神田奏真という物語。大阪から等々力へ、「飛べるストライカー」の現在地
「もっと点が欲しいです。FWはとにかく数字にこだわらないといけない。」
川崎フロンターレFW・神田奏真。
プロ2年目を迎えた19歳の口から出てくる言葉は、年齢以上にシビアで、そしてどこか自分に対して厳しい。
しかし、その奥には揺るぎない「覚悟」と、「まだここから」という静かな炎が見える。
大阪・東淀川で育ち、静岡学園で磨かれ、川崎フロンターレでプロとしての扉を開けたストライカー。
ヘディングを武器にゴール前を翔ける彼のサッカー人生は、華やかな瞬間と同じだけ、悔しさと葛藤に彩られている。
大阪東淀川FCで育まれた「ヘディング」という武器
神田奏真の原点は、大阪市東淀川区の街クラブ「大阪東淀川FC」だ。
小学校のジュニアから中学のジュニアユースまで、同じ環境で一貫して育った。
いわゆるJクラブ下部組織ではなく、地域のクラブから全国へと飛び出していくルートを選んだ選手である。
彼の最大の武器として語られるのが「ヘディング」。
MF34由井航太との対談の中で、その秘密の一端が語られている。
「小さい頃から親にヘディングが大事って言われてて、小中学校のチームでも『ヘディングは武器になる』って言われてたんで、そこはもうめっちゃ練習し続けた」
由井はこう表現する。
「ソウマは、飛べます。
飛んで胸トラップとか、クロスのヘディングの迫力とかすごいです。早くて強くて、飛ぶ姿が綺麗!」
「足元のうまさ」や「テクニック」に目が行きがちな育成年代において、「ヘディング」をここまで自覚的に磨いてきた選手は多くないかもしれない。
親からの言葉、指導者の評価、それを信じて続けた練習。
そこから生まれた「飛べるストライカー」という個性は、今の神田の大きなアイデンティティになっている。
読んでいるあなたや、あなたの教え子、あるいはお子さんには、「自分だけの武器」と呼べるものがあるだろうか。
一見、地味に見えるものでも、ひとつの武器をここまで徹底的に磨き続けることが、プロへの扉を開く鍵になることを、神田の歩みは示している。
静岡学園という「厳しさ」と「自由」の中で
中学卒業後、神田は静岡学園高校へ進学する。
高校サッカー界を代表する強豪校であり、多くのJリーガーを輩出してきた名門だ。
1年生のときから全国高校サッカー選手権のメンバー入り。
2年からはレギュラーに定着し、3年時には自らもゴールを決めて大会を沸かせた。
しかし、その最後の選手権は、2回戦・広島国際学院とのPK戦で幕を閉じる。
「もっと上へ行きたかった」という悔しさを抱いたまま、高校サッカー生活を終えた世代だ。
静岡学園といえば、テクニックやポゼッション、攻撃的なスタイルがクローズアップされることが多い。
だが、神田の言葉から垣間見えるのは、別の側面でもある。
「高体連は上下関係の厳しさがあるからね。」
ピッチ内外の礼儀、先輩後輩の関係、日常に流れる規律。
その中で神田は、「敬語」が当たり前で、「先輩を呼び捨てにしない」ことが染み込んだ。
プロ入り後も試合中に先輩を「さん付け」「君付け」で呼んでしまうというのは、彼が過ごしてきた時間の長さを象徴しているエピソードだ。
同世代の由井が、フロンターレアカデミーで「ピッチ内では遠慮するな」と育てられてきたことと対照的で、とても興味深い。
どちらが正しい、という話ではない。
ただ、育成年代の指導者や親御さんにとっては、「どのような価値観の中で選手が育ってきたのか」が、プロという新しい環境に入ったときの適応の仕方に大きく影響する、ということを考えさせられる。
U-16からU-20日本代表へ。世代別代表が示す「期待値」
高校時代から、神田は世代別代表に名を連ねてきた。
- 2021年 U-16日本代表
- 2023年 U-18日本代表
- 2024年 U-19日本代表
- 2025年 U-20日本代表(AFC U20アジアカップ2025)
年代が上がるごとに、代表のカテゴリーも着実にステップアップしている。
一度だけの選出ではなく、継続的に呼ばれ続けているという事実が、指導者からの評価と、将来への期待の大きさを物語る。
とはいえ、「代表歴があるから必ず成功する」世界ではない。
世代別代表は、あくまで通過点であり、一つの経験であり、その後のプロキャリアを保証してはくれない。
逆にいえば、代表歴がなくてもJリーグや海外で輝く選手も大勢いる。
