小柄なセンターバックが選んだ「右サイドの70番」という未来――高木践が示す、ポジションを選び直す勇気

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高木践というサッカー人生――小柄なセンターバックが「右サイドの70番」になるまで

「きつい……マジできつい。右サイドばっかりあんなにボールが出てくるなんて……」

2025年1月20日、シーズン前のトレーニングマッチ後。
右サイドバックとしての新たな挑戦が始まったばかりの高木践は、そう本音を漏らしていた。

阪南大学から清水エスパルスへ。
センターバックとしてプロ入りした23歳は、今、J1の舞台で「右サイドの70番」として急速に存在感を高めている。

身長173cm。
センターバックとしては決して大柄とはいえない。
それでも、高い打点のヘディングとスピードを武器に、FCおきつ、SC大阪エルマーノ、阪南大学高校、阪南大学と、一度も大きくつまずくことなく階段を駆け上がってきた。

大学時代にはデンソーカップ関西選抜、日韓定期戦の全日本大学選抜にも名を連ねる。
周囲から見れば「順調なエリートコース」。
しかしその裏側には、「あまり悩まなさそうに見える」おっとりした表情からは想像しづらい、葛藤の時間があった。

「言われるうちが華」――初めて味わった“できない自分”

2023年、阪南大学から清水エスパルスへ。
まずは特別指定選手としてJリーグデビューを果たし、2024年シーズンから本契約を結んだ。
数字だけを追えば、J2リーグ戦出場、ルヴァンカップ出場、天皇杯出場と、着実な歩みに見える。
だがプロ1年目の春、高木践は静かに追い詰められていた。

「高校、大学時代を振り返った時、サッカーに対して周りから強く指摘されたことがあまりなかったんです。
でもいざプロの世界に入って、やっぱり先輩やスタッフからいろいろなことを要求されるんですよ。
パスの質、綺麗さ、強さ。
一つひとつの細かな部分が全然足りていないから。
もう頭の中がぐちゃぐちゃになって、何が正しい、何が正しくないかも分からんくなってしまって……」

「大卒」のルーキーには、どうしても「即戦力」という期待がつきまとう。

前年度には特別指定選手としてすでにJリーグデビュー。
本人も「新人という意識はあまりなかった」。
だからこそ「自分はもっとできるはずなのに」という思いと、現実との差が、静かに心を蝕んでいく。

プロ公式戦デビューは、2024年4月24日のルヴァンカップ・富山戦。
結果はPK戦の末の初戦敗退。
その後もなかなかリーグ戦のメンバーに名前が入らない。

「今の自分のままではリーグ戦のメンバーには入れない」

サッカーを始めてから、スタメン落ちはおろか「メンバー外」をほとんど経験してこなかった。
そんな選手が、プロの扉を開いた瞬間に味わう初めての挫折。

このとき、重要な役割を果たしたのがチームの先輩たちだった。

「テルくん(原輝綺)やシラくん(白崎凌兵)とかが、自分に足りない部分をアドバイスしてくれたり、練習や練習試合でできたことに対して評価してくれたり、『今試合に出られなくても、おまえには能力があるし、今やっていることは絶対将来に生きてくるから』って言ってくれた。
そう言ってくださって嬉しかったし、『もっと成長したい』と自分の心をキープできました」

「言われるうちが華やと思ってるんで」。

そう語る高木は、気になったことがあれば先輩に積極的に聞きに行くようになる。
「何が正しいか分からない」状態から、「自分なりの答えを探しに行く」姿勢へ。

育成年代の選手や指導者にとって、ここにはひとつのヒントがあるかもしれない。

  • 指摘されないことは、必ずしも「褒められている」と同義ではない
  • 「分からない」と認めて、質問できるかどうかが、次のステップを決める

高木践のプロ1年目は、“できない自分”を初めて直視した一年でもあった。

センターバックからサイドバックへ――「伸びしろがあるのはどっちか」

高木践は、幼い頃からセンターバックとして育ってきた。
高校、大学でもCBを主戦場とし、プロ入り後も同じポジションで勝負するつもりでいた。

しかし、J2で屈強な外国人FWと対峙し、トレーニングでサイドバックやウイングバックも経験するうちに、ある気づきが生まれる。

「この身長なので、やはり試合になるとセンターバックではどうしても限界を感じる。
今は何とか対応できているけど、これ以上伸びるかと言ったら結構厳しいと感じていました。
自分はもっと成長したいので、伸びしろがあるのはどっちかと考えたら、センターバックよりもサイドバック。
だったらもうメインはサイドと言われるぐらいの選手になりたいなと」

