失点から始まる守護神への道──ベガルタ仙台GK梅田陸空が「J1で出続ける」までの物語

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梅田陸空という「サッカーの物語」──失点から始まる守護神への道

ゴールキーパーというポジションほど、「一瞬」で評価が変わる役割はないかもしれない。

ビッグセーブをすればヒーローになり、たった一度のミスで、すべてを失ったような気持ちになる。

大阪府箕面市出身、187cmの長身と抜群の身体能力を誇るベガルタ仙台のGK、梅田陸空(うめだ・りく)。

彼のサッカー人生は、まさにその「一瞬」と向き合い続けてきた物語だ。

「ただ楽しく」から「プロになりたい」へ──意識が変わった高校時代

梅田陸空のサッカー人生は、地域クラブ・アオヤマSCでのプレーから始まった。

箕面四中を経て、大阪学院大高へ進学。

中学までは「上を目指す」というよりも、どちらかといえば「楽しくサッカーをする」ことが中心だったという。

しかし大阪学院大高に進むと、状況は一変する。

レベルの高いGK陣の中で結果を求められる毎日。

公式戦に出られなかったシーズンも経験し、

「自分がやらないと、という自覚が芽生えている」

と監督に言わしめるほど、責任感が彼を変えていった。

選手権大阪予選。

履正社高校との準決勝では、クロスの雨あられのような時間帯に、鋭い飛び出しと高い跳躍力でことごとくボールを処理し、チームは5試合連続無失点で決勝へ。

「無失点は自分よりもDFライン4人がやってくれている」と語った彼の言葉には、守護神としての矜持と、仲間へのリスペクトが滲んでいた。

この頃、Jクラブへの練習参加を経験し、それまで漠然としていた将来像が変わる。

「そこまで何も考えていなかったですけれども、今は(プロに)なりたい」

プロは夢物語ではなく、「現実的な目標」へと変わっていった。

大阪学院大学で掴んだ「自信」と「痛恨のミス」──総理大臣杯が教えてくれたもの

2019年に大阪学院大学へ進学すると、彼は一気に全国区の存在になる。

関西選抜にも選出され、第36回デンソーカップチャレンジではプレーオフ選抜相手のPKをストップ。

かつては「PK戦になると交代させられていた」ほど苦手意識があったPKで、評価を覆していく。

大阪学院大サッカー部はGKだけで25人という異例の環境。

「ちょっとしたミスでも交代させられる」緊張感の中で、ポジション争いは常に熾烈だった。

そこへJ1ガンバ大阪で長くプレーした實好礼忠監督、そして同じくG大阪で活躍した松代直樹GKコーチという“元Jリーガー・トリオ”が就任する。

幼少期からガンバ大阪を応援してきた梅田にとって、松代GKコーチは「憧れの人」だった。

「憧れの人がGKコーチになった感じ。毎日が楽しい。練習に行くのが楽しみな状態が続いています」

その指導は生易しいものではない。

準備、ポジショニング、無駄な動きの削減。

「体より頭が疲れる」練習の日々は、彼のゴールキーパー像を根底から作り替えていった。

そして2022年夏、第46回総理大臣杯。

この大会は、彼の名前を一気に全国に轟かせる舞台となる。

  • 札幌大学戦でのPKストップ
  • 明治大学戦の試合中PKストップに加え、PK戦で2本セーブ
  • 駒澤大学戦のPK戦でも2本をセーブ

決勝までに止めたPKは実に6本。

相手からすれば、「サッカーの神様は残酷だ」と言いたくなるほど、ことごとくゴールを阻まれていった。

だが、サッカーの神様は同時に、別の顔も見せる。

決勝・国士舘大学戦。

1-1で迎えた後半アディショナルタイム。

高く舞い上がったボールを、彼はバウンドしてからキャッチしようとした。

しかし、不規則な回転がかかったボールは、バウンドの瞬間に脇をすり抜け、そのまま決勝点につながってしまう。

初の総理大臣杯決勝。

優勝まであと一歩のところでの痛恨のミス。

ピッチに倒れ込み、芝生に顔をうずめる梅田。

そのそばへ、チームメイトが次々と集まっていく。

そして、敵将であり同じGKである国士舘大の主将・飯田雅浩も声をかける。

「ここまで引っ張ってきたから、最後しっかりやろう」

試合後、梅田は静かに語る。

「自分の甘さが出た」

