池田昌生というサッカー選手を知っていますか──「今を生きる」才能のかたち
1999年7月8日、大阪市大正区生まれ。
セレッソ大阪のアカデミーで育ち、福島ユナイテッドFCを経て、湘南ベルマーレでJ1のピッチに立つ池田昌生。
数字だけを並べれば、「J3通算97試合8得点、J1通算79試合7得点」。
派手なタイトルも、桁違いの得点記録も、まだ持っているわけではありません。
それでも、今のJリーグのなかで「プロサッカー選手として生きること」のリアルを、ここまで体現している選手はそう多くないのかもしれません。
セレッソ大阪で育ち、鎌田大地を追って京都へ
大阪市大正区。
沖縄料理の店が多く、「京セラドーム」と「たこ焼き」が地元自慢に挙がるまちで、ひとりのサッカー少年がボールを蹴りはじめます。
きっかけは兄の背中。
「サッカーを始めたきっかけ お兄ちゃん」と本人は語っています。
小学生のときに中泉尾JSC、そこからセレッソ大阪U-12、セレッソ大阪U-15へ。
育成年代の選手や指導者であれば、「セレッソのアカデミーにいる」というステータスの意味は、よくわかるはずです。
香川真司、清武弘嗣、柿谷曜一朗……。
池田の「子どもの頃の憧れの選手」はそのまま、セレッソの先輩たちの名前でもあります。
しかし、セレッソのユースにそのまま上がる道ではなく、池田が選んだのは東山高校への進学でした。
理由ははっきりしています。
「フランクフルト 鎌田大地」に影響を受け、「鎌田大地に憧れて東山高校へ進学」
すでにプロの世界で名を上げていた先輩の決断に、自分の進路を重ねていく。
「自分が決めたことはやる」と語る彼らしい選択でした。
この「自分の意志で環境を変える」という行動を、高校生の段階で選べる選手がどれだけいるでしょうか。
育成年代の選手たちは「今のチームに残るのが安全か」「新しい環境に飛び込むべきか」と、常に悩み続けます。
池田はその答えとして、「憧れの人が歩いた道を自分もたどる」というルートを選んだ。
そこには、彼なりの覚悟と、プロになるための具体的なイメージがありました。
J3・福島ユナイテッドへ──華やかさとは別のスタートライン
2018年、東山高校を卒業した池田昌生が入団したのは、J1でもJ2でもなく、J3・福島ユナイテッドFCでした。
セレッソで育ち、東山で鍛えられた選手がJ3へ進む。
Jリーグを目指す選手たちのなかには、ここに違和感を覚える人もいるかもしれません。
しかし、J3からプロキャリアを始めることは、今の日本サッカーでは決して「遠回り」ではなく、むしろ「現実的なスタートライン」です。
デビューイヤーの2018年、池田はJ3で32試合出場3得点。
翌2019年は33試合2得点、2020年も32試合3得点。
3年間でJ3通算97試合8得点という数字は、19歳から21歳の若者が、「プロの世界で試合に出続けること」の難しさと尊さを物語っています。
どれだけ才能があっても、試合に出なければ評価されない。
どれだけ泥くさくても、ピッチに立っていればその分だけ成長する。
福島で積み重ねた試合数は、まさにその証拠です。
「サッカー選手になるために意識したこと・努力したこと」という問いに、彼はシンプルにこう書いています。
「自分が決めたことはやる」
どのカテゴリーにいるかよりも、自分が選んだ場所で、自分のやるべきことをやり続ける。
地方クラブ、J3という環境でも、「サッカー=人生」と言い切るだけの熱量を保ち続けるのは簡単ではありません。
練習から帰ってもスタジアムには何万人という観客がいるわけではなく、生活感のある街並みのなかで、次の週末の試合だけを見つめて日々が過ぎていく。
そんな3年間が、彼を「J1に届く選手」へと育てました。
湘南ベルマーレへの完全移籍──「仲間」のクラブに飛び込む
2021年、池田昌生は湘南ベルマーレへ完全移籍を果たします。
J3の福島から、J1の湘南へ。
プロの世界のなかでも、大きなジャンプです。
移籍1年目の2021年、J1で18試合出場。
リーグカップでも7試合1得点と、トップカテゴリーのスピードと強度に食らいつきながら、確かな足跡を残しました。
2022年には、リーグ戦22試合3得点、ルヴァンカップ8試合4得点。
公式戦通算30試合7得点という数字は、チームにとっても、本人にとっても「手応え」を感じられるシーズンでした。
湘南について問われると、池田は一言でこう答えています。
「ベルマーレの印象を一言で 仲間」
2021年から数えて、すでに在籍5年目。
彼は「湘南がどんなクラブか」を、結果だけでなく「空気感」から理解している選手です。
インタビューのなかでも、こう語っています。
