鹿島の「未来の守護神」から清水で甦る――沖悠哉が示すGKの残酷さと再出発のリアル

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沖悠哉 ― 「常勝クラブのゴールマウス」から、再出発の守護神へ

1999年8月22日、茨城県鹿嶋市生まれ。

生まれ育った街には、日本を代表する「常勝軍団」鹿島アントラーズがあった。

鹿島アントラーズジュニアから、ジュニアユース、ユース、そしてトップチームへ。

沖悠哉のサッカー人生は、「地元クラブでGKとして育ち、そのままトップへ上がる」という、多くの育成年代の選手が憧れる道そのものだった。

しかし、その道は決して順風満帆な成功物語ではない。

期待、飛躍、失望、葛藤。

そして、再び這い上がる日々。

その一つひとつを並べると、GKというポジションの残酷さと、同時に奥深さが浮かび上がってくる。

鹿島アントラーズで育った「未来の守護神」

鹿嶋市で生まれ、鹿島アントラーズのアカデミーで育った沖悠哉。

鹿島アントラーズジュニアからジュニアユース、ユースと段階を踏み、2014年には日本クラブユースサッカー選手権(U-15)でMVPを獲得。

「年代別代表」の常連でもあった。

  • U-15日本代表
  • U-16日本代表
  • U-17日本代表
  • U-18日本代表
  • U-19日本代表
  • U-23日本代表候補、U-24日本代表

選ばれ続ける側の選手。

育成年代においてそれは、確かな「才能の証」だ。

2018年、アントラーズユースからトップチームに昇格。

クラブはその年、AFCチャンピオンズリーグを制覇する。

鹿島アントラーズのゴールマウスには、長年クラブを支えた曽ヶ端準、そして韓国代表GKクォン・スンテというビッグネームたち。

その背中を見ながら、出場機会に恵まれない時間が続いた。

2018年、2019年のリーグ戦出場は「0」。

だが、GKにとって下積みの数年は、珍しいことではない。

ここから、彼の「飛躍の一年」が訪れる。

2020年、突然訪れたチャンスと「飛躍のシーズン」

2020年8月8日、J1第9節サガン鳥栖戦。

この日が、沖悠哉のJリーグ初出場となった。

相手は鳥栖の猛攻。

それを無失点で抑え、デビュー戦から堂々たるパフォーマンスを見せる。

そこから一気に評価を上げ、シーズン途中でクォン・スンテからポジションを奪取。

最終的にはリーグ戦24試合に出場し、「鹿島の正GK」としての地位を掴みかけた。

2021年も、もちろん開幕スタメン。

初戦は1-3で敗れたものの、続くルヴァンカップ第1節サガン鳥栖戦では、後半開始早々の豊田陽平のPKをストップ。

3-0の勝利を呼び込むビッグセーブを見せた。

勢いと反射神経、前に出ていくアグレッシブな守備範囲、そしてロングフィードの精度。

「新しい世代の日本人GK」として、目を引く要素が揃っていた。

スペインからの評価、「世界基準のGK」候補

2021年には、スペインのカルロス・G・ウルバーノ氏から「ペップ・グアルディオラ監督が提唱するより広いエリアをカバーする25歳以下のGK9名」に選出される。

プレーエリアを広く取り、ビルドアップにも関わり、最終ラインの背後もカバーする。

現代フットボールが求める、いわゆる「スイーパー的GK」の資質を高く評価された形だ。

日本国内からも、評価の声は届いていた。

2021年6月20日、J1リーグ第18節 鹿島アントラーズ対ベガルタ仙台戦。

ゴール前がスクランブル状態になったCKの守備で見せた、超反応のセービング。

「このシーンのようにスクランブル状態のゴール前でイレギュラーなコース変化が起きることもあります。自分のタイミングで守れないという点で、高度なスキルを求められるセービングです」
「反射神経や動物的な勘が求められ、ゴールの外にボールを弾く動作も簡単ではありません」
「試合経験を重ねて大きく伸びているタイミングだと思います」

