮も完備されているので、県外の選手まで範囲を広げており、最もJクラブアカデミーの存在は大きくなる一方だ。


肝心の大会の結果はどうだったかと言うと、もちろん都道府県トレセンを全て撃破して、関西の頂点に上り詰めた。おかげさまで、三島トレセンから大阪トレセンへ選出されるメンバーが非常に多かった。


どんなカテゴリーであろうが、サラブレットが揃えば勝てる確率は高くなる。
名騎手より名馬。如何にして名馬になり、名騎手に選んでもらうかが重要である。


関西一、ヘタレな存在


三島トレセンで関西を制してから、大阪トレセンで顔を合わすメンバーもほとんどが三島トレセンの中心であった。と言うことは、つまりはガンバ大阪ジュニアユースのメンバーが中心であったが、他にもセレッソ大阪ジュニアユースやガンバ堺ジュニアユース、その他中体連に所属している精鋭が集まっていた。


残念なことに中学時代の大阪トレセンの活動は全く覚えていない。僕の記憶からは抜けてしまっているようだ。指導者が誰であったか、練習会があったのか、そもそもどうやって関西トレセンに選出されたのかさえも思い出すことができない。


記憶力なんて人によって大きなバラツキがあるが、当時の様子を思い出せないようでは大阪トレセンでの活動が自分の身になっていたのかさえも分からない。おそらくそれは周りにいた選手が三島トレセンでも大阪トレセンでも関西トレセンでも、ガンバ大阪ジュニアユースのメンバーであったため、いつの記憶がどのチームの記憶なのか混乱してるに違いない。そう思うことで正当化することにしよう。


唯一記憶に残っているのは2つの事件。1つ目の事件はどのチームで対戦したのかはわからないが、トレセンメンバーで戦った当時のガンバ大阪ユースとのトレーニングマッチだ。高槻市立第四中学校で行われたこのトレーニングマッチはあまりにも衝撃過ぎてかなり印象に残っている。


当時のガンバ大阪ユースには、新井場徹や橋本英郎らをはじめ、ゴールデン世代の憧れの先輩たちがプレーしていて、もちろん結果は散々であったのだが、試合内容はさらにひどかったからだ。全くと言っていいほどボールに触れない。触れないどころか、自陣のペナルティエリア内でワンタッチでボールを回され続けゴールを奪われるという屈辱的な失点を繰り返した。


ガンバ大阪ユースの指導者はトレーニングマッチでそのような課題をよく選手に与える。自分自身もジュニアユースからユースに上がった場合、そんな華麗なプレーが出来るのか不安になったことを今でも覚えている。当時のガンバ大阪ユースもまた僕にとっては最強すぎたのだ。


もう1つの事件は、関西トレセン候補として選出された他府県を含む選手らと、滋賀県立守山北高等学校で行われた強化合宿だ。この合宿では高校生と試合をしたりして、関西トレセンとして全国大会へ出場する最終メンバーの選考会も兼ねていた。


夜になると指導者は指導者同士の戦いがある。夜な夜な街へ繰り出し夜遅くまで飲み会が始まるのである。次の日に酒臭い指導者も現れるが、そこはサッカー界での生き残りをかけた戦いでもある。しかし、選手たちがそんな指導者の言うことを真に受けるとは思えない。


高校には二階建ての宿舎があり、二階の大広間でみなと色んな話をした。昼間の疲れを労うかのようにサッカーの話に没頭かと思いきや、所詮僕たちは中学生だったので、今後のサッカー人生を左右するかもしれない大事な選考会でも、いつも通り大阪で馴染みあるメンバーが中心となり、悪ふざけやアホなことをして盛り上がっていた。その中心がやはりガンバ大阪ジュニアユースであったのは言うまでもない。


夜も10時頃になると消灯の時間となり、真面目に布団に入る選手や、漫画を読む選手、小声で話しをしている選手、枕投げの犯人を探している選手、そして僕とえもは宿舎の外にある自動販売機の前で、たむろっていた4、5人のヤンキーたちを眺めて、閉まっているガラスをバンバン叩いては、ヤンキーたちをからかいはじめた。


高校生と思われるヤンキーたちも上を見上げて挑発の震源地がどこであるかに気づき、僕たちに向かって何かを叫んでいる。ガラス越しだったので完全に何を言っているかは分からなかったが、明らかに怒っている様子だった。


そして、他の選手たちも何事かと窓の外を見て、ヤンキーたちを見つけてはガラス越しに笑いはじめた。相手にするなとカーテンを閉める選手、そしてまだヤンキーを見たい選手がカーテンを開け、その行為が結果的にヤンキーたちをさらに挑発することになった。


ヤンキーたちがその場を立ち去ったので、それぞれがまた自分の時間を過ごすようになった時、静寂の中響き渡った大きな音に皆が一瞬怯んだ。中には「うそやん」「ほんまヤバイ」と慌て始める選手や、押入れの中に逃げ込む選手がいた。宿舎の鍵は外出禁止のため施錠されていた。ただ、明らかに大きな音はその施錠を誰かが突破した音だったからだ。


