街クラブ出身CBが貫いた「遠回り」の真価──林尚輝が示すリアルなプロへの道

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林尚輝というセンターバックを、どれだけ知っているだろうか

J1・東京ヴェルディのセンターバック、林尚輝。

1998年6月9日生まれ、大阪府堺市出身。

プロの世界ではまだ「若手」と括られる年齢だが、そのサッカー人生には、育成年代の選手や指導者、そして親御さんにこそ知ってほしい、静かなドラマが詰まっている。

RIP ACEから全国へ──堺から始まったセンターバックの物語

大阪・堺。

Jクラブのジュニアユースではなく、RIP ACEジュニア、RIP ACEジュニアユースという街クラブから林尚輝のキャリアは始まった。

今でこそRIP ACEは育成年代で知られた存在だが、「J下部出身」という華やかな肩書きとは少し距離があるスタートだったと言える。

その後、島根の立正大学淞南高校へ進学。

地元・大阪を離れ、全国でも知られるサッカー強豪校を選んだ背景には、「プロになりたい」という素朴だが強い思いがあったはずだ。

寮生活、厳しいトレーニング、レギュラー争い。

そこに学業も加わる高校サッカーの日常は、想像以上にタフだ。

読者の中にも、同じような毎日を過ごしている選手や、その生活を支えている親御さん、指導者がいるだろう。

大阪体育大学で体現した「本当の文武両道」

高校卒業後、林が進んだのは大阪体育大学

関西学生サッカーリーグで2019年、2020年と2度の優勝を経験している大学サッカーの強豪だ。

注目すべきなのは、彼が単に「サッカーで結果を残した」だけの選手ではないということだ。

林は大学時代、学業面でも3年連続で優秀賞に選出されている。

サッカーに全力を注ぎながら、授業やレポート、試験と真剣に向き合い続けた4年間。

「文武両道」と簡単に言うけれど、実際にそれを続けることの難しさを、どれくらい想像できるだろうか。

練習で疲れきった身体で教室に向かう日々。

遠征で授業を欠席した分を、自分で取り返さなければいけない現実。

どちらか一方を言い訳にしたくなる場面は、数え切れないほどあったはずだ。

それでも林は、ピッチの上と講義室の両方で自分を磨き続けた。

関西学生サッカーリーグ2連覇という「結果」。

3年連続優秀賞という「積み重ね」。

この大学時代の歩みは、「サッカーだけやっていればいいのか」「勉強も本当に必要なのか」と悩む育成年代の選手に、一つの答えを静かに提示しているように見える。

鹿島アントラーズの「出世番号23」を背負うという意味

2021年。

林尚輝は、J1の名門鹿島アントラーズに加入する。

与えられた背番号は「23」。

内田篤人をはじめ、多くの選手が飛躍していったアントラーズの「出世番号」として知られている番号だ。

プロ1年目。

6月20日、J1第18節・ベガルタ仙台戦(県立カシマサッカースタジアム)でJリーグデビュー

その年、リーグ戦6試合に出場し、ルヴァン杯と天皇杯を合わせて計2ゴールも記録している。

ただ、2022年はリーグ戦1試合の出場にとどまる。

名門クラブのセンターバックというポジションは、ポジション争いも、求められる完成度も、想像を超えるレベルにある。

ベンチを温める時間が増えていく中で、プロとしての「選択」が問われ始める。

そのとき、彼が選んだのは「環境を変えること」だった。

東京ヴェルディへの期限付き移籍──J2で掴んだ“最初のゴール”

