サッカーの歴史をさかのぼると、記録を塗り替えただけでなく、競技のやり方そのものを変えてしまった人物に必ず行き当たります。ゴールを量産した選手、戦術の常識を書き換えた監督、そして自国のサッカーを一から立ち上げた人たち。世界と日本から13人、その足跡をたどります。
この13人を選んだ基準
「偉人」の選び方は人によって違います。ここでは次の3つの影響力を基準にしました。
- 競技への影響:プレーそのもので基準を引き上げたか
- 戦術・思想への影響:サッカーのやり方を書き換えたか
- 普及・社会への影響:競技の裾野や地位を広げたか
この基準で選んだ13人は次のとおりです。
| 人物 | 国 | 立場 | 代表的な功績 |
|---|---|---|---|
| ペレ | ブラジル | 選手 | W杯3度制覇(1958・1962・1970)=史上唯一 |
| ディエゴ・マラドーナ | アルゼンチン | 選手 | 1986年W杯優勝、大会5得点 |
| フランツ・ベッケンバウアー | 西ドイツ | 選手・監督 | 選手(1974)と監督(1990)でW杯制覇 |
| リオネル・メッシ | アルゼンチン | 選手 | 2022年W杯優勝 |
| クリスティアーノ・ロナウド | ポルトガル | 選手 | 史上初の6大会連続W杯得点 |
| ヨハン・クライフ | オランダ | 選手・監督 | トータルフットボール、バルサ初の欧州制覇(1992) |
| アリゴ・サッキ | イタリア | 監督 | ミランで欧州CUP連覇(1988/89・1989/90) |
| アーセン・ベンゲル | フランス | 監督 | 2003/04 プレミアリーグ無敗優勝 |
| アレックス・ファーガソン | スコットランド | 監督 | プレミアリーグ13回優勝 |
| ペップ・グアルディオラ | スペイン | 監督 | 2022/23 マンCで三冠 |
| 釜本邦茂 | 日本 | 選手 | 日本代表 76試合75得点=歴代最多 |
| 三浦知良 | 日本 | 選手 | 1967年生まれ、2026年も現役 |
| 澤穂希 | 日本 | 選手 | 国際Aマッチ205試合83得点=男女通じ歴代最多 |
競技を変えた選手たち
ペレ:ワールドカップを3度制した唯一の選手
ブラジルのペレは、1958年、1962年、1970年とワールドカップを3度制した史上唯一の選手です(FIFA公式)。1958年のスウェーデン大会に17歳で出場し、決勝で2得点。以後60年以上、この記録に並んだ選手はいません。
ペレが変えたのは記録だけではありません。サッカー選手が国を代表する文化的存在になりうることを最初に示した人物でもあります。2022年12月29日に逝去し、FIFAは追悼のなかで彼を競技の象徴として位置づけました。
ディエゴ・マラドーナ:1人で大会を制した象徴
アルゼンチンのマラドーナは、1986年メキシコ大会で5得点を挙げ、アルゼンチンを優勝に導きました(FIFA公式)。準々決勝のイングランド戦での2得点(「神の手」と、自陣から5人を抜き去った得点)は、いまも大会史を語るうえで欠かせない場面です。
「1人の選手がチームを優勝させることができるのか」という問いに対して、実例で答えてしまった選手でした。2020年に逝去しています。
フランツ・ベッケンバウアー:選手としても監督としても頂点に立った
西ドイツのベッケンバウアーは、選手として1974年、監督として1990年にワールドカップを制しました。この両方を成し遂げたのは、マリオ・ザガロに次いで2人目です(FIFA公式)。
守備的な役割だった「リベロ」を、最終ラインから攻撃を組み立てるポジションへ作り替えた人物としても知られます。ディフェンダーが試合を作るという発想は、現代のセンターバック像に直接つながっています。2024年1月7日、78歳で逝去しました。
リオネル・メッシ:キャリアの最後に残っていた1つを獲った
