山見大登という物語――「ワンポイント」から、チームの軸へ
1999年8月16日、大阪府豊中市。
せんりひじり幼稚園の園庭で、まだ自分の身体よりも大きく感じたサッカーボールを追いかけていた少年がいた。
その少年こそ、いま東京ヴェルディでプレーする山見大登である。
千里ひじりSCで本格的にサッカーを始め、千里丘FC、豊中市立第八中学校、大阪学院大学高等学校へと歩みを進める。
突出したフィジカルや派手な経歴がなくとも、ボールを持ったときの「仕掛ける感覚」だけは、どのカテゴリーでも常に際立っていた。
大学サッカーが開いた扉――関西学院大学と「I DREAM Award」
プロへの王道が、ユースやJクラブの下部組織だとすれば、山見大登のルートは決して分かりやすいものではない。
大阪学院大学高等学校から関西学院大学へ進学し、そこで彼は大きな転機を迎える。
1年生にしてトップチームに登録され、2018年6月6日、天皇杯2回戦・ガンバ大阪戦。
当時の山見は、もちろん無名の大学1年生。
対する相手はJ1クラブ、その名もガンバ大阪。
延長にもつれ込んだ試合終盤、彼は決勝ゴールを奪う。
大観衆の前で、Jクラブ相手に決めたその一撃は、天皇杯のジャイアントキリングを称える「I DREAM Award」を受賞した。
「大学サッカーからでも、Jクラブを倒せる。
自分たちにもできる。
あのゴールは、そういうことを証明したかったところもあります」
関西学院大学では、関西学生サッカーリーグ優勝、兵庫県サッカー選手権3度制覇など、結果とともに自信を積み重ねていく。
だが同時に、自分は「プロでどう戦うのか」という問いが、常に頭の中にあった。
憧れを倒し、そしてそのクラブへ――ガンバ大阪入りの必然
2018年の天皇杯で倒したガンバ大阪は、その後、山見を見続けていた。
そして2021年、翌シーズンからの加入内定が決まり、同年8月には特別指定選手としてガンバ大阪に登録される。
迎えた2021年8月13日、J1第24節・清水エスパルス戦。
途中出場でJ1デビューを果たし、その試合でいきなりゴール。
プロの舞台でも、「仕掛ける」強みを証明する。
続く9月1日、ルヴァンカップ準々決勝・セレッソ大阪との大阪ダービーでもゴール。
短い出場時間のなかで確実に結果を出し、「切り札」としての存在感を示した。
2022年、プロ契約元年。
シーズン第14節、またしてもセレッソ大阪との“ダービー”でリーグ戦初ゴールを決める。
大舞台でこそ輝くそのメンタリティは、間違いなくプロ向きだった。
「ワンポイント」という評価と、もどかしさ
しかし、プロの世界は厳しい。
2023年シーズン、山見はガンバ大阪でリーグ戦14試合1得点。
数字だけを見れば「途中出場のアタッカー」という立ち位置から抜け出せていなかった。
第25節・サガン鳥栖戦。
約3か月半ぶりのリーグ途中出場で、0-1のビハインドのまま迎えた後半アディショナルタイム。
鈴木武蔵の落としからカウンターを仕掛け、今季初得点。
勝ち点1をもぎ取る値千金のゴールだった。
結果だけを見れば、必要なときに結果を出す「ジョーカー」のような役割を与えられていたとも言える。
だが、その裏側にあるのは、本人のもどかしさだ。
「ガンバではワンポイントでの起用が多く、どちらかと言えば点がほしいときに投入される形が多かった」
一見、褒め言葉にも聞こえる評価。
だが、選手としての成長やキャリアを考えたとき、それは必ずしも理想ではない。
「それよりもスタメンで出た方が守備の部分のタスクも増えて、自分自身の成長につながると考えています。
守備の部分も成長させていきたい」
攻撃の「一発」で評価されるのではなく、90分を通してチームの一員として戦うこと。
若いアタッカーが「課題」と真正面から向き合おうとした瞬間だった。
一度は断ったオファー、「縁」を感じた東京ヴェルディ
そんななかで届いたのが、東京ヴェルディからのオファーだった。
2023年夏、一度は断ったその誘いは、冬の移籍市場で改めて届く。
