先日行われたロシアワールドカップアジア最終予選のサウジアラビア戦では、ついにエースと呼ばれている本田圭佑がスタメンから外れました。
また、背番号10番の香川真司、プレミアリーグ覇者の立役者である岡崎慎司も同じくベンチスタートとなり、その代役としてロンドンオリンピック世代の大迫勇也、清武弘嗣、リオオリンピック世代の久保裕也が出場した。
その一試合だけをみてサッカー識者やメディアは「世代交代」の言葉を羅列したが、そもそも世代交代なんて表現が非常にナンセンスである。
巷で世代交代と呼ばれているこの現象について考えてみたい。
実力者が代表に選ばれない日本代表
みなさんも日本サッカーを応援している立場であれば、誰でもこの名前を聞いたことがあるだろう。
大久保嘉人。
彼の名前を代表では全く聞かなくなったが、こと日本のプロサッカーの頂点であるJ1で、外国人ストライカーをも圧倒し、3年連続得点王に輝いているのです。2016年のJリーグでは得点王こそ逃しましたが、相変わらず日本人トップタイのゴール記録を残しています。
要するに、Jリーグを見る限りでは大久保嘉人よりもゴールを決めている選手がいないことは、サッカーを知らない人でも一目で分かることなのです。
ただ、そんな日本一の男が日本を代表するサッカー日本代表に招集されない。このよく分からない人選には賛否両論あるかと思われますが、日本で一番ゴールを決める選手の不在は、今後の日本代表に大きな影響を与えるのではないでしょうか。
大久保嘉人は18歳の頃から今もずっと輝き続けており、いつがピークなのかよく分からない状態を保っています。今がピークといっても遅くはありません。彼を代表に呼ばない監督と日本サッカー協会が理解できない人は多いのではないでしょうか。
若い世代のリーダーが不足している
最近代表で結果を残し続けている原口元気はロンドンオリンピック世代です。新しいゲームメーカーと称される清武弘嗣もロンドンオリンピック世代です。そして、大迫勇也も同じです。
彼らの年齢を見て見ると、25歳〜27歳となりますが、そもそも世代交代と言われるような年齢でもありません。本田圭佑ら北京オリンピック世代のメンバーからロンドンオリンピック世代のメンバーに中心選手が変わったのは見てとれますが、それを世代交代と呼ぶのもナンセンスです。
そして、例えロンドン世代の選手が入って来たとしても、相変わらず代表のリーダーは長谷部誠です。ポジション柄、性格や年齢と言う理由で長谷部誠がリーダーシップを発揮するのは分かりますが、ゲームを戦っているメンバーの中で長谷部誠に的確な指示をしていた若い選手がいませんでした。
一昔前、20歳で日本代表の中心となり上の世代に関係なくバンバン指示を出していた若き頃の中田英寿のような存在が現れていないことを問題視するべきで、そのような選手が現れないことには本当の意味での「世代交代」を語れないのではないでしょうか。
世代交代なんてナンセンス、常にベストな代表を
そもそも世代交代と言う言葉を使わざるを得ないような、最近の代表メンバーの固定化には疑問を覚えます。
日本を代表するチームは、常に日本人のベストメンバーを招集し戦うことが求められ、所属するクラブの名前や過去の経歴を見てメンバーを決めることは、本来の日本代表ではないような気がします。
ベストメンバーを選んで目の前の試合に出場させることはごく当たり前のことであり、それ以外の理由で選んでいては、逆にチーム全体の循環が悪くなるのが目に見えています。
少し分かりやすく言うと、ウイニングイレブンをはじめ、多くのサッカーゲームで見ることができる、その試合の選手の調子がどうかと言うことです。
調子が悪い選手を使うか使わないかの判断は人それぞれですが、もし日本代表選手のスタメンを選ぶ時に、ゲームのように選手の調子が可視化されるのであれば、本田圭佑や香川真司はベンチスタートで全く問題ないでしょう。
実力の世界で戦うメンバーにとって、若手の台頭は必ず起こる出来事であり、その若手も実力者である必要があります。サッカーの試合でピッチに立つと年齢や世代なんて全く関係ありません。
例えば15年も歳が離れていようが、その選手らがベストなメンバーであるのであれば同じピッチに出すべきで、それ以外の選手をベストなメンバーと言う以外の理由で起用するのはナンセンスと言うことです。
要するに、若くてもベテランでも、その試合で調子がいい選手や本当の実力者を試合で使うことは世代交代でもなんでもありません。ただ本来の姿を取り戻しただけであり、今の代表が少しだけ息を吹き返したのではないでしょうか。
一般社会でも全く同じです。使えない上司や役職者を引き摺り下ろしてのし上がることは普通です。ただ!サッカー界とは少し違うことはうまくやらないと自分が痛い目にあうのが一般社会でもあります。
そんなウソみたいな茶番劇が繰り返されているのが一般社会でありますが、やはりサッカー界は実力主義の世界であるべきで、そうでなければ日本代表の成長や発展はないと考えてもいいでしょう。