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家長昭博の活かし方を間違えた日本サッカー界

家長昭博。巷では本田圭佑と同じ誕生日でよく知られており、
サッカー素人の中では、現在どのクラブに所属しているのかさえも分かっていない人がいるかもしれません。
ちなみに答えはみなさんご存知の通り、川崎フロンターレです。

サッカー素人の方でも本田圭佑は知ってるでしょう。
しかし、家長昭博が誰か分からない人が多いかもしれません。

家長昭博が16歳だった当時は、
その頃全盛期を迎えていた中村俊輔(今でもFKは健在)を超える逸材として、
育成年代の中では飛び切りの注目を浴びていました。

今でこそ、JリーグMVP・フロンターレ優勝の立役者、ノリに乗っている家長を代表に招集すべきといった声も聞こえてくるかもしれません。
ただ、彼が歩んだ16歳以降フロンターレまでの道は、
果たして日本サッカー界にとってプラスとなっていたのでしょうか。

家長昭博という逸材を、活かすも殺すも「個人の努力」の他に、
周りが与えた環境による影響がとても大きかったような気がしてなりません。
本田圭佑が活躍し一世風靡した一時の時代。
本田圭佑の代わりに日本代表の中心に彼がいてもおかしくはありませんでした。
むしろ、逸材の扱い方が正しければ、
本田圭佑よりも遥か偉大な選手になっていて、
ミランの背番号10番を背負っていたと思います。

家長昭博とはどんな選手なのか

家長昭博は1986年6月13日生まれのレフティーで、
地元の長岡京市の長岡京サッカースポーツ少年団でサッカーを始めました。

ガンバ大阪ジュニアユースに入団し、期待のエースとして活躍。
この当時、本田圭佑とはチームメイトとして一緒にプレーしていました。

今でこそ数多くのメディアや当人同士が対談をするなど、
2人の関係が語られています。

家長昭博はガンバ大阪ユースではガンバ史上最高傑作として活躍し、
高校2年時にトップチームへ昇格。
高校3年時には完全にユースを卒業し、
2004年7月にガンバ大阪とプロ契約を結びました。

日本サッカーのアンダー代表でも中心として活躍した家長昭博。
世界と真剣勝負で戦った2005年のワールドユース大会でも、群を抜いて1人だけワールドクラスに溶け込んで実力を発揮していたのが印象的です。
オシムがA代表の監督に就任した時には、この逸材を代表にも呼びました。

しかし、その後は彼に待ち受けていたサッカー人生は、
日本サッカー界にとってとても残念な暗黒時代となり、
彼自身のサッカー人生にブレーキをかけてしまうことになるのです。

日本サッカー界のことを考えない起用の仕方

彼がプロ選手として本格的に輝きだした2005年、
当時ガンバ大阪を指揮していたのは西野朗氏でした。
西野監督の練習や采配の決め手は必勝パターンを如何に安定して出し続けるか。
要するに勝った試合のリズム(メンバーや入り方)を如何に崩さずに次の試合に臨めるか。

ガンバ大阪は2005年、クラブ史上初のシーズン優勝を果たし、
その起用方法や練習内容が、あたかもいい風に評価されていたかもしれません。
結果が求められる厳しい世界ではあるものの、
当時の家長昭博はワールドユースも経験し、MVPのメッシを目の当たりにし、
自分に足りないことや、やるべきことを整理していたはずです。

自分はもっとこうしたい、こうするべきだ、そう思ったことをフィールドで表現しようとすればするほど、ガンバ大阪のサッカー(西野マジック)ではお邪魔虫扱いされたのかもしれません。
それが積み重なり、家長昭博と西野朗の確執説が浮上したのでしょう。

外野が何を言っても変わりませんが、
当時のG大阪は家長昭博を中心にチームを作ることで、
彼が絶対的な成功体験を手中にし、より高いレベルへクラブ・個人が挑戦できていたかもしれません。

プレーする場所がそもそも違っていた

家長昭博の印象はドリブラーと答える人が多いのではないでしょうか。
特にサイドを切り崩し、クロスを上げチャンスを演出する。
これはまさしく2005ワールドユースで起用されたポジションであり、
2005ガンバ大阪で起用されたポジションが印象的だからでしょう。

しかし、かれは元々持って生まれた「得点能力」があることを知っている人はどれだけいるのでしょうか。
本田圭佑がミランでFWをしてから一時的に騒ぎ立てられたような次元ではありません。

その真価の象徴として、家長を中心にチーム作りがされていた大宮アルディージャ時代、そしてフロンターレでの得点は以下の通り。

2015年シーズン:11得点(大宮アルディージャ)
2016年シーズン:11得点(大宮アルディージャ)
2020年シーズン:11得点(川崎フロンターレ)

そもそも、知る人ぞ知るオランダ代表でいうオーフェルマウスみたいな使い方よりも、それこそアルゼンチン代表のメッシやフランス代表のアンリ、ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドみたいな使い方をした方が日本サッカーにとって最善であったような気がします。

ウイニングイレブンをやっている人には上記の意味が分かるかもしれませんが、誰もが家長昭博をトップ下やウイング、サイドで使いたがるのは分かります。

しかし彼の本当の能力である
・得点力(生まれつきの能力)
・レフティー(天性の才能)
・足が速い(競輪並みの太もも)
・キープ力(ケツと重心)
・突破力(ドリブラー)
・視野の広さ(ゴールを狙う姿勢)
を考えると、完全にアルゼンチン代表のメッシと同じような起用をするべきでした。

メッシはバルセロナでセンターフォワードやスリートップの右でプレーしています。そもそも家長昭博がいるべきポジションは、メッシがいるようなポジションであるべきで、家長昭博の全盛期から暗黒時代にかけても、今と同様最大限に能力が活かされるポジションで見てみたかったのが正直なところです。

森保監督に続投の号令が出された場合、
日本サッカー界は「逸材」の完全復活(代表復帰)を考えてもいいかもしれません。

家長昭博暗黒時代、水を得た魚のように、
彼に当時代表の中心であった本田圭佑のポジションを与えて、
「得点を期待している」と送り出せば、
日本サッカーの未来が変わっていたかもしれません。

こちらの記事では、
現日本代表である宇佐美貴史が見た「家長昭博」について書かれています。

今回は家長昭博と言う日本サッカー界にとって、
絶対的に育て上げなければならなかった逸材を題材にしましたが、
まだまだ日本サッカー界では家長のように埋もれてしまっている、
または活かしきれていない逸材が数多くいるはずです。

選手が本当に輝くには、どう言う選択肢を与え、
自ら気づくようどう言う道を示してあげるか、
時に本人も気付いていない領域も当然あります。

逸材を扱うには10年先の活躍までを考える必要があるかもしれません。

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