室屋成の選択と決断が育成年代に投げかける問い──ポジション変更、進路選択、挫折からの“やり直し”がつくった日本代表サイドバック

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室屋成というサイドバックをつくった、選択と決断の連続

1994年4月5日、大阪府泉南郡熊取町。

5歳の少年が、兄の背中を追いかけてボールを蹴り始める。
その少年こそ、「FC東京」と「日本代表」の右サイドを駆け抜けてきたサイドバック、室屋成だった。

幼少期に所属したのは、地元の「ゼッセル熊取FC」。
同じ学年には、後に日本代表アタッカーとなる南野拓実がいた。
点を獲りに貪欲な南野と、それを支えるように気の利いた動きとアシストでチームをつなぐ室屋。

「得点を獲る南野」「周りを見てゲームを整える室屋」。
この関係性は、のちの室屋のサイドバック像を先取りするような時間だった。
誰より前に出ていくエースではなく、誰よりも味方と相手の位置を見て、バランスを取りながらゲームに関わる選手。
育成年代の選手や指導者にとって、この“役割の違い”を幼少期から自覚していたことは、ひとつのヒントになるかもしれない。

青森山田での転機──ポジション変更と「選抜」で見た景色

2010年、青森山田高校の黒田剛監督からの勧誘を受け、室屋は大阪を離れ北の名門へ。

転機は2年時。
それまで前線やサイドハーフでプレーしていた室屋は、サイドバックへとコンバートされる。

多くの選手にとって、ポジション変更は小さくないショックだ。
「前で点を獲りたい」「目立ちたい」という気持ちと、チームのために役割を受け入れる気持ち。
その葛藤を乗り越える経験は、のちに代表や海外で生きる「柔軟性」になっていく。

第91回全国高校サッカー選手権ではベスト16止まりながら、室屋は優秀選手に選出。
選抜メンバーとして参加した「日本高校選抜」でデュッセルドルフ国際ユースサッカー大会に臨み、初優勝を味わう。

全国のトップレベルを知り、世界の同世代と対峙し、そこで「充分にやれる」という感覚と、「まだ上がある」という感覚を同時に得る。
高校での同期に山田将之、先輩に柴崎岳という顔ぶれ。
強烈な競争の中で、「自分は何を武器にプロへたどり着くのか」を見つめ直す日々だった。

明治大学を選んだ理由──「長友を輩出したサイドバックの学校」

高校卒業時、すでに「清水エスパルス」からプロ入りの誘いが来ていた。
それでも室屋は、「明治大学へ進学する」という選択をする。

「長友選手を輩出して、サイドバック育成が上手い」

そう語り、自ら選んだ道だった。
結果だけを見れば、早くプロに入ったほうが良かったように見える瞬間もあるかもしれない。
しかし室屋は、あえて「サイドバックとしての自分を磨く環境」を優先した。

この判断は、育成年代の選手や保護者にとって、非常に考えさせられる。
「早くプロに行くこと」だけが正解ではない。
自分のポジション、自分のタイプ、自分が足りないものを見つめ、最適な環境を選ぶ。

明治大サッカー部では、1年時から関東大学リーグ1部新人賞、のちにベストイレブン、特別賞。
サイドバックとしての上下動、運動量、クロス精度を徹底的に鍛え上げた。

そして2013年6月、FC東京のキャンプに帯同した際、当時のランコ・ポポヴィッチ監督からは、

「最大のサプライズ」「今すぐ来てくれ」

と絶賛される。
それでも、当時の室屋は明治大との「掛け持ち」は難しいと判断し、そのチャンスを見送る。
短期的なオファーではなく、自分の成長とチーム状況を天秤にかけたうえでの決断だった。

異例の「在学プロ入り」と、骨折という試練

2015年、FC東京の特別指定選手として登録される。
厳しい競争の中で、クロス精度や危機管理能力を磨き、プロのスピードと強度を体感していく。

そして2016年2月、明治大学に在学したまま、正式にFC東京に加入。
スポーツ推薦で大学に入りながら、部を途中退部してプロ入りする場合、多くは休学や中退となる。
だが、室屋は違った。

日頃の練習態度や学業への取り組みが認められ、明治大サッカー部が大学側に掛け合い、「在学のままプロ入り」という異例の道が開かれる。

これは、プレーだけ上手ければよいわけではない、ということの象徴でもある。
真剣に学び、真剣に練習する姿勢が、人生の選択肢を増やしてくれる。
育成年代の指導者や親御さんにとっても、そこに多くの示唆があるだろう。

しかしプロの洗礼は、いきなり厳しかった。
練習に合流した直後、第5中足骨骨折という重傷。
およそ4か月の離脱。

同期や同年代が躍動する中、自分はリハビリに明け暮れる。
「将来の日本代表右サイドバック候補」と言われた期待は、少なからずプレッシャーにもなったはずだ。

復帰の舞台はJ3、FC東京U-23。
2016年6月12日、藤枝MYFC戦でプロ入り後初出場。
そこからトップチームに戻り、7月9日のヴァンフォーレ甲府戦でJ1デビュー。
以降は右サイドバックとして先発出場を重ね、11月の天皇杯・Honda FC戦ではループシュートでプロ初ゴールも決める。

