奥村仁「おくじん」が歩んできた、遠回りのトップ下ロード
アルビレックス新潟の背番号30、奥村仁。
トップ下でゴールを決め、残留争いの只中にいるチームの希望として名前が挙がるようになった24歳のMFは、いわゆる「エリートコース」とは少し違う道を歩んできた選手だと言えるかもしれない。
セレッソ大阪のアカデミー出身でありながら、トップ昇格は果たせず、選んだのは「関西福祉大学」という、全国的にはまだ名の知られていない大学。
そこで、創部間もないサッカー部の「J1初内定選手」となり、アルビレックス新潟でプロキャリアをスタートさせる。
そして今、J1残留が危ぶまれる苦しい状況のなか、奥村は本来の「トップ下」に戻り、新潟を救うために走り続けている。
高槻からセレッソ大阪へ──「ライン間で受ける子ども」の原点
大阪府高槻市。
高槻市立土室小学校に通っていた少年は、「塚原サンクラブ」という街クラブでサッカーを始めた。
後輩には、同じくプロとなった小山史乃観がいる。
小学生の頃からボールタッチの柔らかさとスピードを生かし、相手の間でボールを受けるのが上手かったという。
そうした特性は、その後のポジション選択にも色濃く影響していく。
中学では、セレッソ大阪U-15に加入。
高槻市立阿武山中学校に通いながら、関西を代表する育成組織で腕を磨いた。
2014年には高円宮杯U-15サッカーリーグ関西・サンライズリーグを制し、2015年には高円宮杯全日本U-15サッカー選手権大会優勝。
全国タイトルを経験するなかで、「強豪の当たり前」を知っていく。
高校年代は興國高校に通いながら、セレッソ大阪U-18へ。
アカデミー時代から主戦場はトップ下。
ゴールとアシストに絡みながらも、目立つのはドリブルの派手さよりも、「ライン間で顔を出す」「背後に飛び出す」動き出しの質だった。
後になって、本人がこう語るようになる。
自分のプレーができれば、いい結果がついてくる。
ライン間で受けて、スピードは負けないのでそこにこだわりたい。
中学、高校時代に、毎日のように繰り返してきたプレー選択。
それは、2025年のJ1の舞台でも、そのまま彼の「武器」となっている。
トップ昇格ではなく、関西福祉大学へ──「遠回り」の決断
セレッソ大阪のアカデミーからトップ昇格。
それは、多くのユース選手にとって「最短の夢」だ。
だが、現実にはごく一部の選手にしか門戸は開かれない。
奥村も例外ではなく、ユースからのトップ昇格は叶わなかった。
そこで彼が選んだのが、2020年、関西福祉大学への進学だった。
創部からまだ6年目というフレッシュなサッカー部。
名門大学でもなく、J内定者を次々出しているようなチームでもない。
だからこそ、この選択に、指導者や親御さんは学ぶものがあるのではないだろうか。
「名のある大学」かどうかではなく、自分が4年間かけて伸びられる場所かどうか。
自分を必要としてくれる指導者と、どれだけ本気でサッカーに向き合えるか。
そうした視点で進路を選んだ選手が、J1までたどり着いている。
関西福祉大に入部した奥村は、チームの攻撃の中心として、4年間を過ごす。
創部間もないチームは、当然ながら全国大会常連ではない。
「勝てない時期」を何度も経験した。
しかし、その「勝てない経験」は、のちにJ1残留争いのなかで、彼の言葉となって表れる。
勝ちきるには勢いある選手が出てこないと難しい。
それに自分がなれればいい。
大学サッカーでも、苦しい時期には「誰がチームを前に進めるのか」がいつも問われていた。
その問いに、何度も自分なりの答えを出してきたからこそ、「自分が勢いをつくる側になる」という言葉が、プロになっても口をついて出てくる。
創部初のJ1内定──「関西福祉大からアルビレックス新潟へ」の重み
2023年9月。
アルビレックス新潟のスカウト、本間勲の目に留まり、2024シーズンからの加入が内定する。
関西福祉大学サッカー部にとって、J1クラブへの内定は創部以来初。
実績の少ないチームからJ1に届く選手が出たことの意味は、小さくない。
それは、ともに汗を流してきたチームメイトだけでなく、指導者、そして高校や街クラブの後輩たちの「道しるべ」となる。
Jリーグを夢見る育成年代の選手にとっても、示唆的な出来事ではないだろうか。
有名校や強豪だけがJへの扉ではない。
自分の武器を磨き続ければ、スカウトは大学の規模ではなく、「プレーそのもの」を見てくれる。
