谷晃生という物語――「0から1」を動かしてきたゴールキーパーの人生
GKが脚光を浴びるとき、それはたいてい「失点」か「ビッグセーブ」の瞬間だ。
けれど、90分の大半は映らない時間であり、評価も結果も、チームの運命すら、自分のプレーひとつで揺らいでしまうポジションでもある。
FC町田ゼルビアと日本代表のゴールキーパー、谷晃生(たに・こうせい)のサッカー人生は、この「不安定さ」とどう向き合うかを問い続けてきた時間でもあった。
大阪・堺から始まり、ガンバ大阪のユース、湘南ベルマーレでの飛躍、ガンバ復帰後の苦しみ、ベルギーでの挑戦、そして町田での覚醒と天皇杯優勝、再び開いた日本代表への扉。
そのひとつひとつが、育成年代の選手や指導者、親御さんにとって「ゴールキーパーとして」「一人の選手として」大切なヒントを含んでいるように思う。
堺の少年が「飛び級」でトップへ――ガンバ大阪ユース時代
大阪府堺市南区で生まれた谷晃生は、TSK泉北サッカークラブからガンバ大阪ジュニアユースへと進み、堺市立原山台中学校、追手門学院高校と歩みながら、早くからその才能を認められてきた。
母は新日鐵堺に所属した元バレーボール選手。
空中戦の感覚や、ボディバランス、競技者としてのメンタリティは、もしかするとそんな家庭環境から自然と身についていたのかもしれない。
2016年4月、高校1年生。
ガンバ大阪のトップチームに「2種登録」される。
まだ16歳だった。
2017年3月12日、J3第1節ガイナーレ鳥取戦。
ガンバ大阪U-23の一員としてJリーグ初出場を果たした。
16歳3カ月18日。
J3では久保建英に次ぐ歴代2位、Jリーグ全体でも歴代5位の年少出場記録だった。
同年のルヴァンカップ準々決勝・ヴィッセル神戸戦ではトップチームのベンチを経験。
そしてシーズン終盤、ガンバ大阪ユースから堂安律以来となる「飛び級昇格」でトップチーム入り。
「順風満帆」に見えるキャリアの始まりだった。
早すぎる誉れは「スタートライン」に過ぎない
2018年、プロ1年目で迎えたガンバ大阪。
5月のルヴァンカップ・サンフレッチェ広島戦でトップチーム初先発を飾る。
だが、J1の正GKへの道は決して平坦ではなかった。
育成年代で飛び級を繰り返し、周囲から「次世代の守護神」と期待される選手ほど、プロに入ってからのギャップに苦しむことは少なくない。
「上に早く触ってきた」ことと、「上でポジションを掴み続ける」ことは、まったくレベルの違う話だからだ。
このギャップにどう向き合えばいいのか。
そこに谷晃生の物語の、最初の「問い」が生まれてくる。
湘南ベルマーレでつかんだ「守護神」の座と、責任の重さ
2019年末、谷はガンバ大阪から湘南ベルマーレへの期限付き移籍を決断する。
2020年、背番号25。
第6節・鹿島アントラーズ戦でJ1初出場を果たし、クリーンシートでチームのリーグ戦初勝利に貢献する。
そのまま正GKに定着し、リーグ戦25試合に先発。
2021年には背番号1を託され、2022年も含めて3シーズン、湘南のゴールマウスを守り続けた。
「正GKになる」と「正GKとして生きる」は、やはり違う。
毎試合、失点は自分の責任として背負い、チームの残留や順位が自分のパフォーマンス一つに左右される感覚。
若いゴールキーパーにとって、そのプレッシャーは想像を超える重さだ。
にもかかわらず、20歳そこそこの彼は湘南の「最後の砦」としてピッチに立ち続けた。
育成年代の代表では、U-16、U-17、U-19、U-20、U-23…。
「00年世代の正GK」として、AFC U-16選手権2016、U-17ワールドカップ2017など、常にゴールを託されてきた。
