2024年に立ったチームの名前が、全国の選抜の所属欄に入るまでの二年

手元にあるのは、9月13日に三重交通G スポーツの杜 鈴鹿であった東西対抗戦の、出場選手を一枚に収めて印刷したものです。名前の欄は飛ばして、かっこの中の所属だけを上から縦に読んでいきました。

途中で、似た名前が続けて二つ出てくる。サンフレッチェ広島F.Cジュニアユースと、サンフレッチェ広島工大高ジュニアユース。前のほうから4人、後ろのほうはMF久保田裕吾選手が一人だけ。後ろのチームは2024年に立っています。

数えたのはそこ。チームが立ってから、全国の選抜の所属のところにその名前が現れるまでに、何年かかったのか。2024年に立って、2026年9月。二年。

イタリアサッカー連盟が、Club Italia の Progetto Under 14 の二回目を10月13日15時から、ウディネ県プレマリアッコの連盟技術センターで行うと出していました。当日は11時に、各クラブの育成部門の責任者と、男子年代別代表のコーディネーターであるマウリツィオ・ヴィシーディがまず顔を合わせる。招集された選手の所属には、ウディネーゼやベネチアに混ざって、ドナテッロ、リベンティーナ、サン・ルイージ・カルチョといった名前が並ぶ。連盟は、プロのクラブともアマチュアのクラブとも協働を強めると書いています。

ヴィシーディが先に集めるのは選手ではなく、クラブ側で育成を預かっている大人のほう。名簿の所属欄にどういう名前が並ぶかは、ピッチが始まる四時間前の部屋のほうで決まっている部分がある。日本の九月の一枚にも同じ欄があって、そこに去年までなかった名前が一つ入っていました。

二年ぶんを使ったのは一期生のほう

メニコンカップに名前が載るのは、日本クラブユースサッカー選手権(U-15)で優秀選手になった人と、本大会に届かなかったチームが集まるJCYインターシティトリムカップでMVP・MIPを受けた人。つまり一覧に出る道は、全国のどこかで賞をもらうこと以外にない。立って二年のチームから一人出ているということは、その一人が賞を取ったということ。

2024年の春に一年生で入った子がいれば、その学年は今年で三年目にあたる。クラブにとっての二年が、同じ子にとっての中学生活のほとんどと重なっている。しかも一期生には、先に同じユニフォームで卒業した人がいない。前の年の日程表も、前の年の大会の成績表もないところで、三年のうちの二年を使ったことになる。年数を持っていたのはクラブではなく、その学年のほう。

同じクラブ名の下に、何行あるのか

日本の育成年代を外から見るとき、Jクラブの下部組織か、街クラブか、という二つに分けて読んでしまう。参加表を上から眺めるぶんにはそれで足りるように見える。けれど同じクラブ名の下に複数のU-15が立っていると、その分け方では一行も動かない。一人の高校生の名前の下に所属が何行並んでいるかを数えたときは、選手一人に重なる名前のほうを見ていました。クラブの側でも同じ数え方ができるのではないかと。

数えるものが決まると、進み方が見える。2024年にクラブ名の下に一行増え、2026年9月にその行から一人、全国の選抜に名前が出た。日本クラブユースサッカー連盟が出している大会の記録と、九月の東西対抗戦の名簿を並べるだけで、その二年は外から追える。育成に力を入れていますという言い方を聞かなくても、年の数と人数で出てくる。

家庭の側から見ると、この二年は材料の少なさそのものでもある。立ち上がったばかりのチームには、卒業生がどこへ進んだかの実例も、全国大会に出た年の記録もない。同じクラブ名が付いていることと、見学に行った日の練習と、そのくらいしか手元にないところで中学三年ぶんを決めている家がある。そこへ今年、賞を取った一人という材料が一つ足された。足されるまでに二年かかった、という言い方もできる。

来年の九月に同じ一枚を作り直したとき、2024年に立った名前が所属のかっこの中に何行ぶん入っているか。全国大会で優勝したクラブの欄より先に、そこを数えにいく。

出典: www.figc.it(2026-10-09)

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