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サッカーと競馬に共通点があるかもしれない


新しい日本代表監督が誰になるのか気になります。昨日の記事では偉そうにも、日本サッカー協会が3月中に新監督をブッこんでくる理由を述べました。

ですが、一部報道では既に大仁会長は公言していたようです。

大仁会長、新監督3月末までに呼ぶ

どうやら協会が考えそうなことは当たっていたようです。理由が当たっているとは言えませんが、もし3月までに新監督就任が実現するとなると、また協会が深い下調べもせず、ただただブランドネームだけで判断している可能性はなきにしもあらず。

日本の未来を深く考えずに焦って選んで喰いついた人を監督に迎えるわけですから、ロシアW杯までにもう一波乱ある可能性もなきにしもあらず。

もう金輪際、誰でも同じではなかろうか

ナンセンスな思考です。
ですが、行き着いてしまったのです。

日々サッカー界のことを考えていると、巡り巡って行き着いたところは、日本人を知らない外国人であれば、経験が有ろうが無かろうが、過去のブランドネームを背負っていようがそうでなかろうが、とどのつまり誰が監督をやっても結果は似たり寄ったりではないかと言う考え。

選手の能力に依存し、誰を代表に招集した、戦術がどうだ、起用がどうだ、結果はどうだなんて、運否天賦の結果論に過ぎないのではないかと言う考え。

監督はベンチから大声で選手に指示をしているが、フィールドで戦っているのは選手自身。4万人の満員のスタジアムで、通訳を介した監督の指示が、本当に選手に100%意図したことが伝わっているのか。

選手に指示が届いていたとしても、その選手が指示通りに動く体力は残っているのか、指示を本当に理解できているのか、選手同士で意思の疎通ができていて、チームとして連動できているのか。

監督を評価するのはなんでしょう。
結果でしょうか、評判でしょうか、人柄でしょうか。サッカーを知らない人からしても一番わかりやすいのは「結果」でしょう。

試合のたびにスポーツ新聞の一面を飾るタイトルが「◯◯ジャパン連勝」と「◯◯ジャパン連敗」とでは、試合を観ていない人が評価する指標は結果でしかありません。内容なんて知ったこっちゃありません。

何が言いたいかと言うと、要するに、監督が結果を出すために必要なことは何かを考えてみると、以下のように簡単に表すことができます。

①監督の思考
②監督の言葉(表現力)

③通訳の理解力(サッカー感)
④通訳の翻訳力
⑤通訳の伝達力

⑥選手の理解力
⑦選手の表現力(能力)

監督からのインプットを、選手がアウトプットする。そして結果に結びつける。

ここまで通訳の能力がかなり大事となることがわかります。そして、何より選手の能力が結果を大きく左右することも分かります。

代表に呼ばれる選手がザッケローニもアギーレも次の新監督も同じ選手であるならば、監督が誰であれ同じようなアウトプットとなる可能性が高いです。
※アギーレは勝つためにザッケローニとほぼ同じメンツを揃えた

ジョッキーとサッカー監督の類似点

競馬でいうと、ジョッキーが監督であり、選手が馬です。

色んな馬がいる中で、ジョッキーはどの馬に乗ることができるかで、結果は変わってくると言います。そんなこと言ったら競馬ファンにどやさと言われるかもしれませんが、事実「強い馬に乗れば誰でも勝てる」と言う、プロジョッキーの言葉は胸に刺さります。

コメンテーターもそう思ってあるのでしょう。

馬の能力8割、人間の能力(技術)2割、そんなことも言われたりします。競馬は鼻差で勝負がつくシビアな世界なので、ジョッキーの技術の差が明暗を分けるとも思いますが、基本的なところは変わらないでしょう。

強い馬が日本代表メンバーに存在しているか

本田圭佑をワントップに置いて、そのキープ力と自称「持っている」と言うほどの勝負強さを本番で仕掛けてきたのが岡田武史元代表監督。監督が選手をどう使うかで、勝負の勝敗も変わることのは当然です。

しかし、日本代表の選手を馬と例えた場合、どれだけ能力のある選手を招聘することができるか。何世代前の代表ではその即戦力(強い馬)として、外国人を日本人帰化させ、勝てる馬を得ることができました。

最近の代表では結果がでないことから、普段の調教や血統が間違っていたとも言われています。いわゆる、育成年代の指導が代表の結果として実っていないことが取り上げられています。

もちろん個々の能力を見れば、今やミランの10番を背負う選手がいたり、ドルトムントで中心となる選手がいたりと、一昔前の中田英寿だけが海外で活躍しているような時代ではありません。

日々、選手の能力が進化しているのに、なぜ日本代表は勝てないのか。結果として出てこないのか。もしかしたら今のメンバーでは、どれだけ有力な監督を新監督として迎えたとしても、また同じような結果で終わってしまうのではないか、そんなことを考えてしまうのです。

監督のサッカー感と選手のサッカー感が似ているならば、アイコンタクトだけで通じる部分もあるでしょう。しかし、同じ日本人でも伝えたいこと、理解して欲しいことが伝わらないことなんて日常生活の中でもいくらでも出てきます。

監督のインプットを選手が100%に近い形でアウトプットさせるのであれば、海外の監督を招集するよりも日本人の監督に任せるべきとも考えられます。

そして、新監督には今のメンバーにない新しい風を吹かせて欲しいと願います。

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