神田の名前をU-20日本代表のメンバーリストに見つけたとき、彼自身は何を思ったのだろうか。
プロ2年目、川崎という強豪クラブで出場機会を争いながら、同時に日本のエンブレムを背負う大会にも備える。
プレッシャーと誇りが同居した、濃密な20歳前後の時間を、今まさに過ごしている。
ACLでの衝撃デビュー。アディショナルタイムの一撃
プロとしての最初の大きなインパクトは、国内ではなくアジアの舞台だった。
2024年11月27日、AFCチャンピオンズリーグ・エリート 2024/25 第5節、ブリーラム・ユナイテッド戦。
2-0で迎えたアディショナルタイム。
この時間帯にプロデビューを果たした神田は、わずかな出場時間の中で、3点目となるプロ初ゴールを決めて見せた。
待ち望んだ「プロのゴール」が、ACLという国際舞台で、アディショナルタイムというドラマチックな時間に訪れたのである。
多くの選手が「初出場で何もできなかった」と振り返る状況で、結果を残す。
それは偶然ではなく、準備してきた選手だけが引き寄せられる瞬間だったのかもしれない。
ベンチでの時間、メンバー外の日々。
そこでも腐らず、練習から自分を研ぎ澄ませ続けたことが、この一発につながっている。
「いつ出番が来るか分からない」というプロの現実を、頭ではなく身体で理解している若手が、どれだけいるだろうか。
ACLのアディショナルタイムでネットを揺らしたシュートには、その問いへの一つの答えが込められている。
Jリーグデビュー、初ゴール、そして「1ゴール」の重さ
国内リーグでのデビューは、2024年12月8日。
J1第38節、アビスパ福岡戦(Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu)でJリーグのピッチに初めて立った。
Jリーグ初得点は2025年6月25日。
同じ等々力でのJ1第15節、アルビレックス新潟戦だった。
幼い頃から夢見たJリーグのゴール。
スタンドの歓声、仲間の祝福、スコアボードに刻まれる自分の名前。
そのすべてが、彼のサッカー人生の1ページとして刻まれている。
しかし、2025シーズンは出場数が増えたにもかかわらず、リーグ戦のゴール数は「1」にとどまっている。
その事実に、神田は決して満足していない。
「もっと点が欲しいです。試合に出ている以上は数字を残さないといけないので1ゴールは少ない。FWは自分の特徴を出していたとしても点を取らなければ評価にはつながりにくいと思う。だからとにかく数字にこだわらないといけないです。」
プロの世界では、「内容」よりも「結果」がシビアに問われるポジションがある。
フォワードはまさにその代表格だ。
ポストプレーで貢献しても、プレスをサボらずにかけ続けても、「数字」として残るのはゴールとアシストだけ、という現実がある。
それを19歳にして自覚し、言葉にできること自体が、一つの成熟と言える。
しかし同時に、そのシビアさは、時に選手を追い込む。
「良いプレーをしても、点を取れなければ評価されない」
そんな世界に身を置くフォワードにとって、1ゴールの重みは、外から見る以上に大きい。
ルヴァンカップ準々決勝、約2ヶ月ぶりのスタメンで噛みしめた悔しさ
2025年、ルヴァンカップ準々決勝・第1戦・浦和レッズ戦。
J1第22節・東京ヴェルディ戦以来となる、約2ヶ月ぶりのスタメン出場。
試合は終了間際の劇的弾で1-1の引き分けに終わった。
だが、試合後のミックスゾーンでの神田の言葉は、自分自身への満足とは程遠いものだった。
「上手くいかなかったですし、もっと強度も上げてかないと。悔しいです。点を取れるように、もっと練習してかないといけないです」
スタメンの座を取り戻すことは、若手にとって大きなチャンスだ。
だが、そのチャンスで「ゴールに迫る回数が少なかった」ことを、彼は誰よりも悔しがっている。
実際には、相手を背負ってボールを収め、チームを助けるプレーも多く見せていた。
ポストプレー、背負ってからのキープ、味方への落とし。
数字には表れない貢献を、指導者やチームメイトはきっと見ている。
それでも、神田は自分をごまかさない。
フォワードとしての「基準」を、「点を取ったかどうか」に置き続ける。
「執念ですね。執念を見せていきたいです。」
普段はクールな表情の19歳が、この言葉を口にした瞬間には、内側に潜む激しさが垣間見えた。
