サッカーを楽しめなかった時間を越えて――湘南ベルマーレDF髙橋直也が示す“遠回り”からプロへ至る道

·

·

,

湘南ベルマーレ・髙橋直也――「サッカーを楽しめなかった」時間を越えて

2001年5月28日、大阪府門真市生まれ。

Jリーグ・湘南ベルマーレで背番号33を背負うDF、髙橋直也。

ガンバ大阪のアカデミーから関西大学、そしてJ1のピッチへ。

その歩みは、順風満帆に見えて、実は何度も「遠回り」と向き合ってきたサッカー人生だ。

ガンバ大阪という“王道”からの、いきなりの分岐

アクバスSCからガンバ大阪門真ジュニアへ。

そこから門真ジュニアユース、そしてガンバ大阪ユースへと進む道筋は、多くの育成年代の選手や親御さんから見れば、理想的な「王道」に映るだろう。

2019年、U-18に所属しながら、2種登録でトップチームとU-23に登録。

J3リーグで11試合に出場し、当時からプロのスピードと強度を経験している。

門真の少年は、順調にいけばそのままガンバ大阪のトップチームに昇格してもおかしくない位置にいた。

だが、現実は違った。

トップ昇格の道は開かなかった。

同じユース出身の仲間が背番号を与えられ、J1の舞台に立っていく一方で、自分には声がかからない。

その決定は、本人にとって「実力の評価」を突きつけられる瞬間であり、同時に次の選択を迫られる瞬間でもあった。

そこで彼が選んだのは、関西大学への進学だった。

Jクラブのアカデミーから大学へ――日本サッカーでは決して珍しくないルートだが、一度プロから距離を置く決断は、18歳の心に何を残したのだろうか。

「このまま終わりたくない」「まだやれる」。

そうした感情が、静かに積もっていった時間だったはずだ。

関西大学での逆襲――浦和レッズとの90分が示したもの

2020年から2023年まで過ごした関西大学での4年間は、「プロに届かなかった選手の延長戦」ではなかった。

むしろ、そこでのプレーが「プロに戻っていく準備期間」になっていく。

大阪サッカー選手権大会を2022年、2023年と連覇。

天皇杯では大阪府代表として出場し、浦和レッズというJ1屈指の強豪と対戦。

そこで見せたのは、守備的なポジションからの果敢な持ち上がり、読みの鋭さ、ボールを握る相手に対しても堂々と渡り合う姿だった。

「プロ相手でも、自分の持ち味は通用する」。

そう確信できる90分を、自分の足で掴み取った。

大学サッカーの現場にいる指導者や選手なら、ここに一つのヒントを見出せるかもしれない。

  • プロに届かなかったあとに「何を諦めるか」ではなく、「何を伸ばすか」に焦点を当てること
  • カテゴリーが下がったように見えても、対峙する相手の質が自分を引き上げること
  • 一度評価されなかったとしても、別の場所で自らを証明する機会は必ずあること

髙橋は、大学というフィールドで、自分の価値を塗り替えていった。

湘南ベルマーレとの出会い――特別指定から「必要不可欠な存在」へ

2023年2月。

湘南ベルマーレは、関西大学の髙橋直也の2024年シーズンからの加入内定と、特別指定選手としての認定を発表した。

プロ入り前からJ1クラブのトレーニングに加わり、J1リーグ戦4試合、ルヴァンカップ2試合に出場。

3-5-2の右ストッパーやアンカーとしてプレーし、その存在感を示した。

クラブの公式プロフィールには、こう記されている。

「足元の技術を生かして最終ラインからパスをつなぎ、時に自ら運んで前進を促していく。それによりチームのポゼッションは高まり、湘南ベルマーレのボールを動かしながら主導権を握る戦いには、必要不可欠な存在だ。」

ガンバ大阪のユース時代、2種登録で出場しながらトップ昇格を勝ち取れなかった少年は、数年を経て、「J1のポゼッションを支える存在」として言葉にされるようになった。

育成年代の選手にとって、この事実はどう映るだろうか。

「ユースで上がれなかった」ことは、キャリアの終わりではない。

むしろ、「どこで、どのように成長したか」が問われる時代に、日本サッカーは徐々に変わりつつある。

2024年、プロ1年目に訪れた“負の2か月”

