食野壮磨という物語。兄の背中と、自分だけの景色と。
「攻撃では違いを出せる自信はある」。
東京ヴェルディでプロキャリアを踏み出した食野壮磨は、静かに、しかしはっきりとそう言い切った。
その言葉の裏には、ガンバ大阪の下部組織で過ごした日々、大学サッカーで味わった責任と歓喜、そしてJ1のピッチに立つまでの、決して平坦ではないサッカー人生がある。
泉佐野からJリーグへ――兄と共に歩んだはじまり
2001年5月20日、大阪府泉佐野市に生まれた食野壮磨。
地元のジョイナスFCでボールを追いかけた少年は、やがてガンバ大阪ジュニアユース、ユースへとステップアップしていく。
多くの子どもたちが夢見る「Jクラブ下部組織でのプレー」を、彼は早い段階で現実のものとして歩み始めた。
その環境には、常に「兄の存在」があった。
3歳上の兄・食野亮太郎。
ガンバ大阪でプロとしてプレーし、海外も経験した兄は、壮磨にとって追いかける背中であり、同じクラブに所属することで、常に比較の対象ともなり得る存在だった。
2019年。
ガンバ大阪ユース3年生だった壮磨は、トップチームに2種登録され、J3リーグを戦うガンバ大阪U-23でプレーするチャンスをつかむ。
J3で10試合に出場し1得点。
数字だけを見れば派手ではないかもしれない。
しかし、そのたった1点は、彼にとって忘れられない瞬間となる。
2019年3月31日、J3第4節・Y.S.C.C.横浜戦。
後半途中からピッチに送り出された壮磨は、これがJリーグ初出場の舞台だった。
そして、その試合で初ゴール。
同じ試合で兄・亮太郎も得点を決め、「兄弟揃って出場・揃ってゴール」という、まるで物語の一場面のような1日になった。
育成年代の選手にとって、「名前のある兄弟」を持つことは、時に武器であり、時にプレッシャーにもなる。
「兄の弟」として見られることに、無意識のうちに比べられることに、戸惑うことはなかっただろうか。
それでも、自分のゴールで兄と並び立ったあの日のピッチで、彼はきっと「食野壮磨」としての輪郭を、少しだけはっきりと掴み始めていたのかもしれない。
ガンバ大阪ユース卒業、京都産業大学へ――あえて選んだ遠回り
多くのJクラブユース出身者が、トップ昇格か、そのままJクラブへと進む道を模索する中で、食野壮磨は「大学進学」という選択をする。
京都産業大学への進学。
J3で試合に出て、2種登録もされて、ユース時代にJのピッチを踏んだ選手が、だ。
ここに、彼のサッカー人生のひとつのターニングポイントがある。
「プロになれるのか」「この先、自分はどこまで行けるのか」。
そんな問いと向き合いながら、あえて大学での4年間を選ぶことは、簡単な決断ではない。
しかし、その選択こそが、後の彼を大きく成長させていく。
京都産業大学では、関西学生サッカーリーグという、プロ予備軍とも言える厳しい環境の中で、自分を鍛え直す日々が続いた。
4年次の2023年。
彼はチームの主将としてピッチに立ち、関西学生サッカーリーグ1部の「初優勝」、そして「リーグMVP」という結果を手にする。
ガンバ大阪のエリート街道から一度離れ、大学サッカーの「泥臭さ」と「責任」を背負う場で、自分のリーダーシップとプレーヤーとしての価値を証明した4年間。
育成年代の選手たちにとって、「ユースから直接Jに行けなかった=終わり」ではないことを、彼の歩みは静かに物語っている。
東京ヴェルディという選択――J2を戦うクラブに決めた理由
2023年7月19日。
当時J2を戦っていた東京ヴェルディが、京都産業大学の主将・食野壮磨の2024シーズンからの加入内定を発表する。
そのわずか数カ月後、ヴェルディはJ1昇格プレーオフを勝ち抜き、16年ぶりのJ1復帰を果たすことになる。
しかし、壮磨が東京ヴェルディ行きを決断した時点では、クラブはまだJ2のチームだった。
それでも彼は、迷いなくこのクラブを選んでいる。
「まずはこの環境というか選手の質、あとは城福監督の存在が大きかったです。」
「城福監督の下でやれば、もっと成長できると思っていますし、より自分の弱みを克服して長所を伸ばしてくれる監督だと考えています。」
「どのカテゴリーにいるか」よりも、「どんな監督、どんなチームで自分を磨くか」。
その視点でクラブを選んだことは、プロを目指す高校生・大学生にとって、ひとつの大きなヒントになる。
J1クラブからのオファーだけが正解ではない。
自分の長所と課題を理解し、そこに向き合ってくれる指導者がいるかどうか。
その目利きが、長いサッカー人生を左右することがある。
そして、彼はこうも語っている。
「『ここでやればもっとお前は成長して良い選手になれる』と城福監督から言ってもらいました。」
「強化部の方からも自分の長所を評価していただいたので、その長所と課題に向き合ってそこを伸ばしてくれるという感覚を得られた。そこがひとつ決め手でした。」
選ばれる側でありながら、「どこで、誰と、自分を成長させるか」を主体的に選んだ決断。
その結果が、「J2加入内定→クラブのJ1昇格→J1でのデビュー」という流れを生んだことも、どこか象徴的だ。
「プロ1年目」の現実――天然芝と、名前のあるチームメイトたち
2024年1月。
新体制発表会見を終え、翌日の始動日。
食野壮磨は、東京ヴェルディの一員として初めてのトレーニングに臨んだ。
