“持っているストライカー”はなぜ東京ヴェルディを選んだのか──唐山翔自、J3最年少ハットトリックから「壁」と向き合う22歳のリアル

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唐山翔自という物語。16歳の衝撃から、東京ヴェルディで迎える新たな章へ

「ボールは点取り屋を引き寄せる」。

ブラジルサッカーの世界でよく語られるこの決まり文句は、そのまま唐山翔自というストライカーの歩みを象徴している。

大阪府豊中市出身、2002年生まれ。

ガンバ大阪のアカデミーで育った彼は、10代のころから“ゴールという結果”で周囲を驚かせ続けてきた。

そして2025年8月。

ガンバ大阪から東京ヴェルディへの期限付き移籍が発表される。

コメントには、今の自分の立ち位置と覚悟が、静かに、しかしはっきりと刻まれていた。

「ガンバでなかなか試合に出られていない自分にチャンスをくれたヴェルディに結果と自分のプレーで応えられるように持てる100%の力を出して頑張ります。」

高校2年でJ3最年少ハットトリックを決めた「持っているストライカー」が、J1の壁に何度も跳ね返されながら、それでも前に進もうとしている。

この数年の紆余曲折を知らなければ、なぜ今、東京ヴェルディなのか、その意味は見えてこない。

16歳345日、Jリーグ最年少ハットトリックという始まり

唐山翔自の名前が日本中に広がったのは、2019年9月1日。

J3第21節、ガンバ大阪U-23対福島ユナイテッドFC。

16歳345日でのハットトリック達成。

それはJリーグ史上最年少記録として刻まれた。

その年、まだ高校2年生だった唐山は、ガンバ大阪の2種登録選手としてJ3の舞台に立っていた。

7月28日のAC長野パルセイロ戦でJリーグ初先発。

その試合で初得点。

デビュー戦でゴール。

数試合後には最年少ハットトリック。

そのインパクトは、ガンバというクラブに連なる「若きストライカーたちの系譜」を思い起こさせるものだった。

「ガンバにまた10代新星FW」。

当時のメディアはそう表現した。

記事の中で、彼はこんな言葉を残している。

「点を決めないと大好きなラーメンも美味しくない」

少し笑ってしまうような言い回しだが、そこにあるのはストライカーとしての純粋な執着心だ。

点を決められない自分に納得できない。

だからこそ、ゴールが日常の味覚にまで影響する。

その一方で、彼は冷静でもあった。

J3で10試合8得点という数字を残しながらも、自らをこう評価している。

「得点以外の部分を見たら平均以下のプレーやし、周りの選手が良かったら点を取れるというのではダメ」

結果を出しながらも、自分の“足りなさ”に目を向けていた17歳。

ここには、後に彼が味わうことになるJ1の厳しさと、その中で模索し続ける姿の原型がすでに見えている。

「自分は持ってるな」──ルヴァンカップでの2発と、その裏側

2020年、飛び級でトップチーム昇格。

8月12日、ルヴァンカップの湘南ベルマーレ戦でトップチームデビュー。

そして、わずか12分で先制点。

さらに決勝点となる2ゴール目。

シュート2本で2得点という完璧な結果。

試合後、彼はこう語っている。

「自分は持ってるなと思いました」

この言葉だけを切り取れば、少し生意気な10代に見えるかもしれない。

だが、この“持っている”は、決して運のことではない。

当時、ガンバ大阪U-23の森下仁志監督は、彼についてこんな評価をしていた。

「思うようにいかないこともあって涙を流しながら踏ん張って、練習している姿を僕は見ている。そういう毎日があるからこそ、彼のところにああやってボールが来るわけだし、『持っている』と言える人間になれるんです」

