日本では独自のサッカー文化が生まれ、一部のコアサポーターにはとても追いつけない存在と化しているのではないか、そう考えてしまう今日この頃です。
国内海外問わず、コアサポーターは毎試合ホームでもアウェイでも、ひたすら贔屓のクラブの勝利を求めて応援しています。
理由がどうであれ、国内であればJリーグを観に行く人が増えることは、サッカー界にとって非常にいいことだと感じています。
日本独自のクラブ愛を持つコアサポーターについて、イタリアのコアサポーターと比較した時、何が独特なのかを考えたいと思います。
なぜそこまで必死で応援ができるのか
年間パスポートを購入する方は、どちらかと言うとコアなサポーターに分類されるのではないかと思っています。
毎試合ホームでは、おきまりの席で応援をし、勝利の喜びと敗北の悔しさを仲間と分かち合う。
敗北した日には涙を流し、ゴール裏に来た選手を労い、時に激しく愛ある罵声を浴びせることもある。
逆に勝利した日には、自分も90分間一緒に闘って得た勝利の味を、体全体で表現し選手やクラブを次の試合も勝利へ導くよう更に鼓舞する。
彼ら彼女らはなぜそこまでクラブ(または選手)と親身一体となり、応援することができるのか。
サッカーをプレーして16年、サッカーのことを考えて27年、私はこれまで33年間の人生で、コアサポーターの生息する領域へ片足が浸かりそうになったことさえありません。
だから、なぜそこまで人生を捧げるほど(クラブが人生と言うコアサポーターは多い)応援ができるのか不思議でたまりません。
Jリーグの女子マネージャーである佐藤美希さんが、特定クラブを贔屓したような発言をしたとして、Twitterで炎上した一件、そこにこだわるコアサポーターの気持ちを理解できない自分はまだまだサポーターとも呼べないのでしょう。
確かに、今は特定クラブを応援していないので、まずは応援するクラブを決めることがJリーグの楽しさを感じさせてくれるのでしょうか。
イタリアで出会ったコアサポーター
幼い頃に見たキャプテン翼の岬太郎に憧れて、18歳でフランスへ行ったついでにイタリアでセリエAを観戦したことを記事にしました。
但し、イタリアで体験したコアな体験話を過去記事ではしていなかったので、ここでしたいと思います。
サッカーを観ただけでは終わらなかったイタリアの旅。18歳でイタリアサッカー文化を生体験したお話です。
旅行の目的は大きく分けて3つありました。
①セリエA観戦
②日本にないスパイクを買う
③観光
イタリアのセリエAがまだ世界最高峰と呼ばれた2001年1月、フランスのパリからイタリアはローマへ飛び立ちました。
与えられた時間は4日間。
イタリアへは旅行会社のツアーで参加しましたが、ツアーの中身は空港とホテルの送迎のみで、後は自由時間でした。
ホテルでツアーコンダクターから受けた注意は絶対に一人で夜道を歩かないようにして欲しいとのこと。
観光客がよくスリや暴行などの被害に遭い、夜の治安がかなり悪かったのようなので、こちらも万全の体制でローマを楽しむことにしました。
手持ちのお金を全てパッチの中に隠して、観光者と悟られぬよう地図は出来るだけ小さく折った状態で上着のポケットに隠して歩いていました。
サッカー観戦は3日目であったため、初日はできるだけ多くの観光名所を回ろうと、朝8時にはホテルを出ていました。スペイン階段やトレビの泉、そして真実の口やコロッセオを歩き回りました。
当時はまだインスタントカメラであったため、名所に無理矢理自撮りした精度はかなり低かったことは、後に現像する時に思い知らされました。
2日目ですが、当時日本では売っていなかったブランド名不明の「J」の文字が入ったスパイクをなんとしても購入したいということで、ホテル周辺のサッカーショップを歩き回りました。当然イタリアにはサッカーショップも多く、ホテル周辺だけでも3箇所は回れました。
しかし、肝心の求めているスパイクには出会うことができず、仕方なく「kappa」のスパイクを買うことにしました。※kappaのスパイクも当時日本にはなかったと思います。