僕もその誰かがなんとなく想像できたので、慌てて自分の布団に入り全身を隠してすぐに寝たフリをし始め布団の中から二階の入り口を覗いていた。


想像通り、先ほどまで自動販売機前でたむろっていたヤンキーたちが土足のまま二階の大広間の入り口に現れた。


「おらぁ〜!さっきから調子こいとるアホはどいつやねん、出てこんかい!」大きな怒声が鳴り響く宿舎で、当然ながら手を挙げる選手はいない。それでもヤンキーたちは事の発端となる震源地を探している。


なんと布団の中で様子を見ていた僕の方へ向かってくるヤンキーの1人が、なんと僕の布団をバサっとめくったのであった。チキンの僕は完全に寝たふりをして、えっ、何があったのと言う目でヤンキーを見た。


すると勇気あるどちらかと言うと優等生タイプの選手の1人が、「何してるんですか!やめてください」とヤンキーの前に立ちはだかった。するとヤンキーもそんな紳士に腹を立て、彼を突き飛ばした。それをキッカケにケンカとプライドと仲間意識の非常に高い関西トレセン候補メンバー数人が、ヤンキーに対して立ちはだかるのを見ていたチキンの僕は、どちらがヤンキーか分からなくなってしまっていた。


取っ組み合いのケンカになる前に、優等生選手がヤンキーと選手の間に入り争いを沈静化しようと必死であった。ヤンキーたちも人数で勝てない、中学生でも180cm以上もある選手を見の前に少し怯んだようで、事なきを経て帰っていった。


後から震源地であるチキンの僕を見て爆笑する選手や、お前が出てこいやと罵る選手もいた。僕はそんな選手を見て爆笑、腹を抱えて笑いが止まらなかった。


サッカー仲間には、色んなタイプの人間がいる。
決して周りに流されないで、自分の夢を一番に真剣に考えるべきである。
そして、誰よりもストイックにサッカーを愛し楽しむ選手こそがナンバーワンになれる。

トレセン制度で得た本当に大切なもの


東京の各地で8地域(北海道・東北選抜、関東選抜、北信越・中部選抜、東海選抜、関西選抜、中国・四国選抜、九州選抜、東京選抜:現在は異なる)に分けられた選抜チームが、地域別トレセンの代表として全国大会に参加した。


関西選抜のメンバーも大会の規定通り16名が代表選手として選出され、その内9名が大阪トレセン、内8名が三島トレセン、内5名がガンバ大阪ジュニアユースの選手であった。ちなみにこのメンバーの8名が後にガンバ大阪ユースでチームメイトとなる。


大会は各地域選抜チームが2つに分けられリーグ戦を行い、ABのブロック別に同順位同士が最後に戦い、総合順位を決めると言う方式だった気がする。


関西選抜のメンバーには普段からガンバ大阪ジュニアユースで一緒にプレーしている、すぐるやシマ、えももいた。僕の関西選抜での背番号は三島トレセンと同じく10番で大会に臨んだ。


順位等は全く記憶にはないが、すぐるとあらた、そして僕が関西から優秀選手として選出され、大会の最後に優秀選手だけでチームが構成された東西対抗戦が行われた。


全くと入っていいほど自分自身のプレーに満足できずアピールができなかったのだが、1990年から発行されている公益財団法人日本サッカー協会機関誌であるJFA newsの大会レビューには、僕のプレー写真が載せられた。東西対抗戦の即席チームの背番号はその写真を見る限り14番をつけていたようだ。


大会を通じて関西選抜のメンバーと仲良くなった。今でも一部のチームメイトとは連絡を取り合う仲ではあるが、選抜チームとして出会った仲間も大事なサッカー仲間には違いない。


それぞれ個人が抱えているサッカーの課題はあったが、切磋琢磨しあって1つでも上のカテゴリでサッカーすることを目指し、どんな大会でも全力を出して挑むことが楽しかった。


全国に目を向けると、とても同年代とは思えないぐらい上手い選手やでかい選手、自分の実力が今時点でどの程度のレベルであるのかが分かる。


また、この時期はプレースタイルも自分でコロコロ変えることができるのだが、選抜チームで自分のこれまでのプレー領域を超えたことにもチャレンジできる。


とにかくサッカーに夢中になっている仲間と同じフィールドで戦えたことは、自分のサッカー人生だけに留まらず、人生そのものに大きな影響と成長する機会を与えてくれた。


そして、もっともっとサッカーが上手くなりたいと言う願望が芽生え、大会後の練習にも熱が入り、自分自身の成長を感じることができたと思う。


トレセンは練習が楽しくないこともある。所属チームよりレベルが低いこともある。指導者を信じられない時もある。
しかし、属していればそれだけの新しい仲間が増え、人生が面白くなる。

Share on FacebookTweet about this on Twitter

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です