染野唯月という物語。鹿島を越えて東京ヴェルディの「9番」になるまで
「プレッシャーはなかったです」。
J1残留を大きく手繰り寄せた大一番の後で、24歳のフォワードは平然と言ってのけた。
湘南ベルマーレ戦、新潟戦と続いた残留争いの直接対決。
東京ヴェルディの最前線で、味方のロングボールを収め、前線から守備のスイッチを入れ、そして決定的な仕事をする男。
その名前は、染野唯月。
2023年にはJ1昇格プレーオフ決勝で同点弾を決め、16年ぶりのJ1復帰というクラブの歴史的瞬間に立ち会ったストライカー。
そして2025シーズン、ついに鹿島アントラーズから完全移籍で東京ヴェルディの一員となることが発表された男でもある。
この「9番」がそこにたどり着くまでの道のりは、順風満帆どころか、むしろ何度も挫折と葛藤を味わう連続だった。
だからこそ、その一歩一歩には、Jリーグを目指す若い選手たち、育成年代を支える指導者や親御さんにとって、学ぶべきヒントが詰まっている。
ジュニアユースで昇格できなかった少年が、選手権の得点王になるまで
染野唯月のサッカー人生は、決して「エリート街道まっしぐら」ではない。
茨城県龍ケ崎市に生まれ、鹿島アントラーズつくばジュニアユースに所属していた中学時代。
鹿島のジュニアユースにいるということは、多くの人が「このままアントラーズユースへ」と想像するかもしれない。
だが、現実は違った。
ユース昇格は叶わず、彼はアントラーズのアカデミーを離れる決断をする。
選んだ進路は福島の尚志高校。
ここで運命が大きく動く。
尚志高校での2年時。
全国高校サッカー選手権で5得点を挙げ、得点王。
優秀選手にも選出され、その名は一気に高校サッカー界に知れ渡る。
2019年にはインターハイでも優秀選手に名を連ね、「高校年代屈指のストライカー」として評価を確かなものにしていく。
興味深いのは、高校に進むきっかけが「鹿島のユースに昇格できなかったこと」だという事実だ。
一度は門戸を閉ざしたクラブが、その後ふたたび彼の未来を開くことになる。
2019年、高校3年時。
中学時代を過ごした鹿島アントラーズから、トップチーム加入の内定が発表される。
「昇格できなかったアカデミー出身者が、遠回りをしてトップに戻る」。
多くの育成年代の選手にとって、希望になるストーリーだろう。
高校最後の選手権はベンチ外。歓喜の裏にあった喪失感
ただ、その道のりに「ドラマ」はつきものだ。
代表合宿中の怪我によって、高校最後の選手権はメンバー外。
全国区の注目を集めたストライカーが、最後の選手権のピッチに立てなかった。
自分の進路はJリーグで決まっている。
しかし仲間と戦う最後の舞台にはいられない。
この「置き去りにされたような感覚」は、本人にしか分からないものだろう。
育成年代の選手たちは、往々にして「最後の大会」に強い思いを抱く。
しかしサッカー人生は続いていく。
染野は、その痛みを抱えたまま、プロの世界へ踏み出すことになる。
鹿島アントラーズで味わった、怪我と出場機会の揺らぎ
2020年、鹿島アントラーズに正式加入。
しかしプロのスタートも順調とはいかなかった。
再び怪我で出遅れ、第2節の川崎フロンターレ戦でようやくJ1デビュー。
プロとしての第一歩は、途中出場からの出場だった。
同年8月、ルヴァンカップ清水エスパルス戦でプロ初ゴール。
それでも、リーグ戦では12試合0得点。
2021年はリーグ戦9試合0得点。
カップ戦ではゴールを決めているが、「鹿島のストライカー」としての存在感を示したとは言い難い数字が並ぶ。
2022年も鹿島でリーグ12試合1得点。
トップチームで定位置を確保できていたかといえば、そうではない。
同じ世代のフォワードが結果を出し、名前を轟かせていく中で、ベンチを温める時間も長かったはずだ。
そんな状況のなかで選んだのが、2022年夏の東京ヴェルディへの期限付き移籍だった。
東京ヴェルディとの出会い。「育成型期限付き移籍」が変えたもの
2022年7月、J2の東京ヴェルディへ。
この選択は、キャリアにとって大きな分岐点になる。
ヴェルディでの最初の半年、J2で16試合4得点。
翌2023年シーズンはいったん鹿島へ戻るが、夏に再び東京ヴェルディへの育成型期限付き移籍。
「育成型」という言葉が象徴的だ。
結果を出すことだけではなく、「一人前のストライカーとして鍛え直す」ことをクラブと本人が共有する移籍だった。
2023年後半、J2で18試合6得点。
そして何よりも象徴的だったのが、J1昇格プレーオフ決勝での同点ゴールだ。
クラブに16年ぶりのJ1復帰をもたらす、その流れを引き寄せる一撃。
かつて高校選手権の最後の舞台に立てなかった男が、今度はプロとして大一番のピッチに立ち、チームをJ1へ導くゴールを決めた。
勝負の神様は、簡単には微笑まない。
だが、諦めずに続ける者に、別のタイミングで大きな舞台を用意することがある。
染野唯月のキャリアは、その象徴のようにも映る。
完全移籍と「9番」の重み。だが、前半戦は思うようにいかなかった
2024年、ヴェルディはJ1の舞台へ戻る。
染野はレンタル延長という形でJ1を戦い、そのなかでJリーグ通算100試合出場も達成する。
そして、2025シーズンからはついに東京ヴェルディへの完全移籍が発表される。
同じく鹿島から林尚輝が完全移籍。
「鹿島から来た選手」ではなく、「東京ヴェルディの選手」として生きていく覚悟を固めたシーズンだ。
2024年の背番号は「9」。
名門クラブにおける9番は、単なる番号ではない。