アルビレックス新潟での1年目──左サイドハーフとしての挑戦
2024年、アルビレックス新潟に加入。
開幕から与えられたポジションは、大学時代まで慣れ親しんだトップ下ではなく「左サイドハーフ」だった。
プロ1年目、J1という最高峰の舞台。
そこでいきなり本職とは違うポジションを任されることに、不安がなかったと言えば嘘になるだろう。
それでも、奥村は持ち前のスピードと運動量を生かし、左サイドから推進力を生み出す役割に順応していく。
2024年4月3日、J1第6節ジュビロ磐田戦でJリーグ初出場。
5月15日、横浜F・マリノス戦でJ初先発、そしてJ初ゴール。
新潟加入初年度に、リーグ戦16試合出場1得点、カップ戦・天皇杯を含めると22試合3得点という数字を残した。
数字だけを見れば、派手な成績ではないかもしれない。
しかし、プロ1年目から「主力として計算される」存在になることの難しさを知る指導者であれば、この数字が持つ意味の大きさは理解できるはずだ。
プロ2年目、最下位のチームで「トップ下」に戻る
2025年シーズン、新潟は厳しい戦いを強いられている。
第32節を終えて4勝9分19敗、最下位。
クラブ歴代ワースト3位の13試合勝ちなしという重苦しい状況にある。
そんななか、第32節ガンバ大阪戦で、奥村は今季初めて「トップ下」で先発に名を連ねた。
結果は2-4の敗戦。
だが、チームの2得点目、後半4分のゴールを決めたのは奥村だった。
右サイドの長谷川元希がドリブルでエリア内に侵入し、中央へ横パス。
そこへ確信を持って走り込み、冷静にネットを揺らした。
戦術分析の記事は、この場面についてこう記している。
長谷川はG大阪のDF陣が戻り切って準備する前にパスを出している。
そして奥村は確信を持ってゴール前に走り込んでいる。
こうした攻撃のやり方が、新潟の強みであり、他チームにとっては脅威になっている。
C大阪アカデミー時代から「ライン間で受け、背後へ走る」ことを磨き続けてきたトップ下。
そのポジションに久々に戻った試合で、彼はこう語っている。
背後も取りやすいし、ニアゾーンも取れていた。
楽しかったし、自分らしいプレーができていた。
トップ下で勝負したい。
チームは負け、順位は最下位のまま。
それでも、個人として自分の強みを出せた手応えを、奥村ははっきりと口にした。
数字だけを見れば「敗戦の中の1ゴール」かもしれない。
だが、苦しむチームの中で、自分がチームを救う存在になれるかどうかを確かめるステップとして、この試合は特別な意味を持っていたように思える。
攻撃の「強み」と守備の「弱さ」──それでも必要な、前を向く選手
G大阪戦の分析記事は、新潟の守備面の課題にも厳しく言及している。
サイドバックのスピード不足、センターバックの連携ミス、1対1の弱さ。
監督交代を「唯一の打開策」とまで書かれるほど、守備の問題は深刻だ。
その一方で、攻撃に関しては、トレーニングで落とし込まれたパターンがあり、相手にとって脅威となるシーンを作れているとも指摘されている。
奥村のゴールも、その「強み」の一部として紹介されていた。
興味深いのは、同じ試合のなかで、奥村のプレーにも「改善すべき点」が具体的に挙げられていることだ。
スローインの場面で、2対3の数的不利な状況に対してプレスに参加できていなかったのではないか。
「スローターも人数に入れれば3対3だったのに、そう認識できていなかったように見える」と。
プロ2年目の攻撃的MFが、トップ下で輝きを放ちながらも、守備の認知や判断ではまだ課題を抱えている。
それは、今まさに成長過程の選手であることの証でもある。
育成年代の選手や指導者にとって、この試合の評価は一つのリアルな教材になりうるだろう。
- 攻撃面では、得意な形を「型」として持てていること
- 守備面では、ポジショニングや数的状況の認知に綻びがあること
- それでもなお、チームにとって必要な「勢い」をもたらせる選手であり続けようとしていること
完璧な選手などいない。
プロですら、光と影を同時に抱えてプレーしている。
その事実を、G大阪戦の奥村の90分は雄弁に物語っている。
「勢いある選手」に自分がなる──残留争いで問われるメンタリティ
J2降格の危機が迫るなかで、奥村は繰り返し「自分のプレー」「自分が点を取ること」に言及している。
自分のプレーができれば、いい結果がついてくる。
自分が点を決めればチームのためになる。比例させていければいい。