「夏に一度ことわったにも関わらず、この冬にもオファーを出してくれたという部分ですごく縁を感じました」
ヴェルディは、城福浩監督の下でJ2リーグ3位。
そしてJ1昇格プレーオフを制し、16年ぶりのJ1復帰を決めたクラブだった。
昇格チームと聞くと、「まずは守備を固めて現実路線」といったイメージを持つ人も少なくないかもしれない。
しかし、山見が聞いたのは、まったく逆の言葉だった。
「めちゃめちゃ引いて自分たちのサッカーを捨てて守りに守って勝つという形ではなく、J2で積み上げてきたものをこのままやり続けたいという話を聞きました」
ボールを握り、攻撃的に仕掛ける。
守備強度も求めるが、「奪ったあと」を常にイメージしているチーム。
それは、自らのスタイルと課題を同時に伸ばしてくれそうな場所だった。
「自分に合っているとも感じました」
2024年、山見大登は東京ヴェルディへの期限付き移籍を決断する。
ヴェルディでつかんだ「役割」――16年ぶりのJ1勝利と通算800ゴール
新天地で迎えた2024シーズン。
平均年齢25歳以下の若いスカッドのなかで、J1経験者としての期待も背負っていた。
「J1を経験している選手も少ないですし、そこでJ1を経験している自分が引っ張っていかないといけない気持ちもあります」
開幕前にはこう語り、キャンプでは「今までの状態に戻すだけでなく、もう一段階レベルアップする」ことを誓った。
その言葉を証明するかのように、彼は新しい一歩を踏み出していく。
4月3日、第6節・湘南ベルマーレ戦。
試合終盤、山見が決めた一撃は、移籍後初ゴールであり、東京ヴェルディにとって実に16年ぶりとなるJ1での勝利をもたらす決勝点となった。
クラブの歴史に刻まれるような瞬間を、彼はまたしても決めてみせた。
そして8月25日、第28節・鹿島アントラーズ戦。
J1の舞台で何度もタイトルを争ってきた強豪を相手に、山見は2ゴールを記録し、2-1の勝利に大きく貢献する。
そのうち1点は、ヴェルディにとってJ1通算800ゴール目となるメモリアルゴールだった。
2024シーズン、山見はリーグ戦34試合に出場し、チーム2位となる7得点。
もはや「ワンポイント」ではない。
「90分の一員」として戦い、数字を残し、チームの象徴的な瞬間をいくつも担った一年になった。
完全移籍、そして「叱られた」第11節
この歩みは、クラブの評価を確かなものにする。
2024年12月26日、東京ヴェルディへの完全移籍が発表される。
ガンバ大阪にとっては、カップ戦やリーグ戦でたびたび結果を出してきたアタッカーの放出となった。
一方でヴェルディにとっては、自分たちのスタイルに合い、かつJ1の舞台で結果を残してくれる選手を正式に迎え入れた形となる。
そして迎えた2025年シーズン。
開幕からコンスタントに起用されるなかで、第11節・川崎フロンターレ戦では、興味深い場面があった。
試合に入りきれず、どこか噛み合わない時間帯。
そんな山見に対し、城福監督はピッチサイドから厳しい声を飛ばした。
「ふざけるな!」
メディアにも取り上げられたこの叱咤は、言葉だけ切り取れば強烈だが、そのあとに「干される」ことはなかった。
次節以降も、山見は変わらず起用され続けた。
「怒られる」というのは、ときに信頼の裏返しでもある。
勝負の世界では、期待していない選手に強い言葉をかける必要はない。
守備強度へのこだわり、攻撃時の主体性。
ヴェルディというクラブが大切にしているものを、誰よりも体現してほしいからこそ、監督は感情をぶつけたのだろう。
育成年代の選手や指導者にとって、このエピソードは一つの「問い」を投げかけてくる。
- 怒られたとき、それを「否定」と受け取るのか。
- それとも、「期待されている証拠」と受け止め、次につなげるのか。
山見大登は、後者を選ぶ選手だ。
だからこそ、その後もピッチに立ち続けている。
前十字靭帯損傷という現実――6~8ヶ月の離脱
2025年6月末のトレーニング。