不規則な回転に気づきながら、「確実にキャッチしてカウンターにつなげたい」という欲が出たこと。

延長、PK戦になれば勝てるという思いが頭をよぎったこと。

「そこも気の緩みがあった」

そして、それでも彼はこう口にする。

「これでサッカー人生が終わりじゃない」

今後の目標を問われると、

「J1で出る」

と語り、すぐに言い直す。

「出続ける」

一瞬のミスで、努力の多くが打ち消されるように見える世界。

しかし、その一瞬すら「人間力アップのきっかけになる」と捉える實好監督の言葉は、育成年代の選手にも、指導者にも大きな示唆を与えている。

「サッカーはミスが多く、色々な感情を早送りで教えてくれるスポーツ」

仙台との「縁」──ブレイクの地で始まったプロキャリア

総理大臣杯の会場は、ベガルタ仙台のホームタウン・仙台で行われていた。

そこで「最も存在感を見せた」といわれたGKが、その街のクラブからプロオファーを受ける。

それは、偶然なのか、必然なのか。

2022年11月2日。

2023シーズンからのベガルタ仙台加入が発表される。

梅田は、その時の心境をこう語っている。

「ずっと目標にしていたことが決まったので一安心という気持ちと、これからという気持ちがあります」

大会後すぐに仙台から連絡を受け、1週間ほど練習参加。

昨年はセレッソ大阪など複数クラブの練習にも参加していたが、その時には得られなかった「手ごたえ」を感じたという。

練習参加時、チームは連敗中だった。

それでも、

「めちゃめちゃ雰囲気が良かった。ここでやりたいなと思いました」

と話す。

GKのレベルも高く、その中で切磋琢磨できることに魅力を感じた。

「縁があるのかな」と感じた仙台で、プロキャリアをスタートさせる決意を固める。

一方で、大学の恩師たちはこう釘を刺していた。

「プロに入るだけなら誰でも出来る。そこからどうするかは自分次第、こっからやぞ。甘くないから頑張れ」

プロ入りは「ゴール」ではなく、「スタート」である。

これは、Jリーグを目指すすべての選手に突きつけられる現実だ。

プロ1年目の現実──ベンチにも入れない日々と「伸びしろ」

2023年、ベガルタ仙台に加入した梅田は、背番号21を背負ってプロ1年目を迎えた。

しかし、そのシーズンにJ2リーグ戦出場はゼロ。

「プロになったら試合に出られる」わけではないという当たり前の事実が、容赦なく突きつけられる。

学生時代は「守護神」として出場し続けていた選手が、プロに入った瞬間、ベンチにも入れない立場に回る。

立場が変わると、自信やモチベーションの保ち方も難しくなる。

そんな中で、彼は現実と冷静に向き合う。

「サッカーの流れを読む力だったり、安定感が足りない」

足りない部分から目をそらさず、「焦らず自分のできないことに目を向けて、細かな質を求めていきたい」と語る。

プロ1年目の多くを、トレーニングと準備に費やす。

それは、外からは見えづらく、評価もされにくい時間だ。

しかし、そうした「見えない時間」をどう過ごすかが、2年目以降のキャリアを大きく左右していく。

「何が何でも試合に出る」──2年目の決意と、支えになった先輩の存在

2024年、プロ2年目。

梅田は、言葉のトーンを変えてこう語る。

「甘くないですけど、今年は何が何でも試合に出ることを意識してやりたい」

プロのGKとして、自分の立ち位置ははっきりしている。

ベガルタ仙台には経験豊富なGKが揃い、その牙城を崩すのは簡単ではない。

しかし、競争を恐れるどころか、彼自身が「その中で成長したい」と望んで飛び込んだ環境でもある。

彼には、どうしても試合に出たい理由がもう一つあった。

仙台時代に「めちゃめちゃ面倒見が良くて救ってくれた」存在、MF気田亮真の移籍だ。

2024シーズンからモンテディオ山形へと移った気田。

ベンチ外が続いた時期も、ケガで苦しんでいた時期も、気にかけて声をかけ続けてくれた先輩。

その気田と対戦するために、彼はこう誓う。

「その試合に出るのが目標ですけど、チームとしても負けられない。一丸となって勝ちたい」

プロの世界では、誰もが「自分のことで精一杯」になりがちだ。

そんな中で、後輩を気にかけ続ける先輩に支えられ、梅田は「出られない時間」を耐え抜いた。

育成年代の選手にとっても、指導者や保護者にとっても、こうした「人とのつながり」が選手の心をどれほど支えるかを、改めて考えさせられるエピソードではないだろうか。