勝ちきるには勢いある選手が出てこないと難しい。それに自分がなれればいい。
チームスポーツである以上、「自分だけ」が良くても勝てない。
それでも、誰かが自分事としてチームの状況を引き受けなければ、流れは変わらない。
負けが続くチームにおいて、すべてを「戦術や監督のせい」にすることは簡単だ。
だが、奥村はそうしない。
もちろん、守備には構造的な問題があるのかもしれない。
選手個々の能力差や補強の事情もあるだろう。
それでも、彼はこう言う。
残り6試合、楽しかったし、自分らしいプレーができていた。
トップ下で勝負したい。
苦しい時期に「楽しい」と口にできる選手は、どれだけいるだろうか。
それは、負けても笑っているという意味ではない。
最下位であっても、降格がちらついていても、サポーターが250人も平日の練習場に足を運んでくれる。
彼は、その一人ひとりにサインを書き、写真撮影に応じ、「ありがたい」と素直に言葉を発する。
スタジアムの空気が重くなるときこそ、プレーで前を向く。
それが、奥村なりの「勢いある選手」の定義なのかもしれない。
人間・奥村仁の「素顔」が示すもの
プロフィールを見ていくと、奥村の「素顔」が垣間見える。
- 阪神タイガースの試合を見るのが趣味
- 好きなアーティストはVaundy、よく聴く曲は「カーニバル」
- 好きなTV番組は「アメトーーク」や「水曜日のダウンタウン」
- 好きなマンガは「HUNTER×HUNTER」
- 今季のプライベートな目標は「モチモチ肌になること」
- 彼氏・夫として理想的だと思う選手に、宮本英治の名前を挙げる
- サッカー以外の特技は「すぐに寝れること」
ピッチ上では、ライン間で鋭くボールを受け、背後へ飛び出す24歳のトップ下。
ピッチ外では、プロ野球を見て一喜一憂し、Vaundyを聴き、肌ケアを目標に掲げる青年でもある。
「背番号へのこだわりは、メッシが好きだから」。
そんな一言にも、サッカー少年のままの感性が宿る。
育成年代の選手たちは、プロサッカー選手を「特別な存在」として捉えがちだ。
だが、実際には、彼らもまた等身大の若者であり、悩み、笑い、趣味を楽しみながら生きている。
ただ一つ違うのは、90分間のプレーに、その人生のほとんどを賭けているということだ。
「遠回り」の価値を、どう捉えるか
塚原サンクラブからセレッソ大阪U-15、U-18。
トップ昇格は叶わず、関西福祉大学へ。
創部6年目の無名に近い大学から、アルビレックス新潟にJ1初内定。
プロ1年目は左サイドハーフとして、2年目は最下位チームのトップ下として、攻撃の推進力となる。
このキャリアを「遠回り」と呼ぶかどうかは、人それぞれだろう。
直接トップチームに上がれなかったこと。
名門大学ではなかったこと。
J1でいきなり降格争いに巻き込まれていること。
しかし、その一つひとつの経験が、今の奥村仁という選手の「芯」を作っている。
勝てない時期を大学で知ったからこそ、最下位でも下を向かない言葉を発せる。
目立たない大学からJ1に届いたからこそ、自分の武器を信じて磨き続けることの価値を、身をもって示せる。
Jリーグを目指す高校生や大学生、あるいはその親御さんは、「最短距離」だけが正解ではないことを、奥村の歩みからどう感じるだろうか。
指導者にとってもまた、「肩書き」ではなく「プレーそのもの」を見抜いたスカウト本間勲の視点や、創部間もない大学でもJ1に送り出せることを証明した関西福祉大の取り組みは、大きなヒントを含んでいる。
新潟のサポーターと、「おくじん」を待つ未来
2025年10月。
新潟は13試合勝利なし、J2降格の危機。
それでも、平日の練習場には約250人ものサポーターが集まり、選手たちを見守る。
奥村は、30分間サインや写真に応じ、「状況も状況なのにありがたい」と語った。
サポーターの前で、トップ下として自分の強みを出し、ゴールを決める。
だが、守備ではまだ課題もある。
チームは勝てていない。
それでも、彼は走り続ける。
「トップ下で勝負したい」。
「自分が点を決めればチームのためになる」。
「勢いある選手に、自分がなれればいい」。
阪神タイガースを応援し、Vaundyを聴き、「モチモチ肌になりたい」と笑う24歳の青年が、J1の舞台で、新潟の街で、どんな物語をこれから紡いでいくのか。
その続きを見届けることは、日本サッカーに関わるすべての人にとって、「遠回りの価値」をもう一度問い直す時間になるのかもしれない。