怪我で出遅れても、腐らずにJ3から積み上げ直す。
この「やり直す覚悟」が、その後のキャリアを支える土台になっていく。

FC東京での成長と、2019年ベストイレブン

2017年、FC東京は徳永悠平とのポジション争いが激化する。
ベテランとの競争で一時は劣勢に立たされるものの、3バック採用時にはウイングバックとしても出場。

ウイングバックという、より高い位置と運動量を求められる役割で、室屋は持ち味の推進力を発揮する。
ルヴァンカップ・サンフレッチェ広島戦ではミドルシュートで決勝点。
攻撃面の積極性を数字としても示していった。

ドイツ遠征後、チームは3バックをベースにするようになり、室屋はレギュラーとして定着。
しかし、浦和レッズ戦でまたしても負傷。
J3のピッチでコンディションを取り戻しながら、9月末に復帰を果たす。

2018年にはJ1初ゴール、そして2019年にはJリーグベストイレブン選出。

着実に、「日本を代表するサイドバック」のひとりとして認められていく過程だった。

代表での歓喜と悔しさ──U-17からリオ五輪、そしてA代表へ

室屋の日本代表歴は、U-17から始まる。
2011年U-17ワールドカップでは左サイドバックとして4試合出場し、ベスト8進出に貢献。

その後も、U-18、U-19、U-21、U-22と各年代代表でコンスタントにプレー。
2016年AFC U-23選手権では、唯一の大学生プレーヤーとして選ばれ、オリンピック出場権獲得と大会優勝を支えた。

準々決勝イラン戦での鋭いクロスから豊川雄太の決勝点を演出した場面は、多くの人の記憶に残っているだろう。

負傷の影響でリオ五輪本大会のメンバー入りは当落線上だったが、U-23南アフリカ戦で左右両サイドをこなしつつアシスト。
実戦復帰後初のフル出場でチャンスを掴み、最終的に五輪メンバー入りを果たす。

本大会では初戦ナイジェリア戦で失点に絡むシーンもあった。
そこからの試合で、積極性を取り戻し、全3試合フル出場。

若い世代にとって、ミスは怖い。
しかし、国際舞台でのミスを経験し、それでもピッチに立ち続けることができた選手は、やはり強くなる。

2017年のEAFF E-1選手権でA代表デビュー。
2019年AFCアジアカップではウズベキスタン戦で武藤嘉紀のゴールをアシスト。
最終的に国際Aマッチ16試合に出場し、日本のトップレベルを知るサイドバックとしての足跡を刻んだ。

「長友2世」と呼ばれながらも、自分のスタイルを選ぶ

明治大学の先輩であり、日本を代表するサイドバック・長友佑都。
室屋はしばしば「長友2世」と呼ばれた。

「憧れだし真似ていきたい部分もある」

「でもSBとしてのタイプは違う」

そう語る室屋は、徹底して「自分のスタイル」を模索してきた。

長友のような爆発的なスプリントや対人の強さを武器にするのか。
それとも、ポジショニングや危機管理、バランス感覚といった“見えにくい部分”で価値を出すのか。

「誰かのコピーでは、世界には届かない」。
育成年代でスター選手に憧れるのは自然なことだが、その先に「自分は何が違うのか」を問い続ける姿勢が必要だと、室屋の歩みは教えてくれる。

ドイツ・ハノーファー96への挑戦──2部で積み上げた142試合

2020年8月、室屋はドイツ2部「ハノーファー96」へ完全移籍する。
ブンデスリーガという新たな環境への挑戦。

日本では“2部”という言葉にネガティブなイメージが付きまとうこともあるが、ドイツ2部はフィジカル、戦術、スピードの全てが高水準。
サイドバックに求められる強度も、日本とは比べ物にならない。

2020-21シーズンから2024-25シーズン途中まで、2部リーグだけで142試合出場、5得点。
2022年8月には1.FCマクデブルク戦でドイツ初ゴールも決めている。

派手なタイトルやビッグクラブへの移籍がなくとも、「外国でレギュラーとして戦い続ける」ことの価値は計り知れない。

日本代表での出場機会は次第に少なくなっていったが、着実に試合を積み重ねることで、室屋は「海外で生きられる日本人サイドバック」としての経験を蓄えていった。

FC東京への復帰──古巣に戻る意味と、ポジション取りの進化

2025年5月23日、古巣「FC東京」への完全移籍が発表される。

ハノーファーで5シーズン近くを過ごし、27歳から30代に差し掛かろうとするタイミングでのJリーグ復帰。

若い頃のようにスピードと運動量だけで勝負するのではなく、「経験」と「ポジショニング」でチームを支えるフェーズへ。
その変化は、岡山戦後のコメントからも垣間見える。

「相手の3トップが森重(真人)くんのところにもプレッシャーをかけながら高い位置に入ったら、ウイングバックが自分のところについてきていたので、その中間の間のところにうまく立っていようかなと思いながらやっていた」

