夏休み、小学生から高校生までの育成年代にとっては地獄のようなトレーニングが待っている…のは、一昔前のことなのだろうか。
ピッチの体感温度は40度近くまで上がり、上から下から太陽熱と反射熱で覆われる。そんな環境下、インターバル走やシャトルランをさせられると、中には体調が悪くなって吐く選手もいた。
また、時には仮病を使ってでも素走りトレーニングを回避する選手が現れた。
ただでさえ四季の中で最も過酷な環境であるのに、そんな時期に限って指導者たちは選手の身体を追い込ませていた。
そんな毎年訪れる地獄のような日々は一昔前のことなのだろうか。
選手は唯一、時間的余裕が生まれる期間
7月に海の日と言う祝日があるが、海の日から1ヶ月ちょっとの間は育成年代の選手にとっての夏休みがスタートすることになる。
学校へ行く必要がなくなり、時間的拘束がなくなるとなると、本気でサッカーに取り組んでいる選手にとっては朝から晩までサッカーについて考えることができることになる。
宿題や夏休みの課題、地域の課外活動、もしくは家族の行事よりも、サッカーの練習や試合を優先してしまう選手も多数いることだろう。
サッカーに全てをかける時間と余裕ができるのが夏休みであり、また冬休みにはない特別な感情を持たせてくれるのも夏休みである。
ただ、それは所属クラブのスケジュール通りに動かされているだけではないだろうか。一度、考えてみてほしい。
クラブも選手を独占できると誤解する期間
テスト期間で選手がなかなかあつまらない、学校の行事で練習に遅れるなど、学校がある日はどうしても選手たちの練習参加率が低くなる場合がある。
夏休みになると、選手が練習を休まなければならなくなる学校行事などの外的要因は非常に少なくなる。もちろん、家族行事があれば練習よりも優先してほしいと指導者は思うかもしれない。だが、実際は口には出せないだろうが、選手にサッカーを優先してほしいと言う想いだ。
最近では、クラブ側が発表したスケジュールにどれだけ参加しているかで、次の試合のメンバーを決めているようなクラブもある。
そうなると、無言のプレッシャーで選手にクラブへの参加を強制しているようにも思えてしまう。
所属している育成年代の選手の可能性を広げる、チャンスを与える、キッカケを与える、ゴールへ導く、それが指導者の役目であり、決して自ら計画したトレーニングメニューを半強制的に実行させるのではない。一度、考えて見てほしい。
夏休みこそ経験を積むための期間
選手とクラブにとって、夏休みは各種大会や試合に参加しやすいくなる絶好の期間である。また、集団行動で協調性を磨く合宿や遠征の予定も立てやすく、短期間でチーム力や経験を高めることも可能だ。
ただ、選手もクラブも今一度考えてほしい。この期間でなにができるのか。なにをすればいいのか。なにをするべきなのか。
貴重な練習時間でいつもと変わらないメニューをこなすことが、本当にその選手やクラブにとっていいことなのだろうか。
また、当たり前に参加することが前提で、参加できない場合にはその参加できない理由が必要となり、その理由を言い出せないがために、結局参加してしまうことはないだろうか。
もしかしたら、選手やクラブはそのようなことすら考えないのかもしれない。目の前のことに必死になる(没頭する)ことは悪くはないが、そのせいで本当に必要なことや大事なことが見えなくなることもある。
なにが大切でなにをするべきかわからない選手もいるかもしれない。まだ育成年代の選手だからそれは仕方がない。
そんな選手をクラブは支援しなければならない。選手にとっての一番はなにか。
最近、遠征や大会参加がグローバル化しており、主催する企業や支援する企業も増えている。個人で参加する、クラブで参加するのはどちらでも構わないだろうが、選手だけでなく指導者も早い段階でグローバルな大会や遠征を経験することが、今の日本サッカーにとって圧倒的に足りない。
夏休みは選手もクラブも追い込む期間ではないことを改めて感じてほしい。経済的な課題もあるかもしれないが、選手や指導者が肌で世界との差を感じることが、どんなに大事であるかを一度考えてほしい。
それができる可能性が唯一あるのが夏休みであり、うまくスケジュール調整をすれば世界最高峰のリーグ戦を生観戦できる可能性もある。
海を渡れ、そして肌で感じろ。日本サッカー全体で不足している「探し物」は日本にはなく、日本では見つからない。自ら海を渡り手にしなければならない。