鹿島アントラーズ 溝口修平――「常にもがいている」左サイドバックのサッカー人生
2004年2月13日、茨城県生まれ。
ポジションは左サイドバック、左ウイングバック。
所属クラブは、Jリーグ・鹿島アントラーズ。
プロフィールを並べると、いかにも「順風満帆なエリート」という印象を持つ人もいるかもしれません。
笠原サッカースポーツ少年団から、鹿島アントラーズノルテジュニアユース、鹿島アントラーズユースへと進み、2022年にそのままトップ昇格。
2019年からは各年代別の日本代表に選出され続け、U-19日本代表キャンプにも名を連ねる。
しかし、本人の口から出てくる言葉は、きらびやかな経歴とは少し違う色を持っています。
「ずっと満足はしていなかったですし、壁にぶつかることだったり、心が折られることはなかったと思います。だからこそ、ずっと成長していけるのかなと思っています。」
鹿島アントラーズ期待のサイドバック、溝口修平。
彼のサッカー人生には、「順調」というひと言では片づけられない、静かな葛藤ともがきが積み重なっています。
そしてその姿は、育成年代の選手や指導者、サッカーに向き合う親御さんにとって、学ぶべきヒントに満ちています。
「ダメもとで受けた」セレクションから始まった鹿島での日々
スタートは決して「エリート街道を歩むことを決めた少年」ではありませんでした。
「鹿島アントラーズノルテ ジュニアユースのセレクションは、正直受かるとは思っていなくてダメもとで受けたようなものでした。小学生の時は少年団でサッカーをしていたので、鹿島に来てからはチームとしての規律や、全員が勝利に向かっていく上でのサッカーの厳しさを感じました。」
「ダメもとでセレクションを受ける」。
このフレーズに、どこか「特別な自信を持った神童」ではない等身大の少年の姿がにじみます。
笠原サッカースポーツ少年団でサッカーの楽しさを知り、次のステージとして選んだのが鹿島アントラーズノルテジュニアユース。
でも、彼の感覚としては「やれるかどうかもわからない場所への挑戦」でした。
鹿島に入ってから、最初に待っていたのは、勝利に向けて組織として動くことの厳しさ。
少年団の「楽しいだけではない」、プロクラブのアカデミー特有の緊張感と競争。
ルール、規律、役割。
いわゆる「うまいだけ」では生き残れない世界への入口に、溝口は中学生で立つことになります。
読んでいるあなたは、今どのカテゴリーにいるでしょうか。
部活、クラブ、中学年代のジュニアユース、高校の強豪校。
それぞれの環境にそれぞれの厳しさがあるなかで、「一段上の場所」に飛び込む怖さを抱えていないでしょうか。
「ダメもとで受けた」その一歩が、キャリアを一変させる。
溝口修平の人生は、その典型例と言えるかもしれません。
全国から集まる才能の中で、「遠慮してしまった」ナショナルトレセン
ジュニアユースに入団してから間もない頃。
彼にとって最初の大きなターニングポイントが訪れます。
天野圭介監督が、あの時を振り返りながら問いかけます。
「修平がジュニアユースに入団してくれて、よく覚えているのが1年生の秋頃のナショナルトレセン選考会。あの時は何を感じてたの?」
全国から選りすぐりの選手が集まるナショナルトレセン選考会。
その場で、溝口は「通用しない自分」を強烈に思い知らされます。
「全国からレベルの高い選手たちが集まってきて、それぞれが自分の色を出すことに注力していました。その中で自分は遠慮していて、何もできなかったなと思うところもあります。でも、その経験が『頑張らなきゃな』という気づきになりました。」
彼は「悔しさ」を隠さずに振り返ります。
ここで興味深いのは、「遠慮してしまった」という表現です。
- うまい選手が多いから、自分を出せない
- 周りのレベルの高さに気圧されてしまう
全国レベルのセレクションの場に立ったとき、多くの選手が感じるプレッシャー。
「ビビった」「自分を出せなかった」。
その感情に名前を付けるなら、それは「失敗することへの恐怖」です。
溝口も、例外ではありませんでした。
彼は「エリート」と形容されることもありますが、その内側では、誰もが感じる人間的な弱さと向き合ってきたのです。
しかし、重要なのはその後です。
「何もできなかった」経験を、「自分はダメだ」と決めつける理由にはしなかった。
「頑張らなきゃな」という気づきに変えた。
この小さな差が、キャリアの岐路で大きな意味を持ち始めます。
全ポジションへの挑戦。「自分の居場所」を探す旅
ナショナルトレセン選考会で受けた衝撃を、溝口は「原動力」に変えていきます。
そこから、彼は特徴的な取り組みを始めました。
GKを除く全ポジションにチャレンジし、自分の強みと居場所を探し続けたのです。
現代サッカーにおいて、ポジションの専門性は年々高まっています。
しかし育成年代においては、ひとつのポジションだけで自分を規定してしまうことの危うさも、同時に語られてきました。
- ボランチで得た守備の感覚が、サイドバックで活きる
- ウイングで身につけた仕掛けの勇気が、ビルドアップ時の前進につながる
- センターバックの経験が、守備の優先順位を整理してくれる
「自分はサイドバックだから」「自分はフォワードだから」と、役割を早くから固定してしまうことのリスク。
それに、若い頃から気づいていたわけではないかもしれません。
ただ、「自分の色」を探す過程で、多くのポジションを経験したことは、今の溝口修平を形づくる重要な財産になっています。