サッカーショップ内の私は「kappa」のスパイクを見つけたのですが、イタリア語はおろそか英語も日本語の標準語も話せなかったので、イタリア人に自分に合うサイズのスパイクを出して欲しいと身振り手振りで伝えていました。
ただ、イタリア人には熱意は伝わらず、おまけにサイズの表記が日本と違っていたため、とにかく自分のサイズに合うスパイクを出してもらうまで諦めないつもりでした。
女性「そのスパイク買いたいの?」
なぬ⁉︎
店員にアホなやっちゃと思われながら、スパイクに夢中であった私の視界に、ふっと入ってきた女性が唐突に私に声をかけてきたのです。
スパイク選びにあたふたしていた私は、まさかイタリアの地で、しかもサッカーショップで、日本人の女性に声をかけられるとは思っていなかったため、驚きを隠せませんでした。
私「日本の方ですか?」
当たり前で実に不甲斐ない質問を交わし、その女性がイタリアに一ヶ月間ワーキングホリデーに来ていることを知り、神戸出身で東京育ちの27歳の人だと言うことが分かりました。
女性「通訳してあげるよ」
私は通訳を介したにも関わらず、かなり大きめサイズの「kappa」のスパイクを購入することができ、女性にありったけの感謝の意を表したのでした。
そして他愛もない会話をして、通常であれば「ほなまた日本のどこかで!」と言って去っていくつもりでしたが、またしても18歳の私に衝撃を与えてくれたのです。
女性「今晩食事でも一緒にどう?」
なんの迷いか分かりませんが、自分なりに言い訳を考えていましたが、よく考えれば本場のピザやラザニアを食べていないことに気付き、1人では本格的なイタリアンを味わえないと悟り、迷った挙句「喜んで」と答えた自分がいたのです。
時間はまだお昼前だったので、夕方頃にホテルまで迎えに来てくれることになりました。私はホテルの名前と部屋番号だけ伝えて再び観光地へ向かうことにしました。
27歳と言う年齢が、当時の私には大人過ぎるほど魅力を感じ、頭の中のキーワードとして、イタリア…食事…kappaのスパイク…デート…なんじゃこら!と、自分にツッコミを入れていたのを記憶しています。
夕方になり、女性は約束の時間通りに部屋のチャイムを鳴らしてくれました。そして、なぜか開口一番「私の部屋に寄って着替えてからでもいい?」と言ってきたのです。
私「着替えてから来たらいいのに…」
そんな言葉を発することはなく、「勿論!どうぞどうぞ」と気を遣いながら、徒歩で彼女がイタリア在籍中の住まいとするアパートへ行くことになったのです。
そこはイタリア人夫妻の部屋を間借りして、ホームステイのようでしたが、夫妻はどうやら留守らしく、女性の部屋の外で数分待たされたのち、食事に出かけることになりました。
あたりは少し暗くなってきた頃、女性は本日3度目の衝撃を私に与えてくれました。
女性「実はね、今日イタリア人の初めて会う人と食事することになって、怖いからついてきてほしいの」
いやいや、ちょっと待ちなはれと。俺は用心棒かい!と思いながら、ただ本格的なイタリアンを食べたいがために、引き続きついていくことになりました。
どこに行くかも知らされていないまま、ツアーコンダクターの話を思い出し、イタリア人との待ち合わせの場所に向かいました。
すると、待ち合わせ場所にはマルディーニやコスタクルタのようなイタリア人を想像していた私に、安堵と自信を与えてくれるような、そんなイタリア人が待っていました。
イタリアンマフィアのようファッションではなく地味な格好、顔はマルディーニのようなマフィア顔と言うよりアレシャンドレ・パトのような青年風な容姿、極め付けは私よりも背が低いことで、私は心の中で思ったのです。
私「こいつなら何かあってもギリギリ勝てそうな気がする」
地元のヤンキー校に通っていた私は、初めてサッカー以外のメリットを見いだせたような気がしました。
彼はどうやらマイカーで食事に向かうようで、一丁前に地元がローマ感を惜しみなくアピールしていたような気がしました。