「自分は在籍5年目で、ベルマーレがどんなクラブかは理解しているつもり。
自分たちがどういう時に強いのか分かっています。
サッカーは11人でやるスポーツで、ひとりでやるものではないので、難しさもあるんですけど、だからこそ選手たちがつながっている時、良い雰囲気で戦っている時にエネルギーが出る。
湘南は特にそのつながりが大事です。」
「つながり」。
それは、勝つか負けるかのギリギリの場所で戦うクラブにとって、戦術以上に根幹となる価値観なのかもしれません。
喜びと悔しさのあいだで──2024年、残留争いと「決め切れなかった」自分
2024年、湘南ベルマーレは厳しい残留争いの真っ只中にいました。
10月19日、J1第34節京都サンガF.C.戦。
ホーム・レモンガススタジアム平塚で、湘南は前半29分に中野伸哉のハイプレスから鈴木章斗が決めて先制。
前半終了間際には京都の鈴木義宜が決定機阻止で退場となり、数的優位のまま終盤まで1−0。
スタジアムには、「16節の東京ヴェルディ戦以来の白星」が目の前に見えていました。
ところが、アディショナルタイム10分。
90+10分、京都の須貝英大に同点ゴールを許し、試合は1−1でタイムアップ。
J2降格圏19位のまま、残留は極めて厳しい状況になります。
この試合で、池田昌生には72分に立て続けに2度の決定機が訪れていました。
彼は、その場面をこう振り返ります。
「自分のところで決められなかったところがすべてかなと。
チームを救えなかったことが悔しいです。
あれを決められる選手と決め切れない選手には大きな差があって、僕はまだ決め切れない選手で、決め切るようになるために、足りないものがあると痛感しました。」
プロの選手が、自分を「まだ決め切れない選手」と言葉にすることは、勇気のいる行為です。
失敗を認めることは、自分を責めることにもなりかねないからです。
それでも池田は、真正面からその事実を受け止めようとする。
「運も実力の内」と語りつつも、運に逃げない姿勢が、ここにはあります。
さらに彼は、スタジアムの雰囲気について、こんな言葉を残しています。
「こんな状況でも、チームの空気感やスタジアムの雰囲気は素晴らしいものがあるからこそ、今日は本当に勝ちたかった。
というか、勝たなければいけませんでした。
勝つか、引き分けるかではまったく違うので、悔しさが大きいです。」
結果がすべてと言われる世界で、「雰囲気が良かったからこそ勝ちたかった」と語る選手。
そこには、勝敗だけでは切り取れない「クラブとサポーターの関係性」が見え隠れします。
「今すぐに前を向くのは難しい」──それでもピッチに立ち続ける理由
京都戦後、池田は率直にこうも話しています。
「今すぐに前を向くのは難しい」
プロであっても、悔しさを一晩で切り替えられるわけではありません。
気持ちを引きずったままでも、次の試合に向けて体を動かさなければいけない。
それでも、彼は続けてこう語ります。
「残り4試合、厳しい状況ですけど、本当にやるしかない。
もう一段階、みんながまとまって、ひとつになれるように、取り組んでいきたいと思います」
そして、プロであることの意味を、こう問い直します。
「切り替えるのは難しいですけど、ここでバラバラになったらダメ。
残り4試合に向けて、次の福岡戦に向けて、根性を見せたいです。
結果はもちろん追い求めるなかで、まずはどんな状況でも、お金を払って試合を観に来てくれている人たちに対して、僕らプロがどんな姿勢を見せるのか。
改めて当たり前のところに立ち返って、覚悟を持って戦い抜きたい」
「お金を払って試合を観に来てくれている人たちに対して、自分たちは何を見せるのか」。
この視点は、すべての育成年代の選手が、そして子どもを支える親御さんや指導者が、どこかで一度は考えておくべき問いなのかもしれません。
点を取ること。
勝つこと。
それと同じくらい、「姿勢」もまた、プロサッカー選手の価値の一部です。
ファッションと「今を生きる」ということ
ピッチの外の池田昌生は、「おしゃれな選手」としてもチームメイトから一目置かれています。
古着屋で選んだTシャツ、デカめのデニムをロールアップしたスタイル、湘南らしさを意識した「緑」の差し色。
お気に入りはN.HOOLYWOOD。
「サッカー選手けっこう着てるんですけど、そのなかでも僕は初代なんじゃないかと思ってます」と笑いながら語る姿には、どこか少年っぽさも残ります。
独身時代は「ほとんど貯金をしたことがなく、服と遊びにお金を使っていた」と振り返り、結婚し子どもが生まれた今は、「汚れてもいい服ばかり」になったと話します。