ゴールを期待される看板ストライカーの象徴だ。
だが、シーズン序盤から順調にゴールを量産したかといえば、現実は違った。
昨季J2で「Wエース」としてコンビを組んだ木村勇大(現・名古屋グランパス)とともに、前半戦はなかなか結果が出ない。
シャドーのポジションを務めるなど、自身の特長を最大限発揮しづらい役割も多かった。
一時は、センターフォワードを本職としない新井悠太に1トップの座を譲り、途中出場が続く時期もあった。
フォワードで途中から出れば、「点を取れば評価される」という意識に陥りがちだ。
だが、城福浩監督はそんな染野の変化をこう語る。
「大事なのは、彼が与えられた時間でチームが要求していることを、まずやるということをやり続けたことがすごく大きい。ストライカーで途中から出たら、点を取れば評価が上がるんだろうと。そういう思考になるのが普通ですが、まずはチームが要求されることをやって、次の時間を獲得していくと。彼がこの思考でプレーしてくれたことが一番大きいです」
「点を取ること」だけを自分の存在意義にしてしまえば、ゴールがない試合は全て「失敗」になってしまう。
しかしチームスポーツとしてのサッカーにおいて、ストライカーに求められる仕事は、守備を含めて多岐にわたる。
前線からのプレス、ロングボールの収め役、味方の逃げ道としてのポストプレー。
そうした「見えづらい貢献」を、彼は愚直に積み重ねていった。
「伸び時のメンタリティ」──早朝からのトレーニングが変えたもの
城福監督は、夏場のタイミングで「染野の変化」について問われた時に、「伸び時のメンタリティ」という表現を使っている。
「僕の記憶では選手の一番目か2番目に早く(練習場に)来ていて、自分の課題と向き合ってやり続けている」
「それも1日、2日とか、今週やったから来週やったからじゃない。自分がどこを目指して、どうなりたいかということを考えた時に、彼がそれを取り組み続けているというところが大事。やりきる姿勢と日々の継続した努力という、この2つが今の彼の成長を後押ししていると思います」
育成年代の選手にとって、ここにはひとつの重要な問いがある。
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「自分は、何かを変えたい時に、どれくらい継続して行動できているだろうか」
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「課題を突きつけられた時、それを“言われたからやる”で終わらせていないだろうか」
染野は、プロになってからも何度も壁にぶつかっている。
鹿島での出場機会不足、ポジションの変化、1トップとしての適性を問う声。
それらを一気に解決する「魔法の答え」は存在しない。
だからこそ、彼は早朝から練習場に入り、自分の課題と向き合う時間を重ねる道を選んだ。
「責任を負う」という感覚を知った町田戦
リーグ7試合ぶりのスタメン復帰となったFC町田ゼルビア戦。
チャンスを何度も迎えながら、ゴールを奪えず敗戦。
試合後、染野は次のように振り返っている。
「責任を負うということがこういうことなのかと、改めて実感しました」
ストライカーにとって、「決定機を逃した日の夜」をどう過ごすかは非常に重要だ。
自分を責めるだけで終わるのか。
それとも、その悔しさを翌日のトレーニングの質に変えられるか。
翌節以降の彼のプレーを見る限り、染野は後者の選択をしている。
「良い守備から良い攻撃へ」──ストライカー像のアップデート
東京ヴェルディにおける染野唯月の現在地を語るうえで、外せないキーワードがある。
「守備から攻撃へ」。
今の彼は、チームのコンセプトを前線で体現する存在になっている。
直近の5試合では、ファジアーノ岡山戦で1ゴール1アシスト、湘南戦で1ゴール、新潟戦で1アシスト。
ようやく「見える結果」がついてきた。
だが、それは突然訪れたブレイクではない。
それまでに積み上げてきた、守備面・ポストプレー・背後へのランニングのクオリティが、ようやく点と点を結び始めた結果でもある。
同じく鹿島から完全移籍で加わった林尚輝は、その変化をこう見ている。
「継続してやっていることが、今は結果として出せている。継続することの大切さというのを、学んで本当にたくましくなっているんじゃないかなと思います」
そして、守備と攻撃のバランスについて、染野自身もこう語る。
「前期はちょっと結果が結びつかなかったんですけど、これをベースにして、ここから何か数字を残せればいいのかなと思うので、1試合ずつしっかり数字を残していければなと思います」
「やることがはっきりしたというか、守備もそうですし考えなきゃいけない部分はありますが、相手によってどういう守備でいくかとか、攻撃の立ち位置とかというところは、もう自分のなかで明確になったので、そこが大きく変わったかなと思います」
「前で時間を作ると、やっぱりボールを持てる時間も増えてくるので、後ろで苦しくなったりとか、パスコースというところがなくなった時の逃げ道じゃないですけど、そういったところが自分になればいいかなと思います」
ここには、現代サッカーにおける「ストライカー像のアップデート」が現れている。
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守備のスイッチを入れる存在であること。
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ビルドアップの出口となり、チームを前進させる存在であること。