車中でなぜか私が助手席に乗らされ、女性は後部座席から私にいろいろ話しかけてきたのでした。
女性「車ってどこまでいくんだろう、一人じゃなくてほんとに良かった」
そんな言葉をかまされた私は、女性に行く場所はどこか聞くように促しましたが、イタリアンの彼は「すぐ着くよ」と行き場所を明確には話しませんでした。
女性「もう30分ぐらい走ってるけど、本当に大丈夫かなぁ」
私は内心、あたりは真っ暗、市内から車で30分ほど、人気も街灯もない道に焦りを感じ始めていました。
私「大阪でいうところの心斎橋から箕面に来たようなもんなんで、多分大丈夫やと思います」
怖がる女性に対し、意味不明な安堵感を与えていた記憶があります。
車は側道に入り、辺りは真っ暗。人気がないところで車を停めたイタリア人は、「着いたよ」と言うけれど、そこにはフェンスで囲まれた不気味な一軒家がポツンとあるだけでした。
私「もしかして、今日の晩飯のおかずは俺たちの人肉?」
なんて思いがどうしても頭をよぎってしまい、彼の行動を見てさらに本格的にヤバイと思い知らされるのでした。
彼は車に搭載されているカーナビもどきのラジカセをバコンと外し、運転席のシートの下に隠したのでした。
それを見た私たちは「なんで⁉︎」と頭にクエッションマークを浮かべながら、女性に通訳してもらうと、「ここら辺は窃盗が多いから、車中に価値あるものが置いてあると、車上荒らしに遭うんだ」とのこと。
えっ、それは俺たちに恐怖感を植え付けているの?俺たちがやっぱり晩御飯のおかずなの?
まさかの出来事にリアルを植え付けた彼は、早々と足をフェンスに囲まれた一軒家へと向かって行ったのです。
そして、なんとフェンスで囲まれた一軒家に入ると、ドーベルマンとシェパードが放し飼い。ドーベルマンはイコール人を襲う犬と認識していた私は、完全に腰が抜けそうになりました。
彼はドーベルマンとシェパードを指笛で家の中に導くと、私と彼女はもう一度改めて確認するのでした。
彼女「何かあったら本当にごめん、道連れにしてごめんね」
そんな言葉を浴びせられた私は、もう日本には帰れないかもしれない、なぜツアーコンダクターの言葉を忠実に守らなかったのかと後悔を感じていました。
家の中に入ると、そこはワンフロアーで、だだっ広く何もない部屋がありました。そして、壁際に置かれたベンチには、これぞイタリアの金髪ギャルと、ボブ・マーリーを想像させるおじいさんや、ガットゥーゾのような厳つい髭兄ちゃんも居たのです。
拉致されたかも。そんな目で私を見る女性を励ますことさえできずにいた私は、これから起きることにビビりすぎて、家族の顔さえも思い出すことができませんでした。
すると、奥のキッチンらしき小部屋から、さらに大勢の人がプラスチック製の机と椅子を運び出し、遂に最後の晩餐会が始まろうとしていたのです。
出口に一番近いポジションを取った私は、ドーベルマンとシェパードの位置を確認し、いつでも逃げる態勢を整えていました。
晩餐会のキックオフのホイッスルが鳴ると、ワインやビール、それに見たこともないようなお酒が次々と我がコップに注がれ始めるのでした。
私は絶対に酔っ払ってはいけない戦いがここにはある、そう思いながらお酒を飲んでいる振りをするのが、いつバレるか内心不安で仕方ありませんでした。
そして、遂にはマリファナもテーブルを回り始め、ギャルやガットゥーゾ似の兄ちゃんが、昇天し始めたのです。
ただ、一向に私たちはをメインのおかずにすることはなかったので、彼女にこの晩餐会は何なんだ?と通訳するように頼みました。
すると、ボブ・マーリーのおじいさんが言ったのです。
ボブ「今日は無農薬野菜を愛する人の集まりだよ、このパンはあのおばあさんが作って、このスープはあのネェちゃんが作ってるんだ」
なぬ‼︎⁉︎‼︎⁉︎‼︎
と言うわけで、飛び込んだイタリア人のパーティーだったわけですが、まだ、そこがコアサポーターの聖地だったと知ることはありませんでした。
