プロ5年目で初ゴール 鹿島アントラーズ舩橋佑が示す「結果が出ない時間」とのつき合い方

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舩橋佑という物語。鹿島アントラーズの「育成年代の教科書」のようなサッカー人生

2002年7月12日、茨城県古河市生まれ。
鹿島アントラーズのボランチ、舩橋佑。
彼のキャリアをたどっていくと、育成年代の選手や、その親御さん、指導者にとって、多くのヒントが詰まっていることに気づかされる。

華々しいスター街道ではない。
タイトルを総なめにしてきた「エース物語」でもない。
むしろ、ベンチ外の日々や、なかなか訪れない「結果」と向き合い続けてきた葛藤こそが、舩橋佑という選手の骨格をつくっている。

鹿島つくばからユースへ。「鹿島のボランチ」として育つということ

舩橋の出発点は、地元・古河市の「鹿島アントラーズつくばジュニア」。
古河第六小学校の少年は、早い段階から鹿島のエンブレムを胸にプレーしてきた。
つくばジュニアユース、鹿島ユースと、一貫してアントラーズの育成組織で育まれてきた生え抜きボランチだ。

鹿島ユース時代から評価されていたのは「キックの精度の高さ」。
ただ遠くへ蹴るのではなく、味方が次のプレーに入りやすい位置へ、相手の逆を取るタイミングで、しっかりとボールを届ける力。
それはボールをさばき、試合を落ち着かせ、スイッチを入れる「鹿島のボランチ」に求められる必須条件でもある。

2020年10月。
高校生ながら2種登録選手としてトップチームに登録され、同時に2021シーズンからのトップ昇格が発表される。
アントラーズの育成出身者にとって、トップ昇格の内定は「夢の入り口」だ。
だが、それは同時に、これまで以上に厳しい競争の真ん中へ放り込まれる瞬間でもある。

2021年、プロの扉は開いた。だが「定着」は簡単ではなかった

2021年。
背番号34を背負い、ついにトップチームの一員としてスタートを切る。
3月27日のルヴァンカップ・アビスパ福岡戦でスタメン出場し、プロ公式戦デビュー。
さらに4月7日のJ1第8節・柏レイソル戦ではリーグ戦にも先発し、J1のピッチに立った。

デビューまでは、スムーズに階段を駆け上がったようにも見える。
しかしそこから先、出場時間を「積み重ねていく」ことは、想像以上に難しかった。

ボランチというポジションには、経験豊富な選手たちがずらりと並ぶ。
球際の強度、戦術理解、試合の流れを見る目、ミスの少なさ。
若手が「ちょっとくらいミスしても大丈夫」と思える余白は、ほとんどない。

2021シーズンはJ1で2試合出場。
2022年には13試合、2023年には8試合と、少しずつ増えてはいるものの、年間を通じてポジションをつかんだとは言い難い数字が並ぶ。
2024年もリーグ戦4試合の出場にとどまり、メンバー入りとメンバー外を行き来する日々。

育成年代の選手、あるいはその親御さんであれば、ここに「リアル」を感じるだろう。
ユースで評価され、トップに昇格しても、全員が主力になれるわけではない。
プロの世界は、そこからが本当の勝負になる。

「スタンドのサポーター」として見ていた国立のピッチ

そんな舩橋のサッカー人生において、象徴的な場面がある。
2023年5月14日、国立競技場で行われたJ1第13節・名古屋グランパス戦。
この試合で、彼はピッチに立っていない。
メンバー外として、スタンドから試合を見守っていた。

同じユニフォームを着た仲間たちが、歴史あるスタジアムで戦っている。
それを見守る立場でしかいられなかったあの日の感情を、彼は2年後に振り返っている。

「2年前は上に応援しに来ていた自分が、ここのピッチに立って得点を決められたというのは本当にすごく感慨深い」

「メンバー外」という言葉は、紙の上では一行で済む。
だが選手にとっては、自分の価値を問われ続ける時間だ。
スタジアムにいても、どこか自分だけが違う世界にいるような疎外感。
そうした感覚を抱えながら、それでもチームの勝利を願う難しさ。

育成年代の選手や親御さんは、「試合に出られない時間」をどう捉えるだろうか。
結果が出ない時期こそ、その選手の「サッカー観」や「人間性」が大きく形づくられていく。
舩橋の物語は、そのことを静かに教えてくれる。

2025年5月11日、国立でついに生まれた「プロ初ゴール」

そして2025年5月11日。
J1第16節・川崎フロンターレ戦。
5万9574人が詰めかけた国立競技場で、その瞬間は訪れる。

0-1で迎えた前半終了間際。
自陣近くでGK早川友基からパスを受けた舩橋は、相手のマークを察知しながら冷静に前進のパスを選択する。
ボールを受けたのはMF荒木遼太郎。
その後ろを、舩橋は迷いなく走る。