2024年、正式に湘南ベルマーレの選手となった髙橋。

特別指定として見せたプレーから、「開幕スタメンもあり得る」と期待されていた。

しかし、いざシーズンが始まると、待っていたのは予想外の苦しみだった。

6節の東京ヴェルディ戦まで、リーグ戦はメンバー外が続く。

2月の始動日からコンディションが上がらない。

映像で自分のプレーを見ても、「これが自分なのか」と受け入れがたいパフォーマンスが続く。

「シーズンが始まってから、コンディションが上がらない時期が続きました。自分のプレーを自分で見て『恥ずかしい』とすら感じるくらい上手くいかなかった。サッカー人生で初めて自信を失ってしまい、プレーするのがつらかったです」

「サッカーを楽しめなかった」。

この言葉は、多くの育成年代の選手がどこかで経験する感覚かもしれない。

トレーニングに行けばボールには触れる。

試合もある。

けれど、心が晴れない。

「楽しい」と言えない。

なぜそうなってしまうのか。

  • 結果や評価を意識しすぎる
  • 「やらなければいけないこと」が頭を支配し、自分の良さを見失う
  • 他人の期待を、自分のプレーの基準にしてしまう

髙橋は、まさにその罠に飲み込まれかけていた。

昨季は大学生として「挑戦する立場」でプレーできていた。

ところが、正式なプロとして迎えた2024年は、「やらなければいけないこと」が増えた。

チーム戦術、ポジションのタスク、ミスへの恐れ、期待へのプレッシャー。

その全てが、彼本来の、「遊び心あふれるドリブルやパス」を曇らせていった。

再起を支えたのは、「期待の声」と、自分の中の“NARUTO”

それでも、3月頃から少しずつ変化が訪れる。

迷いが薄れ、精神的な余裕が戻ってくるのと同時に、フィジカルも上向いてきた。

そして7節・サンフレッチェ広島戦で、今季初のメンバー入りを果たす。

復調の背景には、サポーターの存在があった。

「期待してもらっている声は届いています。自分は期待を重く受け止めるのではなく、力に変えられるタイプ。『直也が出たから勝てた』と言ってもらえるようなプレーを見せられるような良い準備を、近頃はできています。出遅れた分、ここからしっかりと期待に応えたいので、もっと自分に期待してほしいですね」

「期待を重く受け止める」のではなく、「力に変える」。

その発想の転換は、どこから生まれたのだろうか。

集英社とJリーグのコラボ企画では、髙橋は自身の「推しマンガ」として『遊☆戯☆王』『NARUTO -ナルト-』『ONE PIECE』を挙げている。

『NARUTO -ナルト-』について、こう語っている。

「家族みんなでそろって楽しく見ていた唯一の作品が『NARUTO -ナルト-』です。主人公のうずまきナルトが周りの人に恵まれて成長していくところが好きなのですが、そのなかでも、ナルトと師匠の自来也の物語がお気に入りで、大事な人の死を乗り越えて強くなるナルトにとても惹かれていて、自分も頑張りたいと思わせてくれました。ナルトの好きな言葉は、『まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ…それがオレの忍道だ!!』です。」

「まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ」。

自分が信じるものを、苦しいときほど手放さない。

サッカーに置き換えるなら、それは「自分のプレーを曲げない」ということだろう。

プロ1年目の負の2か月を通して、髙橋は一度、自分を見失いかけた。

しかし、期待の声と、少年時代から心に響いてきた物語たちが、彼を少しずつ「いつもの自分」に戻していったのかもしれない。

神戸戦の90+3分――MOM級の出来から、膝をついた瞬間へ

4月20日、J1第9節・ヴィッセル神戸戦。

この日、髙橋は4-4-2のボランチの一角で、今季リーグ戦初先発の機会を手にする。

最終ラインの間に落ちてビルドアップに関わり、時にはCBの位置からボールを受けて前進を促す。

中盤でのインターセプトやタックル、空中戦の強さ。

そのプレーぶりは、メディアから「MOM級の出来」と評された。

だが、試合は0-0のままアディショナルタイムへ。

90+3分、自陣でのビルドアップの場面で、縦パスを相手にカットされる。

そこからカウンターを受け、失点。

0-1の敗戦を決定づけるミスに絡み、ネットを揺らされた瞬間、彼はピッチに膝をつき、下を向いた。

しかし、試合後、彼はこう語っている。

「神戸相手に戦えた点で手応えも感じていますが、やはり最後のミスや、際の部分で悔いが残る試合になりました。次に失点シーンのような場面があったら、シンプルに対応したい。判断の幅が広がった試合になったとも捉えられるので、次につなげたいです」

「今日のミスがあったからといって、ミスを恐れて自分の良さを出せなくなれば、自分がチームにいる意味も、サッカー選手でいる意味もないです。自分の良さを大事にしながら、今日の反省はしっかりしつつ、下を向きすぎないで次に向かいたいです」