ボブ「ところで、君は何しにイタリアへ来たのだ」
唐突な質問でしたが、私は質問に言葉を詰まらせることなく、彼女の通訳を介し、ボブにこう答えました。
私「何しにきたって、セリエAを観に来たんですよ、世界のサッカーを観に来たんですよ」
ボブ「えっ、サッカー観に来たん?マジで?えっえっ、どっちなん?ローマ?ラッツィオ?」
イタリアの首都ローマには、苦しくもローマとラッツィオと言うローマに拠点を置くクラブが2つあり、ボブは私にどちらのクラブのファンなんだと強く問いかけるのでした。
私「どっちでもないけど、どちらかと言うと中田英寿のいるローマの試合を観に来ました!明日はその試合観戦です」
その言葉に、ボブはマリファナでラリったことを忘れたのか、ローマのクラブの歴史から今のクラブ事情、そしてどう言うところが見所かを、永遠と語り始めるのでした。
ボブがサッカーの話をし始めたのをキッカケに、無農薬野菜を愛する人の集まりは、一瞬にしてローマかラッツィオかどちらのサポーターなのか、話のテーマは大きく変わっていったのです。
そして、驚いたことにガットゥーゾ似の兄ちゃんはラッツィオ派で、金髪ギャルはローマ派でした。
そこからは話せないはずの英語を駆使して中田英寿の凄さを何故か私がアピールし、生粋のイタリア人たちと2時間近くサッカー談義が始まったのでした。
改めて思う。ここが日本であれば、阪神と巨人の話ならありえるが、ガンバとレッズの話でここまで盛り上がることができるのだろうか。
ましてや、ガンバとセレッソの話で無農薬野菜を愛する人の集まりをサッカーの話題で2時間も過ごせるだろうか。
イタリアには、そんなサッカー文化が根付いていました。
そして、彼女をふと見ると、完全にイタリアンと化しており、私が「そろそろ12時を過ぎるし帰ろうか」と言ったら、誘われたイタリア人の彼をおいて、ガットゥーゾ似の兄ちゃんといい感じになっているではありませんか。
彼女「今日は本当にありがとうね、タクシー呼んでもらうから無事で帰ってね」
んなアホなと思いながら、明日も朝からローマ観光を気にしてしまった私は、1人イタリアのタクシーに乗って、身振り手振りで何とかホテルに着くことができたのでした。
ホテルに着くと、一体先程までの宴は何だったのか、日本では絶対に経験できなくて、イタリアではサッカーの話題を振れさえすれば何とか生きていけそうだと感じ、無農薬野菜の会にまでサッカーが浸透しているのかと思い知らされるのでした。
イタリアのコアサポーターは、とにかく応援するクラブへの忠誠心は高く、一見何ともないボブ・マーリー風のおじいさんでさえ、応援するクラブと歩む人生を送っているのだなと言うことが体験できたのでした。
日本とイタリアを改めて比較してみる
海外クラブのコアサポーターも、もはやついていけませんが、日本は日本で独自の文化を築いています。
恐らくコアサポーターはコアサポーター同士、サッカーの試合がある日もない日もクラブへの思いを共有していると思いますが、イタリアのような文化となるには、後何年必要かは誰もわかりません。
なぜなら、日本のコアサポーターは試合の結果やサッカーの好き度はイタリア並みに高いものの、やはり日本の環境に完全に染まっていて、サッカーより優先順位の高いことがまだまだ多いと感じるからです。
ボブは、明日のローマがインテルに負けると、俺は仕事を休んでクラブに居座ると言い切っていました。
それが本当か嘘かはわかりませんが、ボブの中で完全にサッカー>仕事の図式が成り立っていたのです。
定年近いおじいさんが、なぜそこまでクラブに身を投じることができるのかは分かりませんでしたが、それがイタリアと日本のサッカー文化の違いであり、コアサポーターの違いであるように思いました。
少なくとも仕事を休んでACLのアウェイ試合へ応援するコアサポーターも日本にはいるのが事実です。
クラブはこうしたコアサポーターの裾野を広げるマーケティングを強化すべきでしょう。
まずは、親会社からの脱却が大きな第一歩となるかもしれません。