2017年のU-17W杯で、日本はフィル・フォーデン擁するイングランド相手に大会唯一の完封を達成。
2018年のU-19ブラジル遠征では、ロドリゴ擁するブラジル代表を完封している。
ここには、あるメンタリティが一貫して見える。
「強い相手とやるときほど燃える」
決して大口を叩くタイプではない。
それでも、ピッチに立てば「自分が最後の一人だ」という覚悟を持ってゴールに立つ。
その姿勢が、湘南ベルマーレの3シーズンでより濃く、より鋭く研ぎ澄まされていった。
東京オリンピックと、届かなかったメダル
2021年、東京オリンピック。
U-24日本代表の正GKに選ばれた谷は、6試合すべてにフル出場する。
準々決勝のニュージーランド戦。
PK戦にもつれ込んだ90分+延長の死闘で、相手2本目のキックを完全に読み切り、両手でセーブ。
あの一本で、日本中の記憶に「谷晃生」の名前が刻まれた。
準決勝の相手はU-24スペイン。
後にUEFA EURO 2024で全勝優勝を達成するスペイン代表の中核選手たちが名を連ねたチームだ。
延長115分まで粘り強く勝機を手繰り寄せた日本は、最後の最後で失点し、決勝進出を逃す。
3位決定戦でもメキシコに3失点を喫し、53年ぶりのメダルは届かなかった。
代表で味わう歓喜と悔しさ。
この経験を、彼はこうした大会後のインタビューで、しばしば冷静に振り返ってきた。
「代表に選ばれたときも、選ばれなくなってからも、僕自身がやることはまったく変わらない」
結果は忘れがたい。
だが、その結果に溺れず、あるいはとらわれず、「毎日やるべきことは同じ」と言える選手がどれだけいるだろうか。
育成年代の選手たちに問いたくなる。
「選ばれたとき」と「選ばれなかったとき」、あなたのプレーは変わっていないか。
ガンバ大阪復帰と、苦しい現実
2023シーズン。
湘南での充実した3年を経て、谷は古巣・ガンバ大阪へ復帰する。
開幕戦で先発に抜擢され、東口順昭とのレギュラー争いが始まる。
しかしここで、ゴールキーパーというポジションの残酷さが、改めて彼の前に立ちはだかる。
ガンバの成績は上向かず、谷自身も「不安定なプレーで失点に絡む」と評価される場面が増えていく。
5月中旬以降、ポジションは東口に譲らざるを得なかった。
「代表の正GK候補」から、「クラブでポジションを失った選手」へ。
この変化に、選手本人がどう向き合うか。
調子を崩したまま沈んでいく選手もいる。
ただ、谷は違う選択をした。
ベルギー2部・FCVデンデルEHへの移籍と、見えた「違う世界」
2023年8月、ベルギー2部・FCVデンデルEHへの期限付き移籍が発表される。
ヨーロッパでのプレー機会は限られ、リーグ戦出場は1試合。
それでも、海外のトレーニング環境やプレースピード、文化の違いに触れたことは、彼の視野を確実に広げた。
のちに自身が日本代表でのオーストラリア戦を振り返ったとき、こんな言葉を残している。
「いろいろなものを自分のなかで吸収できて、少し違った世界が見えてくるかなと思っています。実際に何か吹っ切れたというか、帰ってきてからは少し余裕が出ているというか、視野がちょっと広がったかな、と」
出場試合数だけを見れば、「失敗だった」と簡単に切り捨てる人もいるかもしれない。
しかし、若い時期に外へ出て「自分の当たり前が通じない場所」を経験することの意味は、数字だけでは測れない。
育成年代の選手にとっても、「試合に出られない環境」は必ずしもマイナスとは限らない。
そこから何を感じ、何を持ち帰るか。
谷はベルギーで、その問いを自分なりに掘り下げていたのではないだろうか。