育成年代の選手たちにとって、これはどう映るでしょうか。
「自分はDFだから」「背が高いからCB一択」という思い込みがないでしょうか。
監督やコーチの側から見ても、「ポジション固定」が選手の可能性を狭めていないか、あらためて問い直すきっかけになるかもしれません。
アカデミーからトップへ――それでも「満足しない」メンタリティ
ジュニアユース、ユースと鹿島アントラーズのアカデミーで育った溝口は、鹿島学園高等学校に通いながら、着実に階段を上っていきます。
年代別の日本代表にも選出され、U-15からU-19まで、各カテゴリで日本のエンブレムを胸にしてきました。
そして2022年、鹿島アントラーズのトップチームに昇格。
同年、ルヴァンカップや天皇杯で公式戦デビューを果たし、2023年4月15日のJ1第8節、ヴィッセル神戸戦でリーグ戦デビュー。
鹿島サポーターにとっても、「アカデミーから上がってきた期待の左サイドバック」が、ついにピッチに立った瞬間でした。
2022シーズン、2023シーズンと少しずつ出場機会を重ね、ルヴァンカップや天皇杯を含め、公式戦通算14試合に出場。
ただし、2024年シーズンのここまでの記録は出場ゼロ。
プロの世界の厳しさは、「昇格したあと」に本当の意味で姿を現します。
そんな中でも、彼はこう語ります。
「ずっと満足はしていなかったですし、壁にぶつかることだったり、心が折られることはなかったと思います。だからこそ、ずっと成長していけるのかなと思っています。」
「壁にぶつかることはなかった」のではなく、「壁にぶつかっても、心が折れなかった」。
この言葉のニュアンスに、彼の強さとしなやかさがにじみます。
プロのクラブに昇格した瞬間、外からは「夢を叶えた」と見られます。
しかし、選手本人にとっては、そこがスタートライン。
自分より経験も実績もある先輩たちと、毎日ポジションを争わなければならない。
ベンチに入れない日もあれば、スタンドから試合を見る日もある。
もしあなたが育成年代の選手なら、「プロになったら幸せ」だと単純に夢を描いているかもしれません。
もしあなたが指導者なら、「プロに送り出すこと」だけが目標になっていないでしょうか。
「常にもがいているからこそ成長できる」という溝口の言葉は、プロになったあとも続いていく「競争と成長のプロセス」を静かに物語っています。
鹿島アントラーズで育つということ――クラブが求める「強さ」
鹿島アントラーズというクラブは、日本サッカーの歴史の中でも特別な存在です。
数多くのタイトルを積み重ね、「常勝軍団」として知られてきました。
そのアカデミー出身者としてトップチームに立つということは、「勝つこと」に対して、他クラブ以上の要求と責任を背負うことでもあります。
少年団から鹿島に入って、溝口が最初に感じたのも、その「勝利への厳しさ」でした。
勝つことは簡単ではない。
けれど、勝つことにこだわり続ける。
その哲学が、日々のトレーニング、試合への準備、ピッチの上での振る舞い、すべてに浸透していきます。
育成年代のクラブや学校チームにとって、「勝利」と「育成」のバランスは、常に難しいテーマです。
選手の将来を考えれば、結果よりもプロセスを重視したい。
一方で、試合に勝つ喜びを知らなければ、競技の魅力も伝えきれない。
溝口修平の歩みは、「勝利にこだわる環境」で、「個としての成長」をどう積み重ねていくかという問いを、あらためて私たちに投げかけているように思えます。
「常にもがく」姿から、何を学ぶか
ナショナルトレセンでの悔しさ。
ポジションを探し続けた日々。
アカデミーからトップチームへ進んだものの、簡単には出場機会を掴めない現実。
そのどれもが、「順風満帆」とは少し違う色を帯びています。
しかし、その裏側で彼が決して手放さなかったのは、「もがき続けること」でした。
育成年代の選手にとって、「うまくいかない時期」は必ず訪れます。
試合に出られない。
セレクションに落ちる。
代表に呼ばれない。
そのとき、「心が折れそうになる」のは自然なことです。
問題は、そこで何を選ぶか。
- そこであきらめてしまうのか
- 言い訳を探してしまうのか
- それとも、静かに自分と向き合い、次の一歩を踏み出すのか
溝口修平は、ナショナルトレセンで自分を出せなかった経験を、こう言葉にしました。
「でも、その経験が『頑張らなきゃな』という気づきになりました。」
この一文は、サッカー人生だけでなく、あらゆる挑戦の本質を突いているように思えます。
指導者にとっては、選手が「悔しさを自分の言葉で語れる」場をどうつくるかが問われるかもしれません。
親御さんにとっては、結果だけを求めるのではなく、失敗の中で何を感じ、何を学んだのかを聞いてあげることが、子どもの成長を支える一歩になるかもしれません。
鹿島の左サイドを駆け上がる背番号28。
スタジアムで彼のプレーを見るとき、そこにはジュニアユースのセレクションに「ダメもとで」挑んだ少年の姿も、ナショナルトレセンで遠慮してしまった自分を悔しがる姿も、GK以外すべてのポジションにチャレンジしてきた日々も、すべてが重なり合っています。
プロになったから終わりではなく、プロになってからも「常にもがいている」選手のサッカー人生。
その歩みに、あなた自身の今と、これからがどのように重なって見えるか。
一度、静かに考えてみる時間を持ってもいいのかもしれません。