奥さんからもらった靴やキーリングを「大事なアイテム」として挙げるあたりにも、見た目だけではない「大切にする感覚」がにじみます。
彼は自分の性格を「今を生きてるところ」と表現し、その長所も短所もそこにあると言います。
「自分の長所 今を生きてるところ」
「自分の短所 今を生きてるところ」
「今を生きる」ことは、時に無計画だと批判されることもあります。
しかし、90分という限られた時間で勝敗が決まり、ケガひとつでキャリアが変わる可能性があるプロサッカー選手にとって、「今」に全力を注ぎ込む感覚は、むしろ必須の資質なのかもしれません。
「サッカー以外の今年の最大の目標」に「一人で海外に行く」と書き、「いつか行ってみたい場所」に「イギリス」「どっかの村に1人で行きたい」と答える。
家族を大事にしながらも、ふと「一人になりたい景色」を思い描く。
そこにも、26歳という年齢ならではの等身大の揺らぎを見ることができます。
「あなたにとってサッカーとは?」「人生」
数々の質問のなかで、「あなたにとってサッカーとは?」という問いに、池田は迷うことなく「人生」と答えています。
もしサッカー選手になっていなければ、そして引退したら「営業マンになりたい」と書いている彼にとって、サッカーは「職業」であると同時に、「自分という人間を形づくってきたもの」そのものです。
彼は「得意なプレー」に「間でボールを受ける、ボールを持った時」と書き、試合前は音楽を聴き、ストレス解消にはサウナに入り、家に帰って子どもの笑顔を見るときに幸せを感じると言います。
練習場と家を往復する毎日のなかで、彼は意識して「おしゃれをして練習場に行く」ことも忘れません。
「サッカー選手がカッコいい服を着てないと、ひとから憧れられないと思うから、僕は意識してますね。」
「憧れられる存在であること」。
これは、プレーの質だけでなく、「見られ方」にも責任を持つという意味でもあります。
Jリーグを夢見る子どもたちは、ピッチ上のプレーだけでなく、スタジアムに向かう選手の姿、SNSに映る選手の私生活にも影響を受けます。
指導者や親御さんにとっては、そこに戸惑いを覚える部分もあるかもしれません。
それでも、時代は確実に変わりつつあります。
「かっこいいからサッカー選手に憧れる」という入り口からでも、サッカーに出会ってくれる子どもたちがいるのであれば、そのきっかけを軽視する理由は、どこにもないのではないでしょうか。
紆余曲折のなかで問われる、「プロでいる理由」
J3からJ1へ。
福島から湘南へ。
そして、残留争いという極限のプレッシャーのなかで、自分の「決め切れなさ」と向き合う26歳。
池田昌生のサッカー人生は、今も進行形です。
2024シーズンの彼は、リーグ戦32試合4得点(10月時点の記録)と、数字の上でもチームを支える存在になりつつあります。
けれども、彼自身はおそらく、満足してはいないでしょう。
「今年の目標(サッカー) 試合に出る、ゴール、アシストで2桁」と掲げた以上、その数字に届かなければ、自分の中で「まだ足りない」と感じるはずだからです。
「今の自分に足りないものは?」と問われ、「優しさ」と答えた彼は、決して自分に甘いタイプではありません。
京都戦後の「全部自分のせい」と言わんばかりのコメントにも、それがにじみ出ています。
では、そんな彼の姿から、育成年代の選手や指導者、親御さんは何を感じ取るべきでしょうか。
- アカデミーにいたからといって、J1への道が保証されているわけではないこと。
- J3からでも、試合に出続けることでJ1への扉が開くこと。
- 失敗や「決め切れなかった」経験から、真正面に目をそらさず学ぼうとする姿勢が、次のステップにつながること。
- プロである以上、結果だけでなく「姿勢」や「憧れられる存在であろうとする意識」が求められること。
そして何より、「あなたにとってサッカーとは?」という問いに、「人生」と答えられるかどうか。
その覚悟があるのかどうか。
Jリーグを夢見る選手たちに問いかけてみたくなります。
いま目の前にある練習メニュー、週末の試合、学校生活や友だち関係、そのすべてを含めて、「サッカー=人生」と言い切れるかどうか。
池田昌生は、決して特別なスター街道だけを歩いてきた選手ではありません。
それでも、彼の一つひとつの選択、悔しさ、喜び、そして「今を生きる」生き方のなかに、プロサッカー選手という仕事のリアルが濃縮されています。
湘南の7番、あるいは18番としてピッチに立つ彼の姿を、改めて静かに見つめてみるとき。
そのプレーの裏側にある歴史や感情、そしてこれから積み重ねていく未来に、自然と想いを馳せずにはいられません。






