和製アザールと呼ばれた才能はどこへ向かうのか──松村優太が鹿島と歩んだ栄光、痛み、そして「壁」の物語

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松村優太という物語。「和製アザール」が、鹿島で見ている景色

「和製アザール」。

このキャッチコピーは、一時期の松村優太を象徴する言葉として、何度もメディアに踊った。

静岡学園高校で背番号10番。

超高速ドリブルで相手を切り裂き、2019年度の全国高校サッカー選手権を24年ぶりの優勝へと導いた主人公。

大阪市東淀川区で生まれた一人の少年が、日本屈指のテクニカルな名門・静岡学園に身を置き、世代を代表するドリブラーとなり、そして鹿島アントラーズの未来を担う選手へと成長していく。

このサッカー人生には、誰もが羨む「栄光」もあれば、見落とされがちな「痛み」や「焦り」もある。

だからこそ、育成年代の選手や、その親御さん、そして指導者たちにこそ、一つひとつの出来事を丁寧にたどってほしい軌跡だと感じる。

静岡学園の10番、「和製アザール」と呼ばれた高校時代

松村優太の名前が全国区になったのは、静岡学園高校2年生の頃。

名門校で早くから頭角を現し、武器は何よりもドリブルだった。

「和製アザール」と呼ばれたそのスタイルは、細かいタッチで相手の重心をずらし、一瞬のスピードで置き去りにするタイプ。

ただ速いだけではなく、相手を見て、間合いを測り、崩す。

高校3年生の全国高校サッカー選手権では、そのドリブルが全国のサッカー少年の心をつかんだ。

超高速の突破だけでなく、スピードを生かした守備でも存在感を放ち、静岡学園を24年ぶりの日本一へ。

大会優秀選手にも選ばれ、「次はJの舞台で」「将来の日本代表へ」と期待は一気に膨らんでいった。

ここまでは、順風満帆に見える物語。

だが、彼のサッカー人生の本当の「ドラマ」は、プロ入り後に待っていた。

鹿島アントラーズへの加入と、忘れがたい“プロ初試合”