FC町田ゼルビアへの決断――「残留争いかな」と思っていたクラブで
2024年1月。
FC町田ゼルビアへの期限付き移籍が発表される。
J1初挑戦のクラブ。
率いるのは、高校サッカー界で青森山田を常勝軍団に育て上げ、プロの世界に飛び込んできた黒田剛監督。
のちに谷は、当時の心境をこう振り返っている。
「昨シーズンに僕が来たときは『残留争いかな』と思っていました」
予感は、見事に裏切られる。
町田は2024シーズン、J1で9月まで首位を走り、最終的には3位でフィニッシュ。
クラブ史上初のACLエリート出場を決め、リーグ最少失点「34」という記録を残した。
その最後尾に立っていたのが、背番号1の谷晃生だった。
このシーズン、出場停止だった第8節ヴィッセル神戸戦を除き、他の36試合すべてにフル出場。
「守護神」という言葉が、ようやく彼の居場所にしっくりと馴染み始めた。
黒田剛と築いた「打たれても大丈夫だろう」の関係性
黒田監督は「相手にシュートを打たせない」というコンセプトを掲げる。
しかし、サッカーは相手もあるスポーツだ。
被シュート数をゼロにする試合など、ほとんど存在しない。
だからこそ、その後ろに立つGKへの信頼が欠かせない。
キャプテンの昌子源は、こう語っている。
「『打たれても大丈夫だろう』と思えるような存在感を晃生が発揮してくれている。実際に『それを止めるんだ』という場面が何度もあった。それがあるからこそ、僕たちも思い切っていけている。晃生がいるから勝てている、勝ち点3を獲れている、といっても過言じゃない」
「打たせない守備」と「打たれても止めるGK」。
両者がかみ合ったとき、チームは初めて「最少失点」という結果を手にする。
守備陣が前に出て潰しに行けるのは、最後尾への絶対的な信頼があるからだ。
育成年代のDFやGKにとって、この関係性は大きな学びになる。
互いを信じ切るために、何が必要か。
技術か、声か、日々の姿勢か。
谷と昌子の関係性は、その答えを考えるきっかけを与えてくれる。
天皇杯優勝と「0から1」に名前を刻んだ25歳
2025年1月4日。
谷はFC町田ゼルビアへの完全移籍を決断する。
「期限付きだろうと完全だろうと、チームのために戦うことは変わらない」
そう語っていた彼にとって、クラブとの距離がさらに近づいた瞬間でもあった。
そして、2025年12月22日。
天皇杯決勝・FC町田ゼルビア対ヴィッセル神戸。
会場は国立競技場。
この日は、谷の25歳の誕生日でもあった。
「ひとつ目の星なので、そこはチームの歴史が動いたと思っています。(タイトル数が)0から1、というところはすごく大きなものだし、そこの歴史に自分の名前を刻めたのもすごくうれしいですね」
開始前、黒田監督は選手たちにこう伝える。
「開始15分で試合が絶対に動く」
その言葉どおり、前半6分に先制点。
そして22分、神戸の決定機。
酒井高徳のクロスを武藤嘉紀が折り返し、井手口陽介がどフリーでボレーを放つ。
多くの選手がボールウォッチャーになるなか、谷だけが神戸の動きとスペースを把握していた。
「クロスが入ったその折り返しでエアポケットができていたというか、空いてしまったところで、僕自身は相手の動きは見えていました。そこで先に動かずに、自分の捕れる範囲に来たボールだけにしっかりと反応する、というところだけを意識していました」
至近距離からの強烈な一撃を弾き出したビッグセーブ。
試合の流れを左右するワンプレーであり、まさに「守護神」の仕事そのものだった。
3-1での勝利。
クラブ史上初の主要タイトル。
ゴール前で膝をつき、小さくガッツポーズを作った彼の姿は、華やかなヒーローインタビューではなく、積み重ねてきた日々への静かな誇りそのものに見えた。