点が取れない日々には、試合中に悔しさで涙が出てきたこともあった。

「大学生相手にも点が取れへんのか」と自分を責めたこともあった。

それでもボールを蹴り続ける。

壁当てのような地味な練習も、「目を慣らす」ためのシュート練習も、ひとつひとつが彼の“嗅覚”を磨いた。

宮本恒靖監督もまた、唐山のサッカー小僧としての側面をよく知っていた。

「とにかくサッカーが好きで、練習時間が終わっても常にボールを触っていた」

宇佐美貴史の名前が引き合いに出されたのも、「天才性」ではなく、「ボールを触り続ける執念」という共通点があったからだろう。

J1の壁と、J2への旅。愛媛、水戸、熊本、そして再びガンバへ

鮮烈なトップデビュー。

U-16、U-17、U-19日本代表と、各年代の代表歴。

2019年にはU-17ワールドカップにも出場している。

ここだけを見ると、「そのままガンバのエースへ」と想像したくなる。

だが、現実はそう簡単ではなかった。

2020年、J1で7試合に出場したもののリーグ戦の得点はゼロ。

ルヴァンカップでは2得点を挙げたが、リーグで継続して出場機会を得るには至らなかった。

2021年4月、育成型期限付き移籍で愛媛FCへ。

J2で19試合1得点。

数字だけ見れば決して派手ではない。

だが、ここで「J2の現実」と向き合った時間は、その後の彼のキャリアにとって大きな意味を持ってくる。

2022年、水戸ホーリーホックに期限付き移籍。

シーズン序盤は出場機会に恵まれなかったが、終盤にかけてゴールを量産。

最終的にはリーグ戦16試合5得点。

数字以上に、「埋もれかけた1年を最後に自分の力で引き戻した」という感覚を得たシーズンだったはずだ。

2023年も水戸でのレンタルが延長される。

しかしこの年はリーグ戦1得点。

シーズン途中でガンバ大阪に復帰したが、J1ではなかなかネットを揺らせない。

2024年夏、ロアッソ熊本へ育成型期限付き移籍。

ここで13試合3得点。

「毎試合のように点を取る」まではいかない。

それでも、確実にゴール前での存在感を発揮し、J2通算での得点数を積み上げていく。

そして2025年、再びガンバ大阪へ。

ルヴァンカップ1stラウンド、高知ユナイテッドSC戦。

負傷した山下諒也の代わりに途中出場した唐山は、前半41分、味方のシュートのこぼれ球を押し込み、復帰後初得点を挙げる。

トップチームでの得点は、実に5年ぶり。

かつて「ボールは唐山を引き寄せる」と称されたストライカーが、再びJ1の舞台でボールを呼び込んだ瞬間だった。

「点を決めたらOK」なポジションで、点が取れない時間をどう生きるか

唐山は、自分のポジションについてこんな言葉も残している。

「FWは他のポジションとは違って凄く特殊。点を決めたらOKみたいなところもありますから」

だからこそ、点が決められない時間は、FWにとって「存在の根拠」が揺らぐ瞬間でもある。

J1で24試合0得点(2025年8月時点)。

J2では64試合10得点。

J3では33試合18得点。

カテゴリーが上がるごとに数字は厳しくなる。

「J3では点が取れても、J1では通用しない」。

育成年代の選手や、その親御さんが一番恐れているパターンかもしれない。

しかし、ここで考えたいのは、「だからダメだ」ではなく、「そこから何を学べるか」だ。

  • ユースではエースでも、プロでは全員がエース級であること。
  • J3、J2、J1と、カテゴリーが上がるごとに求められる“点の取り方”が変わること。
  • 「点だけ取れればいい」ではなく、「点を取るために、チームの中でどう機能するか」が問われること。

唐山自身も、前線で張るだけではボールが来ない現実を痛感している。

「前で張っているだけではボールは来ないし、自分が1回、攻撃の作りに関わって味方がフリーになったら、また動き出すという新しい形もやっていかへんと、なかなか点を取るのは難しい」