2022年12月22日。

林尚輝は東京ヴェルディへの期限付き移籍を決断する。

J1の鹿島から、J2の東京Vへ。

名門クラブから離れることを、外からはステップダウンのように見る人もいただろう。

しかし、選手にとって「試合に出る」「ピッチで成長する」こと以上に大切なものは、多くない。

2023年、背番号13をつけてJ2のシーズンに臨んだ林は、リーグ戦23試合に出場し、3得点を挙げる。

そのうちの一つが、4月8日、J2第8節・清水エスパルス戦(IAIスタジアム日本平)で決めたJリーグ初ゴールだった。

センターバックとして、ゴールは決して最優先の評価軸ではない。

だが、相手ゴールネットを揺らすという経験は、どんなポジションの選手にとっても「自分はこの舞台でやれる」という確信を与える。

このシーズン、東京ヴェルディはJ1昇格プレーオフにも進出し、林は2試合に出場。

プレッシャーと緊張が極限まで高まる舞台で、90分間の重さと責任を身体で知る時間を積み重ねていく。

J1のベンチに座っていた時間。

J2でピッチに立ち続けた時間。

どちらが「正解」だったのかは、簡単には言えない。

ただ一つ確かなのは、「試合に出たい」「勝負したい」という欲求から逃げなかった選手にしか見えない景色が、林の前には広がり始めていたということだ。

完全移籍、そしてJ1の舞台で掴んだ東京ヴェルディのセンターバックという役割

2024年。

東京ヴェルディでの2年目は、舞台をJ1に移しての挑戦となった。

この年、林はJ1で29試合に出場。

チームの柱として、センターバックのポジションで存在感を増していく。

そして2024年12月25日。

同じく鹿島からプレーしていたFW染野唯月とともに、東京ヴェルディへの完全移籍が発表される。

期限付きではなく、「自分のクラブ」としてヴェルディを選んだ決断。

それは、クラブからの信頼であり、選手自身の覚悟の表明でもあった。

翌2025年、J1で迎えたシーズン。

4月2日のFC東京戦(東京ダービー)で、林はヘディングでゴールを決め、ついにJ1での初ゴールを記録する。

東京の街を二分するダービーマッチ。

その重圧の中で決めたセンターバックの一撃は、数字以上の意味を持つ。

守備者としての責任を果たしながら、攻撃でも違いを生み出せる選手として、彼の名前は少しずつサポーターの心に刻まれていく。

古巣・鹿島との初対戦──「出世番号」が見つめる新たな背番号

そして迎える、2025年シーズン終盤。

ホーム最終戦、味の素スタジアムにやって来る相手は、首位に立つ鹿島アントラーズ

林にとって、プロデビューの場を与えてくれた古巣だ。

しかも、この一戦に勝てば、鹿島には優勝の可能性がある。

そこで林は、率直な言葉を口にする。

「僕自身もチームメイトのみんなも鹿島に負けたくないという思いは強い。 (鹿島とは)初めてマッチアップするので意気込んでいる部分はあります。」

感謝と対抗心。

憧れと闘志。

そのどちらもを抱えながら、彼はピッチに立とうとしている。

対峙する相手は、JリーグトップクラスのFWたちだ。

リーグ得点王争いを牽引するレオ・セアラ

10得点を挙げているストライカー鈴木優磨

前回の第2節、敵地・カシマでの一戦では、林は欠場。

チームは彼らに2ゴールずつを許し、0-4で完敗している。

「JリーグトップクラスのFW。その中で自分がどれくらいやれるのかは、すごく今後の自信や取り組みに関わってくる。」

自分がピッチに立てなかった試合で、チームが完敗した事実。

その悔しさを、彼はただ嘆くのではなく、「自分が出た中でどれだけ変えられるか」を証明するチャンスだと捉えている。

「前期鹿島にボコボコに負けて、しっかり合わされて失点している中、自分が出た中でどれだけ変えられるかというのは、すごく目に見てわかりやすい試合になるんじゃないかなと思っているので楽しみです。」