2020年、松村は鹿島アントラーズに加入する。

常勝軍団。

タイトルの似合うクラブ。

静岡学園の10番から、鹿島アントラーズの一員へ。

誰もが「これからだ」と胸を躍らせるタイミングで、彼のプロデビューは、あまりにも強烈な印象を残すことになる。

2月16日、ルヴァンカップ第1節・名古屋グランパス戦。

81分から途中出場し、待望のプロデビューを果たした松村は、90分、ドリブルでペナルティエリア内へ侵入する。

流れたボールに滑り込みながら右足を伸ばした瞬間、先にキャッチしていた名古屋のGKミッチェル・ランゲラックと交錯。

主審が示したのは、一発退場のレッドカードだった。

デビュー戦での退場。

しかも、チームは敗戦。

「プロの現実」を、最高の形ではなく、最も苦い形で味わうこととなった。

華々しい高校時代を知る者ほど、その落差に衝撃を受けた。

選手にとって、こうした経験は簡単には消化できない。

あの一試合が、彼に何を残したのか。

結果だけを見れば「不運」で片付けることもできる。

だが、プロの世界では、その「不運」ですら、自分の糧にしなければ生き残れない。

育成年代の選手に問いたい。

プロになったあとも、失敗や挫折から逃げない覚悟を、今から持てているだろうか。

初ゴール、J1初得点。数字に表れ始めた「存在感」

苦いデビューから半年。

2020年8月12日、ルヴァンカップ第3節の清水エスパルス戦で、松村はプロ入り初ゴールを決める。

「0」だったプロの数字が、ついに「1」になった瞬間。

これはどんな選手にとっても、特別な意味を持つ。

翌2021年5月9日、J1第13節のFC東京戦ではリーグ戦初ゴール。

出場時間はまだ限られながらも、チームの一員として確かな足跡を刻み始めた。

ドリブルで試合の流れを変え、自らゴールに絡む。

高校時代に「和製アザール」と呼ばれた選手が、ようやくJ1の舞台でも、その片鱗を見せ始める。

しかし、鹿島アントラーズというクラブは、ただ「片鱗」を見せるだけでは評価されない場所でもある。

結果を出し、タイトルに貢献してこそ、本当の意味で「鹿島の選手」として認められる。

その厳しさを、松村は年々、強く感じていくことになる。

タイトルを知らない世代としての「危機感」

鹿島に加入した2020年から、松村は一度もタイトルを掲げていない。

ふと気づけば、チームの多くの中堅・若手も同じ状況だった。

かつて「常勝軍団」と呼ばれた鹿島。

そのイメージを知っているサポーターも、選手も多い。

だが今、クラブをピッチで支えている世代の多くは、その「常勝」を肌では知らない。

松村は、あるときこんな危機感を口にしている。

「自分は2020年に鹿島に入ってきてから、一度も優勝していない。早くこの壁を越えなきゃいけない」

「壁」という言葉を使ったところに、彼の心境がにじむ。

単なる「タイトルへの憧れ」ではない。

勝てずに時間だけが過ぎていくことへの焦り。

鹿島というエンブレムを背負いながら、優勝を経験していない世代としての、ある種の「負い目」。

ベテランには、2016年の優勝を知る選手もいる。

柴崎岳、植田直通、鈴木優磨、三竿健斗。

また、移籍組にも他クラブでタイトルを知る面々がいる。

だが、クラブの大半を占める中堅・若手は、まだ頂点の景色を見たことがない。

あなたなら、そんなチームの一員として、何を感じるだろうか。

「負けない戦い方」を超えて。「勝ちに行く」選択を迫られた試合

2024年、鹿島アントラーズは9年ぶりのJ1制覇を目指し、シーズン終盤を迎えていた。

11月8日、第36節・横浜FC戦。

残留争いで「絶対に負けられない」相手に対し、首位の鹿島も一つの勝点も落とせない重圧を背負っていた。

前半、鹿島は相手の割り切った戦い方に苦しみ、シュートはわずか3本。

そのハーフタイム。

鬼木達監督は、ロッカールームでこんな問いを投げかけた。

「自分たちは負けない戦い方を選んでいないか」

「負けない」戦い方。

裏を返せば、「勝ちに行く」勇気をどこかで抑え込んでいる姿でもある。

選手たちは消極性を反省し、「後半は自分たちから点を取りにいこう」とスイッチを入れ直した。

その後半、62分。

起点となったのは、7月5日の川崎フロンターレ戦以来の先発となった松村優太のドリブルだった。

彼がドリブルで仕掛け、巧みなスルーパスを田川亨介へ。

田川がセンターバックのンドカ・ボニフェイスをかわし、折り返したボールをレオ・セアラが押し込む。

「負けない」ではなく、「勝ちに行く」姿勢が、ゴールを呼び込んだ。

松村は試合後、冷静にこんな分析をしている。

「久々に僕とか田川選手が先発で出たのは、僕たちの特長を活かして、背後を狙っていこうという意図があった。前半のうちにそうできれば良かったけど、相手がブロックを引いてきたんで、なかなかスペースがなかった。そこで後半、『間で受けてみよう』と修正したことで、1つ得点につながった」

自分の特長を出すこと。

相手の変化に応じて、受ける位置を修正すること。

そして、チームのためにゴールの起点になること。

ただのドリブラーだった高校時代から、「試合を動かす攻撃の選手」へと、役割が変わってきていることがわかる。

育成年代の選手は、自分の武器だけにこだわっていないだろうか。

松村は「ドリブル」を捨てていない。

しかし、ドリブルを「どう試合に結びつけるか」を学び続けている。

その違いが、プロの中で生き残れるかどうかの分岐点なのかもしれない。

「若手」から「引っ張る側」へ。サッカー人生の分岐点に立つ今

鹿島での6年目。

かつては「若手」と括られていた松村優太も、今やクラブの中では中堅世代に差し掛かる。

同期の荒木遼太郎、同い年の濃野公人らとともに、「タイトルを知らない世代」を引っ張る立場になりつつある。

かつて、鹿島には似たような構図があった。

2001年のリーグ制覇から5年間、優勝から遠ざかっていた頃だ。

柳沢敦、小笠原満男、曽ケ端準ら黄金期を知る選手の下で、野沢拓也、青木剛、岩政大樹、中後雅喜といった当時の中堅・若手は、タイトルを経験できないまま時間が過ぎていた。

当時20代前半だった岩政は、よくこう語っていた。

「自分たちが優勝しないと周りの見る目も変わらないし、評価も上がらない」

その危機感が、2007年のリーグ制覇につながり、鹿島はそこから3連覇。

岩政や興梠慎三、内田篤人らが日本代表へと飛躍し、「第二次黄金期」が築かれていった。

今の鹿島で、中堅・若手に求められているのは、まさにその役割だ。

植田直通も、強い口調でこう語っている。

「若い選手がタイトルを取る喜びを味わえれば、次のタイトルが欲しいという気持ちになる。それがあることによって、チームはさらに強くなる。だからこそ、今年は必ず優勝しないといけない」

タイトルは、一度取れば十分なものではない。

一度その景色を見てしまえば、「もう一度」という欲望が生まれる。

そのサイクルが強さを生み、クラブの文化になっていく。

松村優太は、そんな渦中にいる。

彼は、静かにこう語る。

「鹿島入りから5年経ってやっとここまで来た? そういう思いはシーズンが終わってから感じること。今は一選手として鹿島にしっかり貢献して、勝利に導くことだけを考えてやりたいと思います」