「天然芝での練習は学生時代とは全く違いますし、周りの選手も名前がすごくある選手ばかりなので、そういうところで自分がプロになったことを実感しました。」
Jリーガーになった瞬間、景色は一気に変わる。
憧れだった選手がチームメイトになり、毎日のトレーニングが、契約と評価に直結する「仕事」になる。
プロになることはゴールではなく、スタートでしかない。
「プロになって満足するのではなく試合に出て活躍しないと意味がないと思うので、ここからのトレーニングやキャンプでしっかりとアピールして開幕から試合に出られるようにやっていきたいです。」
この感覚を、どれだけ早く持てるか。
それは、育成年代から「試合に出て勝利に貢献すること」の価値を理解してきたかどうかと、深くつながっている。
また、東京ヴェルディには関西学生サッカー出身の選手も多く、彼にとっては心強い環境が整っていた。
「関西学院大学卒の選手や河村匠くんも大体大だったので、関西学生選抜とかで一緒にやっていました。」
「今は(関西出身が)多くなったところで馴染みやすさも感じています。」
同じルートを歩んできた仲間が、今度はプロの世界でライバルとして、時に同じユニフォームを着るチームメイトとして存在する。
大学サッカーからプロへと進む道が、今や確かな一本のルートとして機能していることを、彼らの存在が証明している。
森下仁志との再会――「サッカー感を変えてくれた人」と再び
2024シーズンから東京ヴェルディにコーチとして加わった森下仁志。
かつてガンバ大阪U-23の監督を務めていた森下は、高3の時期にU-23でプレーしていた食野兄弟を指導した、言わば「育ての親」のひとりである。
「高3の1月から8月ぐらいまでの期間に自分は(ガンバ大阪)U-23にいたので、そのときに指導してもらいました。」
「その半年の期間に自分のサッカー感が変わったというか、本当に自分が一番成長した。メンタル的にもプレーヤーとしても本当に成長させてもらった人なので、すごく熱いですし愛情のある方です。」
「まさかまさかここで一緒にやるとは思っていなかったので、すごく縁を感じます。」
育成年代で自分の価値観を揺さぶってくれた指導者と、プロの世界で再会する。
それは、偶然であり、必然でもあるように感じられる。
指導者との出会いは、選手の人生を大きく変える。
「サッカー感が変わった」と言い切れる指導者に、一度でも巡り会えることは幸運だ。
そして、その指導者と再び同じチームで働けるという事実は、彼のこれからのキャリアにおいて、確かな追い風となっていくだろう。
自分のプレーモデル――「ドリブラーではない」攻撃的MFの価値
食野壮磨は、自らのプレースタイルをこう語る。
「1.5列目であったりサイドでのプレーを想定しています。」
「自分はドリブルで仕掛けるタイプではないですが、自分のところで間でボールを受けながら前線に絡んでいくスタイルはサイドでもトップ下でもできると思うので、よりゴールに近い位置でプレーしたいと思っています。」
「ドリブルで抜きまくる10番」だけが、攻撃的MFではない。
相手のライン間でボールを受け、前線とのつなぎ役になりながら、自らもフィニッシュに顔を出す。
現代サッカーで求められる「1.5列目」の選手像に、彼は自分を重ねている。
そして、大学時代から評価されてきた「ゴールに直結するプレー」への意識は、プロの舞台に上がっても変わらない。
「攻撃のところでゴールに直結するプレーでは違いを出したいと思います。」
「攻撃では違いを出せる自信はあるので、そういうところはもっと伸ばしていきたいです。」
一方で、プロの世界で生き残るための課題も自覚している。
「守備のところは強く求められると思うので、そこでチームとしてのやり方や自分自身の強度をもっと高めていかないといけないです。」
攻撃のクオリティだけでは、90分間を任されない。
チームの戦術の中で、どれだけハードワークできるか。
どれだけ「守備でも使える選手」になれるか。
この自覚が、プロ1年目の成長速度を決めていく。
J1でのデビューと、数字にならない時間
2024年3月16日、J1第4節・アルビレックス新潟戦。
東京ヴェルディのユニフォームを着た食野壮磨は、後半途中から途中出場し、J1デビューを飾る。
J3での初ゴールから5年。
大学を経由しながらも、彼は再びJリーグのピッチに戻ってきた。
2024シーズンは、リーグ7試合出場、カップ戦や天皇杯も含めて9試合に出場(2024年シーズン分集計)。
得点こそまだ記録していないが、「プロ1年目」としてJ1の強度とスピードを体感しながら、少しずつ存在感を高めていくシーズンになった。
スタッツに残る数字はまだ多くない。
しかし、スタメン争い、ベンチ入りの競争、毎日のトレーニングの積み重ね。
そのすべてが、プロ選手としての基礎体力を築いていく時間であり、外からは見えにくい「土台作り」の季節だ。
育成年代の選手や、その親御さんにとって、「プロ1年目なのに試合にあまり出ていない」という事実は、不安に映ることもあるかもしれない。
だが、プロのキャリアは1年で完結するものではなく、むしろ「1年目に何を学び、2年目以降にどう反映していくか」が問われる長距離走だ。
兄とのJ1の舞台で――家族とサッカーと、距離感
ガンバ大阪でプレーする兄・食野亮太郎との関係について、壮磨はこう話している。
「正月はもちろん会いましたが、あまりサッカーの話はしていません。自分は甥っ子とばかり遊んでました。」