アルゼンチンのメッシは、クラブでも代表でも記録を積み上げてきた選手ですが、長く手にできずにいたのがワールドカップでした。2022年のカタール大会で優勝し、そのピースが埋まりました(FIFA公式)。
メッシの影響は数字よりも、「小柄でもトップに立てる」という前提を世界中の育成現場に与えたことにあります。体格を理由に諦めさせない根拠として、いまも引用され続けています。
クリスティアーノ・ロナウド:継続そのものを記録に変えた
ポルトガルのC.ロナウドは、史上初となる6大会連続でのワールドカップ得点を達成しました(FIFA公式)。1大会だけ突出したのではなく、20年以上にわたって同じ水準を出し続けたことが記録の中身です。
その継続を支えているのが徹底した自己管理であることは広く知られています。詳しくはクリスティアーノ・ロナウドの習慣とメンタルの記事で解説しています。
戦術と思想を変えた監督たち
ヨハン・クライフ:トータルフットボールを選手としても監督としても実装した
オランダのクライフは、選手としてリヌス・ミケルスのもとでトータルフットボールを体現しました。全員が守備に参加し、全員が攻撃に加わる。ポジションの固定概念を壊したこの考え方は、現代サッカーの土台になっています。
監督としては、バルセロナで「ドリームチーム」を率い、1992年5月20日、ウェンブリーでサンプドリアを破ってクラブ史上初の欧州チャンピオンズカップ制覇を成し遂げました(FCバルセロナ公式)。1990年から1994年にはリーグ4連覇も達成しています。
クライフの本当の功績は、タイトルよりもバルセロナに「どう戦うか」の思想を植えつけ、それが後継者に受け継がれる形を作ったことです。2016年、68歳で逝去しました。
アリゴ・サッキ:守り方の常識を書き換えた
イタリアのサッキは、ACミランで1988/89と1989/90の欧州チャンピオンズカップ連覇を達成しました(ACミラン公式)。
彼のミランは4-4-2でゾーンマークを敷き、高い最終ラインとオフサイドトラップを用い、激しくプレスをかけるチームでした。守備は引いて耐えるものだというイタリアの常識を、「守備は前から奪いにいくものだ」に変えたのがサッキです。現代のハイプレスとラインコントロールは、ここから始まっています。
アーセン・ベンゲル:1シーズンを無敗で駆け抜けた
フランス出身のベンゲルは、アーセナルの監督として2003/04シーズンのプレミアリーグを無敗で制覇しました。26勝12分、2位に11ポイント差という内容で、リーグ戦を1度も落とさずに終えたのは1889年のプレストン・ノースエンド以来の出来事でした(プレミアリーグ公式)。このチームは「The Invincibles(無敵の者たち)」と呼ばれています。
ベンゲルはまた、食事・コンディショニング・データといった科学的なアプローチをイングランドに持ち込んだ監督としても知られます。ピッチ外の管理が勝敗を左右するという考え方を定着させた点で、影響は戦術以上に広いといえます。
アレックス・ファーガソン:勝ち続ける組織を26年維持した
スコットランド出身のファーガソンは、マンチェスター・ユナイテッドでプレミアリーグを13回制覇し、英国サッカー史上最も成功した監督とされています(プレミアリーグ公式)。
特筆すべきは、1つの強いチームを作ったのではなく、世代交代を繰り返しながら勝ち続けたことです。監督の仕事が「今季の戦術」だけでないことを、26年という時間で証明しました。
ペップ・グアルディオラ:ボール保持を勝つための方法論にした
スペインのグアルディオラは、クライフのバルセロナで選手としてプレーし、その思想を監督として発展させました。マンチェスター・シティでは2022/23シーズンにプレミアリーグ・UEFAチャンピオンズリーグ・FAカップの三冠を達成。イングランドのクラブとしては1998/99のマンチェスター・ユナイテッドに次ぐ2例目です(プレミアリーグ公式)。