淡々とした言葉の裏にある、「絶対に這い上がってやる」という意思。
プロの世界に残っていく選手と、そうでない選手を分けるのは、この「執念」と呼ばれるものなのかもしれない。
寮生活、高卒ルーキー、そして「人として」の成長
ピッチの上だけが、選手の成長の場ではない。
川崎フロンターレの高卒ルーキーとして入団した神田は、同じく高卒の由井航太と共に、寮生活を送っている。
2人で出かけることは少ないというが、食堂で一緒に食事をし、同じ時間帯に同じ場所にいることが多い。
そこから生まれる会話、笑い合う時間、互いに刺激し合う関係。
由井は、神田をこう評する。
「めっちゃ喋る(笑)。喋りがうまいし、大阪弁だし、関西人だな~って感じです。あとは、A型!時間を守るし部屋も綺麗だし…ロッカーも寮の部屋もホント綺麗なんです。置物も等間隔に置かれてて。」
そしてこう続ける。
「僕は部屋は寝られればいいって感じで気にしないから全然違う(笑)。」
そのギャップからか、ある日、神田は由井の部屋を一緒に掃除した。
「この前、コウタの部屋を一緒に掃除しました。」
部屋の整理整頓、時間を守ること。
そうした一見当たり前のことが、長いシーズンを戦い抜くための「土台」になっていく。
怪我をしない体づくり、ピラティスによる体幹トレーニング、食事、睡眠。
サッカー以外の部分への意識が、そのままプレーの安定や成長速度に直結する時代になっている。
親元を離れ、寮で生活しながら、自分の時間をどう使うか。
部屋にこもる時間に何を見て、何を考え、何を積み重ねるのか。
プロになれば、誰も「勉強しなさい」「練習しなさい」と言ってくれない。
自分で選び、自分で決め、自分で責任を取る。
育成年代の選手たちは、「プロになる」という目標のさらに先にある、「プロになってからの毎日」を、どれだけ具体的に想像できているだろうか。
「飛べるストライカー」が問いかける、日本の育成と挑戦
大阪東淀川FCという街クラブ。
静岡学園という伝統校。
川崎フロンターレというJリーグのトップクラブ。
U-16からU-20までの日本代表。
神田奏真のキャリアには、日本サッカーの「育成の多様なレイヤー」が凝縮されている。
- 地域クラブから全国へと飛び出すルート
- 高体連の厳しさと、テクニックを重んじるスタイル
- Jクラブのトップチームでの競争
- 世代別代表で世界を見据える経験
それでも、プロの世界では、出場機会は保証されない。
ゴールも、ポジションも、誰かが与えてくれるものではない。
練習からの積み上げと、「執念」とも呼べる粘り強さだけが、その扉を叩き続ける鍵になる。
神田は語る。
「同じポジションの選手が点を決めているのを目の前で見ている。ライバルでもあるので負けてられないです。」
同じポジションの選手がゴールを決めたとき。
サポーターやメディアが他の選手の名前を称えるとき。
その光景をどんな思いで見つめるのか。
そのときに沸き起こる感情を、妬みに変えるのか、悔しさと燃料に変えるのか。
そこに、選手として、人としての分岐点があるように思う。
育成年代の選手たちへ。
保護者や指導者の方々へ。
「プロになれるかどうか」だけでなく、「プロになったあとに、どう成長し続けるか」という視点を、神田奏真の物語から少しだけ想像してみてほしい。
ヘディングという一つの武器を幼少期から磨き続けてきたこと。
高校サッカーの上下関係の中で人としての土台を整えてきたこと。
プロのピッチに立てない時間にも、自分で体幹トレーニングを始め、身体をアップデートし続けていること。
そして、1ゴールに満足せず、「もっと」と言い切ること。
そのどれもが、特別な才能というより、「続ける力」の延長線上にある。
ルヴァンカップ準々決勝第2戦で、彼に出番が来るかどうかは分からない。
だが、出ようが出まいが、神田は準備をやめないだろう。
どの試合で、どんな形で、次のゴールが生まれるのか。
その瞬間を迎えるまで、彼はきっと、静かに、そして執念深く、自分のサッカーと向き合い続けていく。
大阪東淀川で磨いたヘディング。
静岡学園で培った規律とテクニック。
川崎フロンターレで学んでいる、プロとしての厳しさと誇り。
「飛べるストライカー」神田奏真のサッカー人生は、まだ始まったばかりだ。
その紆余曲折を、悔しさも喜びも丸ごと抱きしめながら歩んでいく姿を、これからどれだけの育成年代の選手たちが、自分に重ねて見るのだろうか。