自分の物語より、チームの勝利を優先させる言葉。

それでも、その裏にはきっと、自分のこれまでの紆余曲折を思い返す気持ちもあるはずだ。

東京ヴェルディへの期限付き移籍と、「戻ってくる場所」としての鹿島

2024年7月21日、松村優太は東京ヴェルディへの期限付き移籍を選ぶ。

鹿島アントラーズから、伝統あるもう一つのクラブへ。

J1の舞台で、違う色のユニフォームを着てプレーする決断だった。

プロの世界では、レンタル移籍は珍しいことではない。

しかし、選手本人にとっては大きな選択だ。

「このクラブで活躍したい」という思いと、「もっと試合に出て成長しなければ」という現実との狭間で選ぶ道。

東京ヴェルディでの時間は、出場機会とともに、新たな学びをもたらしたはずだ。

違う監督、違う戦術、違うクラブカルチャー。

そこで得た経験は、そのまま鹿島への「還元」になっていく。

シーズン終了後、松村は再び鹿島アントラーズへ復帰する。

一度外に出て、もう一度戻ってくる。

その過程で、選手の目線は変わる。

「鹿島でプレーすること」の意味を、最初に加入したときとは違う解像度で見つめるようになる。

育成年代の選手や、その親御さんにとって、「移籍」や「レンタル」は、どう映るだろうか。

ステップダウンに見えることもあるかもしれない。

だが、松村のように、それを自分の成長の一部として受け入れる選手もいる。

大事なのは、移籍という出来事そのものではなく、そこで「何を学び、どう戻ってくるか」なのかもしれない。

「ハイライトに切り抜かれない」ことも、サッカー人生の一部

松村優太には、もう一つ、ユニークなエピソードがある。

サッカー番組「KICK OFF!J」で、田中マルクス闘莉王により「ハイライトに切り抜かれないグランプリ」に選ばれたことだ。

2023年には、その「受賞歴」がWikipediaにまで記載され、後に番組で話題になり、本人インタビューが放送されることになる。

ハイライトに残るプレーをすること。

それは、多くの選手の憧れだ。

だが現実には、90分の中で、ハイライトに映らない動きこそが、チームを支えていることも多い。

「ハイライトに切り抜かれないグランプリ」という一見ユーモラスな出来事には、プロの厳しさと、サッカーの奥深さが込められているようにも思える。

華やかな場面だけが、サッカー選手のすべてではない。

報じられないランニング、画面に映らないポジショニング、名も残らないプレスバック。

そうしたプレーの積み重ねが、90分の結果を決めていく。

育成年代の選手たちにこそ、問いかけたい。

ハイライトに映らない仕事を、どれだけ大事にできているだろうか。

「和製アザール」のその先へ。松村優太から学べること

大阪東淀川FCでボールを追いかけた幼少期。

静岡学園高校で、背番号10番として全国を沸かせた青春。

鹿島アントラーズでのデビュー戦の退場。

初ゴールの歓喜。

タイトルを知らない世代としての危機感。

東京ヴェルディへの期限付き移籍と、鹿島への復帰。

どの出来事も、今の松村優太を形づくる重要なピースだ。

彼のサッカー人生は、決して一直線ではない。

順風満帆に見える年もあれば、思うように出場できないシーズンもある。

期待される言葉と、現実の数字の間で揺れる時間もあったはずだ。

それでも彼は、自分の武器と向き合い続けている。

  • ドリブルという個性をどうチームの勝利と結びつけるか。
  • 「若手」から「引っ張る側」に変わる責任をどう背負うか。
  • タイトルのないキャリアに、どんな意味を与えるのか。

そして今、鹿島アントラーズは9年ぶりのJ1制覇を目指している。

その過程で、松村優太という一人のサイドアタッカーが、どんな役割を果たしていくのか。

彼のプレーを追いかけることは、単に一人の選手を応援するという以上に、日本サッカーの今と未来を見つめる行為でもあるのかもしれない。

指導者の方へ。

「和製アザール」と持ち上げられた才能が、プロで悩みながらも成長していく姿は、あなたの教え子たちの姿と重なる部分がきっとある。

親御さんへ。

順調に見えるキャリアの裏にも、苦しさや迷いがあることを、松村の歩みは教えてくれている。

そして、Jリーグを夢見る選手たちへ。

あなたが今、学校のグラウンドや街のグラウンドで感じている喜びや悔しさも、いつか誰かにとって「ひとりの選手の物語」として語られる日が来るかもしれない。

そのとき、あなたはどんな「壁」を越えようとしているだろうか。

そして、その壁の向こう側に、どんな景色を見たいのだろうか。

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