ボールを保持して相手を動かし、失った瞬間に即時奪回する。この方法論は世界中のクラブと育成年代に広がりました。戦術の系譜としてはクライフから続く流れの上にあります。この流れ全体はサッカー戦術の変遷を扱った記事で解説しています。
日本サッカーの偉人たち
釜本邦茂:日本代表の得点記録は、いまも破られていない
釜本邦茂は、1964年から1977年にかけて日本代表として76試合に出場し75得点を記録しました。これは男子日本代表としては、いまも破られていない歴代最多得点です(日本サッカー協会)。
1968年メキシコオリンピックでは7得点を挙げて大会得点王となり、日本の銅メダル獲得を牽引しました。クラブではヤンマーで251試合202得点、JSL得点王7回。指導者としてもヤンマー、ガンバ大阪で監督を務め、その後はJFA副会長として2002年ワールドカップの招致・強化に関わりました。2005年に日本サッカー殿堂入り。
2025年8月10日、81歳で逝去しました。日本のサッカーが世界に届いた最初の証明が、この人の得点記録です。
三浦知良:1967年生まれ、2026年も現役
「キング・カズ」こと三浦知良は、1967年2月26日生まれ。ブラジルのサントスFCでキャリアを始め、ジェノア(イタリア)、クロアチア・ザグレブ、京都、神戸、横浜FC、シドニーFC、UDオリヴェイレンセ(ポルトガル)、アトレチコ鈴鹿クラブと渡り歩いてきました。
2026年シーズンは福島ユナイテッドFCの背番号11としてプレーしています(福島ユナイテッドFC公式)。横浜FCからの期限付き移籍で、2026年6月25日には移籍期間を2027年6月30日まで延長することが発表されました(横浜FC公式)。
生年から計算すればわかるとおり、60歳が目前に迫ってなおプロ契約を更新しているということです。ここで年齢を数字で書かないのは、この記録が毎年更新されていくものだからです。日本サッカーがまだプロ化していなかった時代に単身ブラジルへ渡った選手が、Jリーグ発足から30年以上たっても現役でいる。それ自体が日本サッカー史の一部になっています。
澤穂希:男女を通じて日本代表最多の記録保持者
澤穂希は、国際Aマッチ205試合出場83得点という、男女を通じて日本代表の歴代最多となる記録を持っています。
2011年のFIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会では、キャプテンとしてチームを牽引し、日本サッカー史上初のFIFA大会制覇に貢献。同大会で得点王とゴールデンボール(大会最優秀選手)の二冠を達成しました。2012年のロンドンオリンピックでは、サッカーで男女を通じて初となる銀メダル獲得に寄与しています(日本サッカー協会)。同年のFIFA女子年間最優秀選手賞も受賞しました。
そして2026年8月3日、第22回日本サッカー殿堂の掲額者に決定したことがJFAから発表されています(今西和男氏、田嶋幸三氏とともに3名)。
日本サッカーの偉人を語るとき、男子だけを並べるのは事実として不正確です。男女を通じた日本代表の最多出場・最多得点という記録そのものを持っているのは、澤穂希です。
偉人たちが変えたもの
13人を並べてみると、共通しているのは「うまかった」ことではありません。
ペレやマラドーナ、メッシはできることの上限を引き上げました。クライフとサッキはやり方そのものを書き換えました。ベンゲルとファーガソンは勝ち続けるための仕組みを作りました。釜本は日本のサッカーが世界に通用することを最初に証明し、澤はその最高到達点を更新し、カズは続けることの意味を体で示し続けています。
つまり偉人とは、記録を作った人ではなく、その後に続く人たちの前提を変えた人のことです。誰かが不可能だと思っていたことを一度やってしまえば、次の世代にとってそれは「可能なこと」になります。
サッカーの歴史をさらに追いたい方は、サッカー戦術の変遷と、サッカーが世界中で愛される理由もあわせてお読みください。