「ヴェルディに加入が決まったときには連絡し、『良いチームだな』って言ってもらえました。」
「J1昇格が決まったときも、『一緒に戦えるな』と言われました。」
サッカー選手同士の兄弟というと、日々戦術を語り合っているようなイメージを持たれがちだ。
しかし、彼らの日常は、案外「普通の兄弟」と変わらないのかもしれない。
「サッカーの話をあまりしない」。
それは、サッカーが生活の中心にあるからこそ、家族といる時間くらいは、ただの兄弟でいたいという感覚の表れでもあるだろう。
それでも、「一緒に戦えるな」という言葉には、兄としての誇らしさと、同じステージに立つ者としての喜びが滲んでいる。
J1の舞台で、兄弟がそれぞれのユニフォームを着て相まみえる日。
その瞬間は、家族にとっても、ガンバ大阪と東京ヴェルディのサポーターにとっても、特別な時間になるに違いない。
「海外」と「日本代表」を見据えながら、いま何を積み上げるのか
食野壮磨は、すでにその視線を次のステージにも向けている。
「今年からJ1で戦うというところでしっかりと試合に出て、自分は海外や日本代表を目標にしているのでよりステップアップしていきたい。」
「ここで活躍することでより高みに近づくと考えていますし、ポジティブに捉えています。」
J1に上がったから終わり、ではない。
J1で試合に絡み、結果を残し、それをステップに海外や代表を狙っていく。
道筋はシンプルだが、その一歩一歩は決して簡単ではない。
プロの世界では、「才能」だけでなく、「選択」と「準備」がものを言う。
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ガンバ大阪ユースから、あえて京都産業大学を選んだこと。
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J2だった東京ヴェルディを、監督と環境を見て選んだこと。
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プロ1年目から、自分の長所と課題を明確に言語化していること。
これらはすべて、「自分のキャリアを自分でデザインしようとする姿勢」の表れでもある。
育成年代の選手にとって、「どこに所属しているか」以上に、「自分が何を選び、そこで何を身につけているか」を考えることの重要性を、彼の歩みは教えてくれる。
問いかけとしての「食野壮磨」――育成年代とその周囲へ
食野壮磨のサッカー人生をたどると、日本の育成環境の今が、いくつも浮かび上がってくる。
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Jクラブユースで2種登録され、Jの公式戦にも出ていながら、大学へ進んだこと。
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大学サッカーで主将を務め、リーグ優勝とMVPを勝ち取ってから、Jクラブに戻ってきたこと。
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J2のクラブを、「誰がいるか」「どんな監督か」で選択し、そのクラブとともにJ1へ上がっていったこと。
これは、「一度プロから離れたら戻れない」という固定観念を、静かに壊していく物語だ。
また、「兄が有名だから」「ユースからトップに行けなかったから」といった理由で、自分の価値を低く見積もってしまいそうになる選手たちにとっても、大きなヒントを与えてくれるキャリアだろう。
指導者にとっても、問いかけは多い。
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選手を「今の評価」だけでなく、「4年後、5年後」を見据えて見ているか。
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大学サッカーという選択肢を、「妥協」ではなく「成長の場」として選手に提示できているか。
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選手自身が、自分の長所と課題を言語化できるような関わり方ができているか。
そして、親御さんにとっても、「プロになれるかどうか」だけではない視点が、そこにはある。
一度プロから離れても、大学で大きく成長し、再びJリーグへ戻ってくるルートがしっかりと機能し始めていること。
そこに対して、焦りではなく、「今の成長に必要な環境はどこか」という見方を持てるかどうか。
食野壮磨のキャリアは、派手な逆転劇ではないかもしれない。
だが、「選ぶ」「耐える」「伸ばす」というサイクルを、丁寧に積み重ねてきた先にあるJ1のピッチであることが、彼の物語を一層味わい深くしている。
まだプロキャリアは始まったばかりだ。
東京ヴェルディで、1.5列目やサイドからどんな「違い」を見せてくれるのか。
兄と同じJ1の舞台で、どんな時間を刻んでいくのか。
そして、彼が目指す「海外」や「日本代表」という次の景色に、どんなルートで辿り着いていくのか。
その過程を追いかけることが、きっと今の育成年代の選手たちに、新しいサッカー人生の描き方を見せてくれるはずだ。