「ボコボコに負けて」と、はっきりと言葉にできる選手は多くない。

しかし、その悔しさを隠さないことこそ、成長へのスタートラインなのだと思わされる。

「クリーンシート」にこだわるセンターバックの哲学

今季の東京ヴェルディは、リーグ2位となる17試合の無失点試合を記録している。

得点力には課題を抱えながらも、「守備」はチームの大きな武器となっている。

その中心にいるのが、林尚輝だ。

ホーム最終戦、すでに3万5000人もの来場が見込まれている中で、彼が口にしたのは「勝ちたい」だけではなく、「守り抜きたい」という言葉だった。

「クリーンシート(無失点試合)をチームとして意識しながら、より攻撃的なサッカーが出来るような取り組みをしたいと思いますし、鹿島相手にクリーンシート出来たら、1年間、得点力に自分たちは課題がある中でしたけど、(守備は)自信を持っていいと思う。そこはこだわってやっていきたい。」

センターバックというポジションは、ミスが目立つ。

失点すれば、矢印が向きやすい場所でもある。

それでも、林は「クリーンシート」にこだわり、「守備に自信を持っていい」と、チーム全体を前向きにさせる言葉を選んでいる。

誤解を恐れずに言えば、こうした発言ができる選手は、育成年代からエリート街道を歩んできたスターとは少し違う匂いがする。

J下部でもない。

高校は地方の強豪。

大学で鍛えられ、プロに飛び込んだあとも、ベンチとスタメンを行き来し、移籍を経てポジションをつかみ取った選手。

勝てない時期。

試合に出られない時間。

そうした経験を飲み込みながら、それでも前を向くために身についた言葉の重みが、彼のコメントの端々から滲んでいる。

「遠回り」に見える道を、どう捉えるか

RIP ACEジュニア。

立正大学淞南高校。

大阪体育大学。

鹿島アントラーズ。

東京ヴェルディ。

華やかな見出しだけを追っていると、「Jクラブ下部組織→ユース→トップ昇格」というルートこそがエリートの道に見えるかもしれない。

だが、日本中でプレーするほとんどの選手にとって、林尚輝の歩みの方が、むしろリアルな「プロへの道」ではないだろうか。

  • 街クラブからのスタート
  • 高校での厳しい寮生活と全国を目指す日々
  • 大学での文武両道と、トップレベルの関西学生リーグ
  • 名門プロクラブでの出場機会不足
  • J2への期限付き移籍という決断
  • J1昇格のプレッシャーを知るプレーオフの経験
  • 完全移籍で「自分のクラブ」を選ぶ覚悟
  • 東京ダービーで決めたJ1初ゴール
  • 古巣の優勝を目の前で阻止しようとするセンターバックとしての誇り

どの場面を切り取っても、それは特別なスター物語ではなく、「一人のサッカー選手が、目の前の環境の中で最善を尽くしてきた記録」に見える。

育成年代の選手たちに問いたい。

もしも今、自分が思い描いた通りのルートに乗れていなかったとして、それでも「遠回りだ」と決めつけてしまっていないだろうか。

指導者や親御さんに問いかけたい。

目の前の選手が進もうとしている道が、自分の想像していた「最短ルート」と違ったとき、その選択をどう受け止め、どう支えていくだろうか。

林尚輝のサッカー人生は──少なくとも今のところ──派手なタイトルや、代表での輝かしい勲章に彩られているわけではない。

しかし、RIP ACEでボールを追いかけていた少年が、大学で学び、鹿島で悩み、東京ヴェルディでポジションを掴み、そして今、古巣の優勝を止めようとしている。

その一つひとつの選択と積み重ねの裏側には、誰にでも起こりうる「紆余曲折」と、そこでしか手に入らない「喜怒哀楽」が確かに刻まれている。

J1のピッチで、23番を背負った日々を胸に、今は東京ヴェルディの背番号とともにゴール前に立つセンターバックがいる。

自分の選んだ道を信じて、前期「ボコボコに負けた」相手にもう一度立ち向かおうとしているディフェンダーがいる。

そして今日もまた、日本のどこかのグラウンドで、その背中を静かに追いかける、RIP ACEの少年のような選手たちがボールを蹴っている。

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