この記事を読もうとしているあなた、第一弾を読みましたか?
ここに記していることは、きっとあなたの役に立つこともあるでしょう。役に立つがどうかは読んだあなたが判断すれば良いと思いますが、読める状況で読まないのはナンセンスです。
人の失敗談はそうそう聞けるようなものではありません。それがサッカーに特化していればなおさらです。
あなたがサッカー選手である以上、まだ明日からでもやれることはあるはずです。遠藤保仁から言わせると、明日やろーはバカヤローです。あなた次第では今からかえることができるのです。
是非、この「サッカー選手として失敗して欲しくないこと」シリーズを読んで、あなたのサッカー人生をもう一度振り返って見てください。
やるリスクとやらないリスク
あなたは目の前のメリットやデメリットばかりを考えて次の行動に移そうと考えていませんか。
また、新しいことをやるリスクを取って、目の前の利益を取らないと決めたにも関わらず、やると決めたことを中途半端に進めてしまって、結局その新しいことを実現することが出来なかったなんてことはありませんか。
突き進むしかないのです、やると決めたら。そもそもやるリスクとやらないリスクのうち、やるリスクを選択したのであれば、ただただそのゴールに向かって徹底的に結果が出るまでやり切らなければなりません。
もう少し具体的に考えると、カテゴリは低いかもしれないがサッカーを続けて上を目指し、いつか日本代表の一員として国を背負って戦う土俵を目指すのか、引退して一般人として企業に勤め残業を頑張るサラリーマンになるのか。
どちらもリスクはあるでしょう。ただ、どちらにもメリットもあるでしょう。そのリスクの取り方、中長期的なメリットの考え方をする判断としては、サッカー選手としてプレーできる年齢には限界があること、そしてサラリーマンはいつでも誰でもなれること、そう考えるとサッカー選手を目指さない方がおかしいし、サッカー選手としては結局はそこまでの選手でしかなかったのです。
失敗することは全くもって問題はなく、そもそもそ失敗をしない方がおかしいでしょう。そして、その失敗の責任を取ると言うのは、サッカーを止めることではなく、失敗した原因を徹底的に探求し、学びを得ること、それを次に活かして結果を出すことです。
すなわち、本当の意味で失敗の責任を取ると言うのは、最後まで結果が出るまで試行錯誤を尽くし、成果を出すことなのです。
本場サポーターの1番厳しい目で自分を見る
自問自答していますか?
あなたのそのプレーは、プレミアリーグやリーガエスパニョーラ、セリエAで毎週毎試合世界有数の選手が集まる高いレベルで目が肥えているサポーターを満足させることができるのでしょうか。
振り返った時、自分自身だけが満足していませんか。そのプレーが本当に世界で通用するのか自問自答しなければなりません。世界で活躍すること、成功することの条件として、常に世界最高峰のレベルでサッカーを見ているサポーターの1番厳しい目で自問自答を繰り返すのです。
残念ながらJリーグを毎週毎試合見ている日本のサッカーファンやサポーターは、本場のサッカーをまだまた知らない人がいます。それは気軽に本場のサッカーを観に行ける環境ではないことや、そもそもJリーグだけに興味があるがホンモノを追求しない人が多いからです。
彼らの基準はあくまでもJリーグのレベルとなっていて、日本レベルの感動や歓喜、共感を求めてスタジアムへ足を運ぶのです。高いレベルのサッカーを求めてスタジアムへ足を運ぶのではありません。
だからこそ、常に自分自身を世界のトップクラスの評価はどうかを意識しなければならないのです。そうした自問自答を繰り返していない選手で、世界のトップクラスで長期間にわたって成功したと言う例は、これまでに聞いたことがありません。
世界を基準に自分を評価する選手だけが世界で活躍するのは当然のことだと思います。
自分に置き換え実践してみる
自分の理想の選手は誰かと尋ねられたら、間違いなく現東京ヴェルディに所属する二川孝広と現モンテディオ山形に所属する大黒将志を足して二で割った選手と答えるでしょう。
ただ、それも自分の中で体験した最高峰に過ぎず、もっと上を見れば理想の選手はたくさんいました。ただ、それ以外を見ていなかったに過ぎません。
しかし、理想の選手が誰であろうと、彼らのプレーを自分に置き換えて自分なりに表現することを怠っていました。
どう言うことかと言うと、もっとも近くでプレーしていた2人を、もっともっと研究して、なぜそのようのプレーや考えが出来るのかを自分に置き換えて研究することや実践することがなかったのです。
自分の理想とするプレースタイルは、あくまでも2人を足して二で割った選手なので、全くもってオリジナルかつ、現実には存在しない選手でした。
ただ、2人の最も良い部分をピックアップして、頭の中ではどんな選手であるかは整理できていたはずです。
その理想が1人で、それはメッシであるとなると、もっと簡単にメッシだけを研究することは可能です。毎日5時間メッシのプレーを見続ければ、メッシの動き方や飛び出しのタイミング、ボールの扱い方や体の入れ方、視野の確保の仕方やどこでゴールを意識しているかなど分かるようになると思います。
理想とする選手を研究し、自分に置き換えて実践すること、その実行に結びつかなくてはなんの意味もありません。実行を通じてまた学ぶのです。
二川孝広と大黒将志の合いの選手はどんな選手が分かりませんが、今考えれば2人を研究し尽くして自分がその理想の選手となり、後世に理想の選手と言われるようになれるまで、ひたすらやり続けなければならなかったのです。
与えられる情報には限りがあります。どう言うことかと言うと、もし理想の選手がメッシであれば、メッシをテレビでみれる番組を全ておさえて自分でみれる環境を作れば、あとはひたすら見るだけになります。
一方、その方法は間違いではありませんが、肌で感じることができるでしょうか。残念ながらテレビで見るだけでは肌で感じることができません。
肌で感じることと、目で見て感じることは大きな衝撃の差があります。
テレビで見て普通の選手が対戦して度肝を抜かれるような選手であったり、その逆で対戦して度肝を抜かれた選手をテレビで見ると大したことはなかったことはしょっちゅうあるのです。
肌で感じることはすごく大事で、できれば肌で感じることができる選手も理想の選手の候補として掲げることをして見てください。