プロ入りから初出場まで──「突然の10分」がもたらしたもの

そして2024年8月17日。

明治安田J2第27節、鹿児島ユナイテッドFC戦(ユアテックスタジアム仙台)。

この日、ベガルタ仙台のベンチには、背番号1を背負う梅田陸空の名前があった。

後半10分、先発GK松澤香輝がプレー続行不能となるアクシデント。

ピッチサイドで準備する時間は、決して長くはない。

プロ2年目にして、Jリーグ初出場の瞬間が突然訪れる。

大学時代、PK戦のプレッシャーも、全国決勝の緊張も経験してきた。

しかし、「プロの試合」という舞台は、それでも特別だ。

その一瞬のために、彼はどれだけ多くの「試合に出られない日々」を積み重ねてきただろうか。

J2・1試合出場。

数字だけを見れば、まだ「若手GKの一歩」にすぎない。

だが、その1試合に至るまでの時間を知れば、その意味はまったく違って見えてくる。

「J1で出続ける」という目標と、日本のGKに求められるもの

大学時代から「J1で出る」と公言し、それをすぐに「出続ける」と言い直した梅田。

彼のキャリアプランの先には、ベガルタ仙台のOBであり、日本代表としてW杯メンバーにも選ばれたGKシュミット・ダニエルの姿がある。

仙台からJ1、そして海外へ。

その道筋を、実際にたどった先輩がいることは、大きなイメージの支えになる。

現代のゴールキーパーには、セービングだけでなく、ビルドアップ能力、守備ラインの統率、試合の流れを読む力など、多様な能力が求められている。

梅田自身も、

「サッカーの流れを読む力だったり、安定感が足りない」

と課題を挙げ、その部分の成長を自覚している。

187cmという日本人GKとしては平均的な身長に、卓越した跳躍力と前への出足の速さ。

「空中戦の強さは日本一」とまで評されたハイボール処理。

PKストップの強さ。

これらは、すでに大きな武器だ。

しかし、彼自身が強調するように、「伸びしろ」をどこまで埋められるかが、J1で「出続ける」守護神になれるかどうかの分岐点になる。

育成年代のGKたちにとって、「身体能力の高さ」だけではプロに届かないこと。

一方で、「ミス」をしたからといってサッカー人生が終わるわけではないこと。

その両方を、梅田陸空の歩みは教えてくれている。

あなたなら、あの失点をどう受け止めるか

総理大臣杯決勝の最後の失点は、今も彼のキャリアを語るときに必ず触れられるシーンだ。

一生消えない映像として、彼の記憶にも刻まれているだろう。

育成年代の選手たちに問いかけたい。

もし、あなたが彼の立場だったら、そのミスをどう受け止めるだろうか。

サッカーを辞めてしまうかもしれない。

人のせいにしたくなるかもしれない。

もうPK戦が怖くなるかもしれない。

しかし彼は、「J1で出続ける」と目標を上方修正し、仙台でプロキャリアをスタートさせた。

そして、ベンチにも入れない1年目を経て、2年目の2024年にようやくJリーグのピッチに立ち、今もなお、レギュラー奪取を目指してトレーニングを続けている。

指導者や保護者の立場としても、問われる部分がある。

ミスをした選手に、どんな言葉をかけるか。

結果だけでなく、その裏にある準備や過程をどこまで見てあげられるか。

彼の周りには、「ここまで引っ張ってきたから」と声をかけるライバルGKや、「こっからやぞ」と背中を押す指導者がいた。

その環境が、彼を前へと進ませたことは間違いない。

「試練は、乗り越えられる人にしか与えられない」。

使い古された言葉かもしれないが、梅田陸空のこれまでを追うと、その言葉の意味が少しだけ現実味を帯びてくる。

仙台のゴールマウスに立つ背番号1が、J1の舞台、そしてその先の世界でどれだけ長く「出続ける」存在になれるのか。

あの夏の失点も、鹿児島戦でのJ初出場も、全てがその物語の一部として、これから先も積み重なっていく。

そしていつか、彼自身の言葉で、

「あのミスがあったから、今の自分がいる」

と静かに語る日が来るのかもしれない。

LANGL SCOUTING & SUPPORT PROGRAM

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