右サイドではFW鈴木優磨が構え、ペナルティエリア右から折り返しのボールを送る。
そこに、感覚で走り込んだ舩橋がいた。

「よくわからない。感覚で走り込んだら来た感じ」

右足のキックフェイントで相手をかわし、左足ボレー。

「相手をかわすところまでは覚えていて、あとはもう本当に枠に飛んでくれと思って蹴ったらうまく飛んでくれた」

ボールは相手に当たって軌道を変え、ゴール左隅へ。
待ち続けたプロ初ゴール。
デビューから5年目で、ようやくスコアボードに自分の名前が刻まれた。

ここで思い出してほしい。
2023年、同じ国立で、彼はスタンドにいた。
2025年、同じスタジアムで、今度はピッチのど真ん中で試合を動かすゴールを決めている。

「それがアントラーズの勝利につながったことが一番うれしい」

自分の結果よりも、チームの勝利。
この言葉に、鹿島で育ってきたボランチとしての矜持がにじむ。

「緊張感のある定位置争い」が、選手をどう育てるか

2025シーズンの舩橋は、リーグ戦16節までで12試合に出場。
数字にも、プレー機会の増加が表れ始めている。
ただ、それでもボランチの定位置争いは厳しい。

鹿島の中盤には、J1を何年も戦ってきた経験豊富な選手が並び、ポジションは常に流動的。
スタメンが固定されることは少なく、「毎試合誰が出るかわからない」状況が続く。

「毎試合誰が出るかもわからない。緊張感あるなかで練習できているのも、この結果につながっていると思う」

この言葉は、プロの現場を端的に表している。
一度スタメンを外れたからといって、すべてが終わるわけではない。
逆に、一度スタメンを取ったからといって、それが永遠に続く保証もない。

育成年代では、どうしても「試合に出ているかどうか」で評価をしがちだ。
しかし、本当に問われているのは、試合に出られない日々でも、緊張感を持って自分と向き合い続けられるかどうか。

舩橋は、自身の成長について、こんなふうに語っている。

「自分に求められていることを一試合一試合やっていくことが自分の価値が上がることにつながっていると思う」
「鹿島の勝利のためにプレーしていることがうまくいっている。それだけだと思う」

「自分の価値」という言葉を使いながらも、その根っこには常に「チームの勝利」がある。
個人として評価されることと、チームのために働くこと。
どちらか一方ではなく、その両方を同時に追いかけていくことが、プロとしてのリアルな姿だと教えてくれる。

「プロ5年目で初得点」の意味を、どう受け取るか

多くのニュースは「プロ初ゴール」という結果だけを切り取る。
だが、その一行の裏側には、「41試合ノーゴール」という時間が存在している。
リーグ戦、カップ戦、天皇杯を合わせて41試合。
ボランチというポジションとはいえ、数字としての結果がついてこない期間を耐えるのは、決して簡単ではない。

ここで問いかけてみたい。
もし、自分や自分の教え子、あるいは自分の子どもが、5年目まで「結果」が出なかったとしたら。
その時間を、どう一緒に乗り越えられるだろうか。

  • 「才能がない」と決めつけてしまわないか。
  • 「環境を変えるべきだ」と焦ってしまわないか。
  • それとも、「今ここでやるべきこと」を一緒に見つめ続けられるだろうか。

舩橋は、自分の価値を「一試合一試合、求められていることをやること」で高めていくと語った。
初得点は、その積み重ねの中で訪れたひとつの結果にすぎない。

ゴールという目に見える成果が出るまでの数年間。
そこにこそ、育成年代の指導者や親が見届けるべき「プロセス」が隠れている。

「鹿島アントラーズのボランチ」としての矜持

鹿島アントラーズというクラブは、長く日本サッカーのトップで戦ってきた。
その中でボランチというポジションは、チームスタイルの「心臓部」ともいえる重要な役割を担ってきた。

守備では相手の攻撃の芽を摘み、攻撃ではビルドアップの起点となり、試合のリズムを作り出す。
そのポジションに、クラブ生え抜きの舩橋佑がいる。

彼は派手な選手ではない。
得点やアシストという分かりやすいスタッツだけが評価基準なら、見逃されてしまうタイプかもしれない。
しかし、チームの中の「見えにくい価値」を支え続けてきた選手が、ようやく結果という形でスポットライトを浴び始めた。

育成年代の選手たちにとって、それはどんなメッセージに見えるだろうか。

  • 目立つプレーだけがサッカーではないこと。
  • ベンチ外や途中出場の時間にも意味があること。
  • 「自分に求められていること」をやり続ける大切さ。

舩橋の歩みは、「裏方の価値」を知るための生きた教科書でもある。

紆余曲折の先にある「継続」の重み

2020年に2種登録され、2021年にトップ昇格。
2025年、国立でプロ初ゴール。
数字だけを並べると数行で終わってしまうキャリアの中に、彼個人の迷い、不安、悔しさ、そして静かな喜びが積み重なっている。

「ほかのボランチの選手に負けないでしっかりこれを継続できることが大事。しっかりやっていきたい」

プロ初ゴールの直後に、浮かれた言葉ではなく「継続」という言葉を口にしていることが印象的だ。

試合に出られない日々を知っている選手ほど、一つの結果で満足することの危うさを理解している。
だからこそ、初ゴールを「終わり」ではなく「通過点」として捉えられるのだろう。

育成年代の選手にとって、「継続する」という言葉は、時に抽象的に聞こえるかもしれない。
だが、舩橋の5年間を思い浮かべれば、その重みは少し違って響いてくる。

メンバー外の国立から、ゴールを決める国立へ。
ユースのエースではなく、「プロ5年目で初ゴール」のボランチ。

この物語に、自分や教え子、あるいは子どもの姿を重ねる人は少なくないはずだ。
そしてきっと、こう自分に問いかけたくなる。

今、結果が出ていないその時間を、どう意味づけてあげられるだろうか。
チームのために戦うことと、自分の価値を高めることを、どう両立させていけるだろうか。

鹿島アントラーズのボランチ、舩橋佑のサッカー人生は、その問いに向き合うための、ひとつの確かなヒントになっている。

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