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そのうえで、決定的な仕事=ゴールやアシストをすること。
「点を取るだけ」のフォワードは、もうほとんど存在しない。
しかし、「全てをやろうとして何も出せない」フォワードも多い。
染野が時間をかけて手に入れつつあるのは、「守備と攻撃のバランスをとりながら、自分の強みである得点力を発揮する」という領域だろう。
後輩たちへのメッセージ。「途中から出るのはきつい。でも…」
面白いのは、自分もまだ成長の途中にいる24歳のストライカーが、次の世代に向けたメッセージを発していることだ。
寺沼星文、白井亮丞ら、同じ道を辿ろうとしている若いストライカーたちへ、染野はこう語る。
「本当に走らなきゃいけないので、途中から出るのはきついです。でも、そこは監督が求めているところは絶対なので、それもやりつつゴールを狙っていくというところは攻撃の選手は絶対に忘れちゃいけないと思います」
「まずは守備から、チームのコンセプトである守備からというところを意識すれば、チャンスは来るのかなと思うので、引き続きどの立場になってもみんなでやらなきゃいけないのかなと思いますね」
「途中から出る選手」の多くは、こう思いがちだ。
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「時間がないから、とにかく前だけを見て攻めなきゃいけない」
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「ゴールに絡めなければ、何もしていないのと同じ」
しかし、途中出場だからこそ求められる守備があり、役割がある。
そして、その役割を全うした先にしか、ストライカーとして評価される「ゴールの瞬間」は訪れないのかもしれない。
育成年代の指導者や親御さんにとっても、ここには重要な視点がある。
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「ゴールを決めたかどうか」だけで子どもを評価していないか。
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「途中出場=負け組」といった単純な見方を、無意識に伝えていないか。
染野唯月は、「どの立場になっても」という言い方をしている。
スタメンでも、途中出場でも、ベンチでも。
その立場ごとに「チームのためにできること」を探し続ける姿勢こそが、プロフェッショナルの条件だと、彼の言葉は静かに教えてくれる。
「鹿島のストライカー」から「東京ヴェルディの9番」へ
2023年のJ1昇格プレーオフ決勝。
2024年のJ1残留を大きく近づけた湘南戦、新潟戦。
そして、2025年からは完全移籍での加入。
染野唯月という名前を聞いたとき、多くの人の頭に浮かぶクラブは、もはや「鹿島アントラーズ」ではなく、「東京ヴェルディ」になりつつある。
かつてはユース昇格を逃れたクラブに戻り、プロとして道を切り開き始めた男が。
今は、別のクラブで「9番」を背負い、そのクラブの歴史に名を刻もうとしている。
サッカーのキャリアは、一直線ではない。
ジュニアユースで昇格できなかったこと。
高校最後の選手権に出られなかったこと。
プロ入り後も出場機会に恵まれない時期が続いたこと。
一つひとつの出来事だけを切り取れば、「挫折」と呼ばれるかもしれない。
それでも、歩みを止めず、自分の課題から目を背けず、早朝からのトレーニングを積み重ねることで、その「挫折」はいつの間にか「物語」の一部に変わっていく。
今、育成年代で壁にぶつかっている選手たちに、こんな問いかけをしてみたい。
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「昇格できなかった」「レギュラーじゃない」「怪我をした」。
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その出来事を、サッカー人生の終わりと捉えるのか。
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それとも、そこから始まる物語の序章と捉えるのか。
染野唯月は、確かにまだ完成されたストライカーではない。
しかし、「伸び時のメンタリティ」を持ち続けることで、自分の物語を自分で書き換え続けている。
鹿島アントラーズつくばジュニアユースから尚志高校へ。
高校サッカー選手権の得点王から、怪我での欠場。
鹿島での出場機会不足から、東京ヴェルディへの育成型期限付き移籍。
J1昇格プレーオフの英雄から、J1残留争いを戦うエースへ。
そして、「東京ヴェルディの9番」としての新たな章が、これから始まろうとしている。
彼が口にした、もうひとつの言葉がある。
「本当に一試合一試合戦ってきているので、次もしっかり勝ってもう一個上を目指せたらなと思います」
その「一試合一試合」は、育成年代の一回一回のトレーニングや、一つひとつの選択にも置き換えられるのかもしれない。
今日の練習に、どんな意味を持たせるのか。
自分の弱さや課題と、どう向き合うのか。
そして、サッカーを通じて、自分はどんな選手でありたいのか。
染野唯月というひとりのストライカーのサッカー人生は、その問いを静かに、しかし強く、私たちに投げかけているように思える。