そして、試合後の言葉もやはりブレていない。
「代表に選ばれたときもそうですし、選ばれなくなってからもそうですけど、僕自身がやることはまったく変わらない。チームの勝利のために、そしてチームのタイトル獲得のために本当に一戦一戦、毎日毎日、自分の成長とチームの勝利のために、そこだけにフォーカスしてやってきました」
タイトルを獲ったからといって、何かを変えるつもりはない。
その言葉は、育成年代の選手たちにとって「結果と向き合う姿勢」のひとつの答えを示している。
日本代表での苦さと、「崩れない」選手の条件
町田での活躍が認められ、2024年6月、谷は約1年ぶりに日本代表へ復帰する。
2026年W杯アジア2次予選シリア戦では途中出場。
そして2025年6月5日、W杯アジア3次予選・オーストラリア戦。
海外組も含めたフルメンバーの中で、初めてスタメンに名を連ねた。
だが、この試合は0-1の敗戦。
後半、自らのキックミスからピンチを招き、90分の失点につながってしまう場面もあった。
夢見てきた舞台での、苦い現実。
ここで心が折れてもおかしくはない。
その後、E-1サッカー選手権ではメンバーから外れ、代わって選ばれた早川友基がチームに定着していく。
昌子源は、その時間をそばで見てきたひとりだ。
「彼のなかで思う部分も絶対にあったはずですけど、そこから崩れていく選手はずっと崩れていきそうななかで、彼は自分で立て直して、自分にしっかりとフォーカスして、いろいろなトライをしているのを僕は見てきましたから」
「選ばれなかったとき」に、何をするか。
崩れていくか、自分にフォーカスし続けるか。
この分岐点に立ったとき、谷晃生は後者を選び続けている。
それが、FC町田ゼルビアでの天皇杯優勝と、2025年9月23日の京都戦でJリーグ通算200試合出場を達成した現在地につながっている。
「0から1」を動かす選手と、日本サッカーへの問いかけ
ガンバ大阪ユースからの飛び級昇格。
湘南ベルマーレでの守護神としての3シーズン。
東京オリンピックでの6試合フル出場とメダルを逃した悔しさ。
ガンバ復帰後のポジション喪失。
ベルギー2部・FCVデンデルEHへの挑戦。
FC町田ゼルビアでの覚醒と、J1最少失点、天皇杯初優勝。
日本代表での起用と落選、そして再びの招集。
谷晃生のサッカー人生は、一直線ではない。
むしろ、「上がって、落ちて、また上がる」を繰り返してきた軌跡だ。
それでも、彼の言葉は一貫している。
「自分がやることは変わらない」
育成年代の選手たちにとって、「才能」や「早熟さ」よりも大切なものがあるとすれば、それはこの「ぶれない軸」なのかもしれない。
Jリーグを夢見る子どもたちに問いかけてみたい。
- 選ばれたとき、あなたはどう振る舞うか。
- 選ばれなかったとき、何を続けられるか。
- ポジションを失ったとき、自分にどこまで向き合えるか。
指導者や親御さんにとっても、谷晃生という選手は、ひとつの問いを投げかけてくる。
- 失敗したGKに、どんな声をかけるのか。
- 結果が出ない時期の選手に、どんな環境を与えられるのか。
- 「0から1」を一緒に喜べるチームをどうつくるのか。
国立競技場での天皇杯優勝後、谷は長く余韻に浸ることはなかった。
すぐに、次のタイトルを目指して日常へ戻っていく。
町田の星を「0から1」へと動かした守護神は、もう次の「2」を見据えている。
変わり続ける日本サッカーの中で、ゴールマウスだけは、変わらない覚悟を持つ選手が守っている。
その一人が、谷晃生というゴールキーパーなのだと、静かに受け止めたくなる。