ここにあるのは、「自分は点取り屋だから、周りがボールを持ってこい」という発想ではない。

「点を取るために、自分から関わりに行く」ストライカー像だ。

大黒将志の裏抜けを映像で学び、アデミウソンのポストプレーとターンを研究する。

ガブリエウ・ジェズス、ルイス・スアレスのポジショニングにも目を向ける。

“持っている”選手は、いつだって“学んでいる”選手でもある。

東京ヴェルディという選択に込められたもの

2025年8月12日、東京ヴェルディへの期限付き移籍が発表された。

「ガンバでなかなか試合に出られていない自分にチャンスをくれたヴェルディ」。

この一文には、今の彼のリアルがすべて詰まっている。

ガンバ大阪のアカデミーに育てられ、ユニフォームを着てJ3、J1、カップ戦でゴールを決めてきた。

クラブへの思い入れがないはずがない。

それでも、「出場機会」を求めて他クラブへと向かう決断をした。

東京ヴェルディは、日本サッカーの歴史の中で特別な意味を持つクラブだ。

かつて読売クラブ時代から、数多くのスターが育ってきた。

一方で、長くJ2での戦いを続け、ようやくJ1復帰を果たしたクラブでもある。

そうした歴史の上にあるクラブが、いま、ガンバのストライカーに「もう一度、自分を証明する場」を用意した。

移籍コメントの最後は、シンプルな一言だった。

「結果と自分のプレーで応えられるように持てる100%の力を出して頑張ります」

ここには、「何とか這い上がりたい」という感情はあっても、「過去の栄光にすがる姿」はない。

J3最年少ハットトリックも、湘南戦の2ゴールも、一度すべてをリセットして、もう一度ゴール前に立とうとしている。

育成年代の選手たちへ──“順風満帆ではないエリート”のリアル

U-15から各年代の日本代表。

U-17ワールドカップ出場。

J3最年少ハットトリック。

10代でトップデビュー、いきなりカップ戦2発。

経歴だけを並べれば、唐山翔自は間違いなく「エリート」に分類される。

だが、その中身は決して順風満帆ではない。

  • J1で24試合0得点という現実。
  • レンタル先で出場機会を求めて戦う日々。
  • 試合中に悔し涙が出るほど、自分の現状を受け止めてきた時間。

「若いころから代表に入っていた選手が、そのままスターになるとは限らない」。

「10代で名前を売った選手ほど、20代で苦しむ時間が長いこともある」。

指導者や親御さんにとって、唐山のキャリアは、そんな現実を考えるうえでひとつの象徴的なケースかもしれない。

では、そこで何が問われるのか。

  • 「うまくいっているとき」に何をするかではなく、「うまくいかないとき」にどれだけ自分と向き合えるか。
  • 「才能」に頼るのではなく、「努力の方向性」を常にアップデートできるか。
  • どれだけ恵まれた実績を持っていても、「試合に出られていない自分」を直視し、環境を変える決断ができるか。

唐山翔自は、まだ22歳(2025年時点)。

ここから先の10年で、どんなキャリアを描くかは誰にも分からない。

ただひとつ確かなのは、彼が“結果だけで語れないサッカー人生”をすでに積み重ねているということだ。

Jリーグを目指す育成年代の選手たちは、自分の未来を彼に重ねる部分が少なくないはずだ。

そして指導者や親御さんにとっても、「若くして結果を出した選手が、その後どんな壁にぶつかるのか」を考えるための、ひとつのモデルケースになり得る。

「ボールは唐山を引き寄せる」は、どこまで続くのか

J3で最年少ハットトリックを決めたとき。

ルヴァンカップで2ゴールを挙げたとき。

熊本でJ2のゴールを重ねたとき。

そして5年ぶりにガンバのトップチームでネットを揺らした高知での一撃。

そのたびに、「やっぱりボールは唐山を引き寄せる」と感じた人は少なくないはずだ。

東京ヴェルディでの新しいチャレンジは、彼にとって「自分は本当に“持っている”のか」をもう一度証明する機会になる。

J1で点を取り続けるストライカーになれるのか。

あるいは、また別の道を切り開いていくのか。

いずれにしても、その答えは、外からの期待や評価ではなく、彼自身がピッチの上で積み重ねる90分ごとに形作られていく。

唐山翔自という名前を、あなたは今どんなイメージで見つめているだろうか。

「かつての新星」なのか。

「これからの逆転劇の主人公」なのか。

それとも、「自分や教え子の未来を重ねて見てしまう選手」なのか。

ボールが再びゴール前で唐山翔自を“引き寄せる”瞬間を、東京ヴェルディの緑のユニフォームで、どれだけ見ることができるのか。

その答えを確かめに、これからの彼の一挙手一投足に目を向けてみる価値は、きっとあるはずだ。

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