自分の武器と限界を、冷静に見つめ直す。

「センターバック」にしがみつくのではなく、自分の未来を広げるために「サイドバック」を選ぶ決断。
これは、ポジション転向を勧められたとき、多くの選手が直面するテーマでもある。

2025年シーズンに向けて、高木はクラブにこう伝えた。

「センターバックで使ってくれてもいいですけど、僕はサイドバックで勝負したいです」

同時に、覚悟を示すように背番号も変更する。
右サイドバックのレギュラーとしてチームを支えながら名古屋へ移籍した原輝綺が背負っていた「70番」。
高木はあえて、その番号を「自分から」志願して引き継いだ。

そこには、プロの世界で学び続けてきた先輩への尊敬と、「その背中に追いつきたい」という決意がにじむ。

「(原は)本当にどれだけ良いプレイをしても追いつかない存在だと自分は思っています。
あの人から学ぶことはもっともっとあると思いますし、まだまだ全然追いつけてない。
もっと練習から細かなところまで意識してやっていきたい」

育成年代の指導者にとって、この「自分の限界を認めたうえでのポジション選択」は、選手と向き合う際の大きなポイントになる。
「どこが一番うまくやれるか」ではなく、「どこで一番成長できるか」。

高木は、その問いに正面から向き合ったひとりだと言える。

J1の舞台で示した可能性――「まだ楽しめてはいない」ままの躍動

2025年、清水エスパルスは3年ぶりのJ1の舞台に戻ってきた。
そんなチームの右サイドバックとして、開幕スタメンの座を手にしたのが高木践だった。

国立競技場で行われた東京ヴェルディとの開幕戦。
右サイドの裏へ抜け出し、北川航也の決勝ゴールをアシスト。

本人は「ミスキックだった」と笑うが、その飛び出しのタイミング、クロスの落としどころは、練習で積み上げてきたものが自然と表れたようなプレーだった。

続く第2節・新潟戦でも右サイドバックで先発。
セットプレーでは空中戦の強さを見せ、自らのヘディングシュートのこぼれ球がカピシャーバのゴールにつながる。
さらに左サイドからのクロスにファーで飛び込み、乾貴士へ折り返して決定機を作り出した。

そして3節・広島戦では、システム変更に伴い3バックの左センターバックとして起用され、強力な攻撃陣に対して1対1の守備やカバーリングで奮闘。
試合終盤には左サイドからオーバーラップして攻撃参加も見せ、ユーティリティ性の高さとタフさを証明してみせた。

「SBをやり始めたばかり」とは到底思えない吸収の速さ。
しかし本人は、どこまでも慎重だ。

「クロスも狙ったところに飛ばないし、まだまだ何の知識もなく、サイドハーフで一緒に組ませてもらう(松崎)快くんや(中原)輝くんにいろいろ教えてもらいながら、ほんとに言われるがままにやっている感じ」

それでも、試合を重ねるごとに少しずつ自信は芽生えていく。

「とくにポジショニングは試合を重ねていくにつれて、すごく良くなってると思っています。
攻撃に出るタイミングも慣れてきたというか、少しずつわかってきたかなと感じてます」

「新しい挑戦が楽しくなってきたか」と問われれば、こう返す。

「いや、まだそこまでは来てないです。精一杯です(笑)」

無我夢中で走り続ける時間。

「楽しい」を感じる余裕すらないほど、“サイドバック・高木践”は目の前のプレーに集中し、走り続けている。

途中出場からの一撃――「交代選手が勢いをつける」という意識

2025年9月、京都サンガF.C.との一戦。
首位を相手に、清水はなかなかシュートまで持ち込めない時間が続いていた。

そこで後半途中から投入されたのが、高木践。
彼はこのとき、自分に課していたものがあった。

「あまりシュートを打てていなかった試合展開だったので、自分が入った時にはしっかりと攻撃参加するということを意識していた」

右サイドの深い位置を突く動きは、普段から練習してきた形だ。
しかし、うまくいかないことも多かったという。

「あまり練習で上手くいったことはなかった。
でも初めてアシストでクロスが狙ってたところに行って、その質も慎也君が『完璧』って言ってくれた。
すごく嬉しかった」

ボールを受けるタイミング、相手との駆け引き。

「相手の守備が自分のことを見てないなって思った。
ジェラ君に入った瞬間に動き出せば来るかなって思って、動き出したらすごくいいボールが来た。
あれはジェラ君に感謝したい」

深い位置まで走り込んだ高木の足から放たれたクロスは、矢島慎也の足元へ吸い込まれる。
チームを首位撃破へ導く決勝アシスト。

その裏には、交代選手としての強い自覚があった。

「交代選手がチームに勢いをつけるっていうのはすごく意識してやっている。
自分もスタメンで出れない分、途中出場で結果を残したいという気持ちで毎回入っている」

スタメンであろうが途中出場であろうが、「役割」を理解し、その中で結果を残す。
それは、ベンチスタートに葛藤を抱える多くの選手にとって、ひとつの在り方を示しているようにも見える。