「ミスを恐れて自分の良さを出せなくなれば、サッカー選手でいる意味もない」。

この言葉に、彼が歩んできた道のりが凝縮されているように感じられる。

ガンバ大阪でトップ昇格を逃れたとき。

大学で「プロを目指す」と言い続けたとき。

湘南でのプロ1年目に、自信を失いかけたとき。

そして、J1の舞台で痛恨のミスを犯したとき。

そのたびに彼は、「自分の良さ」を手放すかどうか問われてきた。

その問いに、「曲げない」と答え続けている姿こそ、育成年代の選手たちが学ぶべき一つの生き方なのかもしれない。

右肩関節脱臼――立ち止まる時間をどう過ごすか

2025年6月30日、湘南ベルマーレは、髙橋直也の負傷を発表した。

診断は、右肩関節脱臼。

試合中の負傷である以上、その瞬間まで彼は全力で戦っていた。

しかし、関節脱臼というケガは、コンタクトプレーの多い守備的な選手にとって、少なからぬ不安を与える。

ボールを奪うときに肩を入れられるか。

競り合いを恐れないでいられるか。

リハビリの期間、自分の体とどう向き合うか。

育成年代の選手や保護者、指導者にとって、「ケガ」はいつも避けたいテーマだ。

しかし同時に、それは多くの選手がどこかで直面する現実でもある。

  • ケガの期間を、「取り戻す時間」と捉えるのか
  • それとも、「新しい力を蓄える時間」と捉えるのか

髙橋直也は、負の2か月を越え、神戸戦のミスを正面から受け止めてきた選手だ。

右肩の脱臼という新たな試練も、おそらく彼は「自分の良さを失わないための時間」として受け止めていくのだろう。

「足元の技術」を武器にするDFというロールモデル

湘南ベルマーレにおける髙橋の価値は、単に「守備ができるDF」という枠に収まらない。

最終ラインからパスをつなぎ、自ら運び、チームのポゼッションを支える。

CBもボランチもこなせるオールラウンダーとして、彼は現代サッカーの要請に応えようとしている。

これは、育成年代のDFにとって、ひとつの指標になる。

  • 「守れるだけ」では、プロで生き残るのは難しい
  • 最終ラインからゲームをつくることが、評価の大きなポイントになっている
  • 足元の技術と判断力を、DFこそ追求すべき時代になっている

J1では、CBに高いビルドアップ能力を求めるクラブが増えている。

湘南でも、4-4-2のCBには鈴木雄斗のようなパスセンス豊かな選手が起用される。

その競争の中で、「足もとの技術に自信を持つDF」として、髙橋直也は自らのポジションを切り拓こうとしている。

「サッカーを楽しめなかった」経験を、どう次の世代へ手渡せるか

育成年代の選手にとって、「楽しめていない自分」を認めることは、ときに怖い。

指導者や親の前では、「大丈夫です」「楽しいです」と答えてしまうこともあるだろう。

しかし、J1の舞台に立つ22歳のプロが、メディアに対してこう語っている。

「サッカー人生で初めて自信を失ってしまい、プレーするのがつらかったです」

この言葉は、「つらい」と感じてしまう自分を否定しないでいい、というメッセージにもなり得る。

大切なのは、その時間をどう乗り越えるかだ。

  • ミスや不調から逃げずに、プレーを見つめ直すこと
  • 「期待」を重荷ではなくエネルギーに変える視点を持つこと
  • 自分の好きな言葉や物語(彼にとっては『NARUTO』『ONE PIECE』『遊☆戯☆王』)の力を借りること

指導者や親御さんの立場から見れば、こうした選手の「心の揺れ」に、どう寄り添えるかが問われる。

結果や出場時間だけで評価するのではなく、「いま彼/彼女は、サッカーを楽しめているか」と問いかける視点を持てるかどうか。

ガンバ大阪ユースで頂点に届かなかった選手が、関西大学から湘南ベルマーレへ。

プロ1年目に負の2か月を経験し、神戸戦でミスから膝をついても、なお「自分の良さを出し続ける」と言葉にする。

さらに右肩関節脱臼という試練に向き合いながらも、ボールを持てば自然と前を向き、最終ラインからチームに前進をもたらそうとする。

「まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ」。

ナルトのこの言葉を胸に、門真の少年は、湘南の海風の中で、まだ完成途中のサッカー人生を紡ぎ続けている。

LANGL SCOUTING & SUPPORT PROGRAM

評価 :5/5。