ヴィセラルトレーニングとは、神経科学を応用し「無意識」を鍛えることで、瞬間的な認知とプレー実行の速さを引き上げようとするトレーニング理論です。アルゼンチン発祥で、日本では2023年に書籍が刊行されて広まりました。この理論を実際に取り入れているのが、千葉県の日本大学習志野高等学校のサッカー部です。練習の中心にいるのは、元日本代表の宮澤ミシェルと、選手たちが手にする1枚のビブスです(2026年8月19日更新)。
ヴィセラルトレーニングとは:従来のトレーニングとの違い
日本語版の版元であるカンゼンの公式ページによる説明が最も明確です。
神経科学を実用的に用い、無意識をトレーニングすることで、瞬間的な認知を可能にし、プレー実行スピードを加速させる。
株式会社カンゼン公式サイト・書籍紹介文(2026年8月19日確認)
書籍は『フットボールヴィセラルトレーニング 無意識下でのプレーを覚醒させる先鋭理論[導入編]』(ヘルマン・カスターニョス著/進藤正幸監修/結城康平訳/2023年6月6日/カンゼン)。サッカー本大賞2024の戦術・理論賞を受賞しています。同著者・監修・訳者による続編『フットボールヴィセラルトレーニング【実践編】』(2023年10月3日・カンゼン)も刊行されています。
従来のトレーニング(ドリル/アナリティック)との違いは、下の表のとおりです。
| 従来型(ドリル/アナリティック) | ヴィセラルトレーニング | |
|---|---|---|
| 鍛えるもの | 技術・戦術の正確な反復 | 無意識下での認知と判断 |
| 課題の与え方 | 手順を決めて繰り返す | 制約(変数)を重ねて複雑にする |
| 選手の状態 | 考えながら正しく実行する | 考える前に体が反応する |
| 狙う速さ | プレーの実行速度 | 認知から実行までの速度 |
版元の紹介文でも「ドリルトレーニング、アナリティックトレーニングといった伝統のトレーニングを覆し、エコロジカルアプローチ、ディファレンシャルラーニングのさらに上を行く、『本能、直感を刺激する』先鋭のトレーニング理論」と位置づけられています。
なぜ「無意識」なのか
背景にあるのは、現代サッカーが肉体的にも戦術的にも限界近くまで来ているという認識です。同ページに引用されているアーセン・ヴェンゲルの言葉が分かりやすく示しています。
サッカーの試合を変革する次のカギは、神経科学だ。次に学ぶべきステップは、脳のスピードなのだ
株式会社カンゼン公式サイト・書籍紹介文中のアーセン・ヴェンゲルの言葉(2026年8月19日確認)
推薦文を寄せた元日本代表の阿部勇樹も同ページでこう述べています。
色々考えてプレーするより、体が無意識に反応しているときのほうが、いいプレーができていた
株式会社カンゼン公式サイト・書籍紹介文中の阿部勇樹の推薦コメント(2026年8月19日確認)
選手の実感として「考えない状態のほうが良いプレーになる」ことは以前から言われてきました。それを訓練で意図的につくれないか、という発想です。
「判断が速い」と「反応が速い」は違う
ここは誤解されやすい点なので分けておきます。足が速いこととは別で、鍛えようとしているのは認知から実行に移るまでの時間です。同じ速さで走る選手でも、状況を見て決めるまでに1秒かかる選手と、見た瞬間に体が動いている選手では、結果がまったく違います。
なお、こうした「速い判断」は走る量とは別の能力です。Jリーグの実データで走行量そのものはそれほど多くないことを朝練を実データで検証した記事で扱っています。
日大習志野の実例:ビブスに○・□・✕・△をつける
理論だけでは分かりにくいので、実際に導入している高校の事例を見ます。千葉県内屈指の進学校として知られる日本大学習志野高等学校のサッカー部です。
飯田諒監督は、練習でのビブスの使い方についてこう説明しています(高校サッカードットコム・2024年)。
ボール回しの際、ボールを持った選手が次には○か△の選手にしか出せないとか、もっと難しくなると、例えばビブスの左が○、右が✕の場合、右が✕だから右足で止めたら、次は✕の人にしか出せないとか。色ヴァージョンもあります。
高校サッカードットコム「日大習志野 飯田諒監督#1」(2024年・飯田諒監督インタビュー)
この練習が何をしているのか
やっていることはボール回しに「制約」を重ねることです。
- まず通常のボール回し
- そこに「次に出せる相手は記号で決まる」という制約を足す
- さらに「どちらの足で止めたか」で出せる相手が変わる制約を足す
制約が2つ重なった時点で、頭で考えて処理するのは間に合わなくなります。これが狙いです。書籍の実践編も「レイヤー(層)=変数」を重ね、実際の試合以上の複雑性を生み出す構造だと同書の紹介ページで説明されています。試合より複雑な状況を練習でつくれば、試合が相対的に簡単になるという考え方です。
道具はビブスだけで、特別な機材は要りません。この手軽さが、日本の高校で導入できている理由でもあります。ただし、この練習を取り入れた学校の成績が実際にどう伸びたかを示す数字は、いまのところ公表されていません。ここまでは理論と実践例の紹介で、効果を裏づけるデータではありません。
宮澤ミシェルと日大習志野をつないだもの
この取り組みに関わっているのが、元日本代表で解説者の宮澤ミシェルです(検索では「宮沢ミシェル」と表記されることもあります)。
2024年4月から日大習志野サッカー部のテクニカルコーチに就任しました(高校サッカードットコム・2024年10月25日)。