「自分がサッカーをやっている意味」――家族、友人、スタンドの声

プロ入り後、高木は初めて親元を離れて静岡で暮らしている。
「自立できるか不安だった」と語るように、ピッチ外でも新しい挑戦が続いた。

趣味は韓国ドラマ鑑賞。
特に『ペントハウス』がお気に入りで、オフの日は自宅でテレビやYouTubeを見ながらゆったり過ごす。
チーム内でも「ナマケモノタイプ」と自称するほど、どこか力の抜けた雰囲気をまとっている。

スパイクにも強いこだわりはなく、破れるまで履き続けたり、他の選手から譲られたサイズ違いのスパイクでプレーしたこともある。

そんなおっとりとした青年が、なぜここまでサッカーに情熱を注ぎ続けているのか。
プロ1年目を終えた頃、その答えの一端が言葉になった。

「去年プロとして1年過ごして、自分がサッカーをやっている意味って何だろう?と考えた時に、友達や家族、親戚に見てもらえること。
たくさん応援してもらえるような存在になるために自分は頑張ってるんだなと思いました」

アイスタジアム日本平のスタンドとの距離は近い。

右サイドバックとしてタッチライン際を上下動するようになって、その声はよりはっきりと聞こえるようになった。

「サイドバックになって、アイスタはスタンドとの距離が近くて観客の声が本当によく聞こえるなと感じたので、聞こえてくる声が全部良い言葉になるように、攻撃面でも守備面でもしっかりと活躍できるサイドバックになりたいです」

幼い頃から、家族と一緒に釣りに出かけることが多かった。
高校卒業時には「漁師になろうか」と本気で考えたこともある。

もしその道を選んでいたら、「J1の右サイドを駆け上がる70番」は生まれていなかったかもしれない。

育成年代の選手や親御さんにとって、この事実はどう映るだろうか。
「プロになること」だけが正解ではない。
ただひとつ言えるのは、彼は「サッカーを続ける選択」をしたからこそ、今スタンドから届く声を自分の力に変えられているということだ。

「ナマケモノタイプ」が見せる、知られざるタフさ

高校時代は阪南大学高校でプレーし、そのまま阪南大学へ進学。
大学ではセンターバックとして関西選抜、全日本大学選抜に選ばれるなど、「順調」という言葉がよく似合う経歴だ。

しかし、その内側には、想像以上にタフなメンタルと自己分析の深さがある。

  • 身長という「事実」から逃げず、自分の伸びしろを考える
  • スタメンでなくても、途中出場に自分なりの価値を見出す
  • 「分からない」と認め、先輩に頭を下げて学び続ける

表情はおっとりしていて、オフは韓ドラを見ながらのんびり過ごす「ナマケモノタイプ」。
だがピッチに立てば、90分間サイドを上下動し続け、3バックの一角でも果敢にカバーリングを繰り返す。

そのギャップは、数字では見えない「プロの強さ」を象徴しているように思える。

あなたは、どこで戦うかを選べているだろうか

FCおきつから始まったサッカー人生は、SC大阪エルマーノを経て、阪南大高、阪南大へ。
そして清水エスパルスのオレンジのユニフォームをまとい、J2での初ゴール、A契約締結、そしてJ1の舞台での躍動と、確かに階段を上ってきた。

センターバックからサイドバックへ。
「小柄なCB」が「右サイドの70番」へと姿を変えた背景には、自分の現実を正面から見つめ、「どこで戦うべきか」を選び取る覚悟があった。

育成年代の選手たちは、今どんな思いでプレーしているだろうか。

  • 今のポジションは「得意だから」なのか
  • それとも、「将来の自分」を思い描いたうえで選んでいるのか
  • 「分からないこと」「悩んでいること」を、誰かに打ち明けられているか

指導者や親御さんは、選手がそうした問いに向き合う時間を、どれだけ一緒に過ごせているだろうか。

「言われるうちが華やと思ってるんで」と、素直に課題と向き合う23歳。
「まだサイドバックを楽しめてはいない」と笑いながら、ピッチの中では懸命に上下動を続ける70番。

高木践のサッカー人生は、派手な見出しよりも、こうした「静かな決断」と「地道な積み重ね」の連続でできている。

J1のスタジアムで、右サイドのタッチライン際を駆け上がる背番号70を見つけたとき、その一歩一歩の裏側にある迷いと選択に、少しだけ思いを馳せてみたくなる。

LANGL SCOUTING & SUPPORT PROGRAM

評価 :5/5。