「相手にとっては嫌なポジションにずっと立っていたかなと思う」

もはや、「走るサイドバック」だけではない。
相手の守備構造を見極め、ウイングバックとセンターバックの“間”に立つことで、相手の判断を遅らせる。
その結果として、マルコス・ギリェルメとの連係から裏への抜け出しや、インナーラップでの崩しが何度も生まれていた。

「自分が裏に抜けてインナーラップとか、マルコスから裏へのパスを2回ぐらいもらうシーンもあったし、ああいうシーンは作れた」

サイドバックが、ただタッチライン沿いを上下するだけの存在だった時代は終わった。
いまや「どこに立つか」で試合の構図が変わるポジションであり、そこに意図を持って立ち続けることが、攻撃の起点にも守備の安定にもつながっていく。

ハーフタイムに、松橋力蔵監督からこう声をかけられたという。

「前半の試合展開を悪く捉えるな」

堅い守備を敷く相手に対し、ボールは握れているがチャンスは少ない。
育成年代の試合でもよくある展開だ。
そこで焦れてロングボールに逃げるのか、ポジショニングを修正しながら我慢して崩し続けるのか。

「堅いチーム相手というのは、こういう試合になりがちなので、ボールは握れているけれど、なかなかチャンスが作れないというのはよくある展開。そのなかでも我慢しながら、やり続けようという話をしていて」

「後半にケイン(佐藤恵允)が得点を決めたシーンとか、うまくチームとして崩せたシーンもあったので、監督の言う通りになったなと思います」

「監督の言う通りになった」と語るその裏には、自分たちの前半の内容を“悪いものと決めつけない”冷静さがある。
結果が出ていない時間帯でも、自分たちのやっていることの価値を信じられるか。

一方で、先制後の同点弾については、こう振り返る。

「1-0で勝っているのに、ああいう状況に持っていってしまったところが自分たちの反省すべきところだと思う」

「1-0のなかでの試合展開、運び方というのをもっと試合の映像を見直して修正したいなと思います」

勝っている時間帯だからこそ、「どう試合を運ぶか」にまで意識を向ける。
これは、海外で多くの試合を経験した選手だからこそ出てくる視点だろう。

怪我人が多い中での戦いについても、室屋はチームメイトのハードワークに触れる。

「恵允だったり、テルくん(仲川輝人)も今日、すごくハードワークしてくれました。こういう選手がハードワークしてくれるというのはチームにとって本当に大きいこと」

自分だけでなく、仲間の献身を言葉にして伝える。
ベテランと呼ばれる年齢に近づきつつあるサイドバックは、ピッチ内外での振る舞いでもチームを支え始めている。

家族とともに歩むサッカー人生──父として、プロとして

2018年8月、一般女性との結婚を発表。
翌2019年2月には第一子となる長男が誕生している。

プロとしてのキャリア、海外挑戦、日本代表、そして家族。
それぞれの責任を背負いながら、日々トレーニングと試合に向き合う生活は、簡単ではない。

それでも、家族の存在は「自分のためだけだったサッカー」を、「誰かのために戦うサッカー」へと変えていく。
結果が出ない時、怪我をした時、移籍を決断する時。
支えとなるのは、結局のところ自分を信じてくれる身近な人たちだ。

育成年代へ──室屋成のキャリアが投げかける問い

ゼッセル熊取FCで南野拓実と切磋琢磨した幼少期。
青森山田でのポジション変更と全国選抜。
清水からのオファーを断り、サイドバック育成に定評ある明治大学を選んだ進路。
在学のままプロ入りという異例の道。
FC東京での骨折とJ3からの再スタート。
Jリーグベストイレブン受賞。
ドイツ2部ハノーファー96での142試合。
そして2025年、FC東京への復帰。

そのサッカー人生は、華やかな一本道ではなく、選択と決断、そして「やり直し」の連続だった。

  • ポジションを変えることを恐れないこと
  • すぐのプロ入りより、自分が伸びる環境を選ぶこと
  • 怪我や挫折から、J3や下部カテゴリーで積み上げ直す覚悟を持つこと
  • 海外に渡り、目立たなくとも試合に出続ける価値を理解すること
  • 年齢を重ねたら、「走る」だけでなく「立ち位置」でチームを助けること

室屋成というサイドバックの歩みは、日本の育成年代に、静かだが重い問いを投げかけている。

「あなたは、何を武器に、どんな環境を選びますか」

「ミスや怪我から、どのカテゴリーからでもやり直す覚悟がありますか」

「憧れの選手がいるとして、その人とは“どこが違う自分”を大切にしますか」

そして、指導者や親御さんに対しても、こう問いかけているように思える。

「選手の“今”だけを見ていませんか」

「5年後、10年後の姿から逆算して、進路や起用法を考えていますか」

サイドを上下に走り続けるだけでなく、相手の嫌がるポジションに立ち続ける。
その冷静さと、泥臭さを兼ね備えたサイドバック、室屋成のサッカー人生は、これからもJリーグのピッチで続いていく。

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