きっかけは偶然です。本人の説明によれば、いろいろな学校を巡回コーチとして回っていた時期に、東京工業大学附属科学技術高校サッカー部の前監督で、日本文化大學サッカー部のアドバイザーを務める進藤正幸と出会い、ヴィセラルトレーニングについて話をしたことが縁になりました。進藤氏はその後、日大習志野の飯田監督に本人を直接引き合わせています。本人はもう一つの縁も明かしています。
また僕の亡くなった兄が日習(日大習志野の略称)だった縁もありました。
高校サッカードットコム「日大習志野 宮澤ミシェルTC『日大習志野との不思議な縁』」(2024年10月25日・本人インタビュー2ページ目)
ここで話がつながります。前述の日本語版書籍『フットボールヴィセラルトレーニング』の監修者が、この進藤正幸です。理論を日本に紹介した人物と、それを高校で実践している現場が、人を介して直接つながっています。これがこの事例の背景にあるものです。
選択理論心理学:直接コントロールできるのは「行為」と「思考」だけ
「直感で動ける選手を育てる」という話とあわせてよく登場するのが選択理論心理学です。こちらはサッカーの理論ではなく、アメリカの精神科医ウィリアム・グラッサーが提唱した心理学です。
宮澤氏自身、テクニカルコーチ就任前から選択理論心理学を1年ほど学んでいたことを明かしています。ヴィセラルトレーニングを実践できる現場と、選択理論心理学も学べる現場の両方を探していたことが、就任の決め手の一つだったといいます。
学びたいトレーニング理論を実践できる。そして選択理論心理学も学べる。その両方ができると考えました。
高校サッカードットコム「日大習志野 宮澤ミシェルTC『日大習志野との不思議な縁』」(2024年10月25日・本人インタビュー3ページ目)
本人は同じインタビューで、帝京高校サッカー部などでのコーチ歴があることや、フランス人の父を持つことも明かしています。2024年4月のテクニカルコーチ就任は本人インタビューで確認できていますが、2026年時点で肩書きが変わっているかどうかは、学校・本人のどちらからも新しい発表が出ていません。
指導の文脈で重要なのは「全行動」という考え方です(選択理論.jp)。人の行動を「行為」「思考」「感情」「生理反応」の4つに分けて捉え、車の四輪にたとえます。全行動の4つの要素のうち、直接コントロールできるものについて、選択理論.jpは次のように説明しています。
4つの行動のうち、自らの意思で直接コントロールできるのは前輪の行為と思考だけです。
選択理論.jp「選択理論とは」(2026年8月19日確認)
これがサッカーの指導に効く理由
試合で「落ち着け」「怖がるな」と言っても効かないのは、感情が後輪だからです。直接は動かせません。動かせるのは行為と思考、つまり「何をするか」と「何を考えるか」だけです。
だから指導は「緊張するな」ではなく「まず一度前を見ろ」のように、行為に落とす必要があります。プレッシャー下で冷静さを保つ方法についてはこちらの記事で扱っています。
選択理論はもう一つ、「外的コントロール心理学」との対比を軸にしています。他人を思いどおりに動かそうとする関わり方が人間関係を壊す、という考え方です。怒鳴って動かす指導が長続きしない理由の説明にもなっています。
進学校でサッカーを続けるということ
日大習志野は千葉県内屈指の進学校です。ここで挙げた練習方法は、その環境と無関係ではないと考えられます。
練習時間が限られる環境では、量を積む戦い方が選べません。同じ1時間で密度を上げるほうが合理的です。ビブス1枚で複雑性をつくれる方法は、この条件と噛み合います。ただし、学校側が「進学校だからこの練習法を選んだ」と公式に説明したことはありません。練習時間の制約とビブスの練習を結びつけたここまでの見立ては、あくまで一つの推測です。
進学校であることの厳しさそのものについては、宮澤氏本人が具体的な出来事を語っています。
5月、インターハイ予選1回戦で敗退したあと、3年生がずいぶんと減ってしまいました。正直「またやり直しなのか」と驚きました。
高校サッカードットコム「日大習志野 宮澤ミシェルTC『日大習志野との不思議な縁』」(2024年10月25日・本人インタビュー4ページ目)
確かなのは、進学校である日大習志野がこの練習方法を続けていることと、2024年にインターハイ予選で敗れたあと3年生の多くが引退した、という事実だけです。
考える力や決断する力をどう鍛えるかという論点はチームに信頼される7つの力、味方と合わせる技術は連携プレーの型をまとめた記事にそれぞれ整理しています。
サッカーを語る人という視点では、影山優佳の記事もあわせてどうぞ。試合の見方そのものは相手チームの分析方法に整理しています。
まとめ
- ヴィセラルトレーニングとは、神経科学を応用して「無意識」を鍛え、認知から実行までの速度を上げようとする理論。アルゼンチン発祥
- 日本語版は2023年6月6日刊行(ヘルマン・カスターニョス著/進藤正幸監修/結城康平訳)。サッカー本大賞2024 戦術・理論賞受賞。続編『実践編』も同年10月に刊行
- 従来型との違いは「手順を反復する」から「制約(変数)を重ねて複雑にする」へ
- 日大習志野の実例はビブスに○・□・✕・△や左右2色をつけ、次に出せる相手を制約するボール回し。特別な機材は不要
- 宮澤ミシェルは2024年4月に同校のテクニカルコーチに就任。きっかけは、日本語版書籍の監修者でもある進藤正幸との出会いと、亡くなった兄が同校出身だった縁
- 選択理論心理学の要点は「直接コントロールできるのは行為と思考だけ」。だから指導は感情ではなく行為に落とす
- 効果を数値で示すデータは、まだ公表されていない。理論と実践例の紹介である