プレーの中で右膝を傷めた山見には、「右膝前十字靭帯損傷」という診断が下される。
全治6~8ヶ月。
東京ヴェルディは、7月12日にクラブ公式サイトでこの事実を公表した。
前十字靭帯の損傷は、サッカー選手にとって最も怖いケガの一つだ。
半年以上、公式戦から遠ざかる可能性。
リハビリの過程では、走ることはおろか、歩くことすら制限される時期もある。
「サッカー選手である自分」が遠く感じられてしまう時間を、否応なく過ごさなければならない。
だが、彼のこれまでのキャリアを振り返ると、「逆境をチャンスに変える」ことは、何度も繰り返してきたテーマでもある。
大学サッカーからプロの扉をこじ開け、
「ワンポイント」から「チームの軸」へと成長し、
一度断ったクラブから再び届いたオファーを「縁」として受け止める。
このケガも、おそらく彼の物語の中では、いつか「転機」として語られるだろう。
リハビリで鍛えたフィジカルとメンタル。
試合を外から見て気づく、ポジショニングや判断の質。
サッカーから距離を置かざるを得ない時間は、同時に「サッカーをもう一度深く理解する時間」にもなり得る。
「仕掛ける」ことをやめない選手でいるために
城福監督は、山見にこう求めている。
「ボールを持った際には仕掛けてほしい」
その言葉どおり、山見大登の最大の魅力は、ボールを持った瞬間の「行くぞ」という空気だ。
観る側の心拍数が一段上がるような、仕掛けの予感。
だが、プロの世界でそのスタイルを貫くのは簡単ではない。
失敗を恐れ、リスクを避ければ、チームとしては安定するかもしれない。
しかし、彼は敢えて「仕掛ける」道を選び続けている。
ガンバ大阪では、その仕掛けが「切り札」という形で評価されていた。
東京ヴェルディでは、その仕掛けが「90分の一部」として求められている。
役割が変わり、求められるタスクも増えたとき、アタッカーは本当の意味で「選手」として成熟していく。
育成年代の選手に問いかけたい。
- 自分は、ボールを持ったとき、本当に仕掛けているだろうか。
- 守備のタスクから逃げずに、ピッチに立ち続けられているだろうか。
- 怒られたとき、その理由を自分で言語化できているだろうか。
山見大登のキャリアは、華やかな「天才ストーリー」ではない。
幾度となく壁にぶつかり、そのたびに選択を迫られ、そのたびに自分と向き合ってきた物語だ。
親御さんと指導者への、山見大登という「ヒント」
選手を支える親御さんや指導者にとっても、山見の歩みは大きなヒントを含んでいる。
- ユース出身ではなく、高校・大学からでもJリーガーになれること。
- 途中出場に甘んじず、「スタメンで出ることで成長したい」と口にできる主体性。
- 一度断ったクラブからの再オファーを、素直に「縁」と感じられる柔らかさ。
- 厳しい叱咤を受けても、そこで関係を断ち切るのではなく、パフォーマンスで応える強さ。
- 前十字靭帯損傷という大きなケガと向き合う覚悟。
子どもが試合に出られないとき、
監督に強く言われて落ち込んでいるとき、
ケガでプレーできないとき。
そんなときに、「山見大登も、同じような時間を乗り越えてきた」という事実は、静かな励ましになるかもしれない。
まだ途中の物語としての「山見大登」
天皇杯でガンバ大阪を倒し、
そのガンバ大阪に入り、
「ワンポイント」の評価に葛藤し、
東京ヴェルディで出場とゴールを掴み、
16年ぶりのJ1勝利、J1通算800ゴールというクラブの歴史的な瞬間を決め、
完全移籍を勝ち取り、
そして、前十字靭帯損傷という大きな壁と向き合っている今。
山見大登のサッカー人生は、まだ途中だ。
この先、どんなプレーでピッチに戻ってくるのか。
ケガを越えたあと、彼の「仕掛け」はどんな進化を遂げるのか。
東京ヴェルディというクラブにとって、
そして日本サッカーにとって、
彼がどんな存在になっていくのかを見届けることは、
育成年代の選手にも、指導者にも、親御さんにも、きっと多くの学びをもたらしてくれるはずだ。