そう語ったのは、元日本代表GKの楢崎正剛。

DAZNの「月間ベストセーブ」に選ばれたプレーだった。

さらに、日本代表GK権田修一も、YouTubeの「ONE1-GKチャンネル」でこんな言葉を残している。

「日本にもこういう選手が出てきたかと思った」
「沖選手がA代表に上がって来るまで、自分がA代表のゴールマウスを守り続けるというモチベーションを貰った」

楢崎、権田という、日本を代表してきたGKが名前を挙げる若手ゴールキーパー。

鹿島のゴールマウスを託された若さとポテンシャル。

2020〜2021年の沖悠哉は、まさに「日本を代表するGK候補」として、階段を駆け上がっているように見えた。

レギュラーから控えへ ― GKの「残酷なリアル」

だが、GKというポジションは、フィールドプレーヤー以上にシビアな世界でもある。

試合に出られるのは、常に一人。

調子、相性、チーム事情、指揮官の判断。

そのどれかが少し変わるだけで、立場は一気に揺らぐ。

2021シーズン、序盤はレギュラーとして試合に出続けた沖だったが、終盤には再びクォン・スンテにポジションを譲ることになる。

そして2022年、状況はさらに厳しくなった。

シーズン通してリーグ戦出場はわずか2試合。

終盤には、同じ鹿島ユース出身の若手GK・早川友基が台頭し、ポジション争いは一層激しくなった。

2023年に至っては、早川がリーグ戦全試合フル出場。

沖のリーグ戦出場は「0」。

カップ戦や天皇杯には出場したものの、「ゴールマウスに立つ感覚」から遠ざかる時間が続いた。

年代別代表には名前を連ねながら、東京五輪の最終メンバーからは落選。

「選ばれ続ける側」の人生が、初めて「選ばれない側」の現実を突きつけてくる。

育成年代の選手や、その親御さんは、ここで一度立ち止まって考えてみてほしい。

どれだけ順調にアカデミーを駆け上がっても。

どれだけ年代別代表に選ばれても。

プロの世界では、「試合に出られるかどうか」が、また別の厳しさで迫ってくる。

そしてGKというポジションは、特にそれが顕著だ。

清水エスパルスへの完全移籍 ― 新しい挑戦の決断

2023年12月27日。

鹿島アントラーズ一筋だった沖悠哉は、新たな道を選ぶ。

J2・清水エスパルスへの完全移籍。

そこには、日本代表GKでもある権田修一がいた。

「権田から学びたい」という思いもあっただろう。

しかし同時に、それは「またしても、日本代表クラスの正GKがいるクラブ」への挑戦でもある。

レギュラーを求めるのであれば、あえて選ばない選択肢もあったかもしれない。

それでも清水を選んだのは、自身の成長と、クラブの再浮上に貢献する未来を信じたからだろう。

移籍後、リーグ戦では長く控えに甘んじる。

出場はルヴァンカップや天皇杯が中心。

GKにとって、「いつ出番が来るか分からない」控えの立場でコンディションと集中力を保ち続けることは、簡単ではない。

だが、その時間は決して無駄にはならなかった。

2024年、つかんだ新天地での「無失点デビュー」

2024年10月27日、J2リーグ第36節・栃木SC戦。

ついに、沖悠哉は清水エスパルスでリーグ戦初スタメンの機会を掴む。

結果はクリーンシート。

無失点で試合を終え、チームのJ1昇格に大きく貢献する。

続く11月3日、J2第37節・いわきFC戦でもスタメン出場。

再び無失点に抑え、今度は「優勝」というタイトル獲得の瞬間を、ピッチの中から味わった。

鹿島では、ACL制覇というビッグタイトルを経験した。

清水では、自らゴールマウスに立ち、J2優勝と昇格という結果を手繰り寄せた。

控えの日々を経て、巡ってきたチャンスを確実にモノにする。

それは、かつて彼を評価した楢崎正剛が語った「試合経験を重ねて大きく伸びているタイミング」が、形を変えて再び訪れた瞬間だったのかもしれない。

カシマに帰ってきた「敵のGK」― ブーイングとエールの意味

2024年、もう一つ象徴的な試合があった。

清水エスパルスの守護神として、県立カシマサッカースタジアムのピッチに立った日だ。

鹿嶋市出身。

アントラーズアカデミー育ち。

2018年から2023年まで鹿島に所属し、「未来の守護神」と期待されたGKが、今度は「敵」として古巣に立ち向かう。

試合開始7分、鹿島のエース鈴木優磨が先制点を奪う。

チャヴリッチの鋭い突破とマイナスの折り返し。

中央で狙い澄ました鈴木のダイレクトシュート。

沖にとっては、相手のターレス・ブレーネルと味方DF住吉ジェラニレショーンがブラインドとなる、GKにとって非常に難しいシチュエーションだった。

それでも、試合後の彼の言葉は、悔しさに満ちていた。

「それでも反応したかった」

さらに、決めた相手が鈴木優磨だったことについて、こうも語っている。

「どの選手もキーになりますが、やはり優磨君は勢いをもたらせる選手なので、どれだけ厳しくいけるか、僕のところでやらせないことが大事だった。そういう面も考えれば、前半の開始早々に失点してしまったことは、もう少しチームとして反省しなければいけないと思います」

個人の悔しさと、チームとしての課題。

かつて同じユニフォームを着て戦った仲間を止められなかった痛み。

それでも後半は鹿島のペースに飲まれず、清水は主導権を握る時間を増やしていった。

結果は0-1の敗戦。

「あと一歩」が届かなかった試合。

それでも、沖の心には強い想いがあった。

「やはり良いスタジアム。プレーしていて楽しかったし、本当に勝ちたかった。清水が勝つことが鹿島サポーターへの恩返しだと思っているので、まだまだ隙があったり、足りないところがあったのだと思います」

「清水が勝つことが鹿島サポーターへの恩返し」。

この言葉を、どう受け止めるだろうか。

敵として戦うことも含めて、自分を育ててくれたクラブと向き合う。

勝負の世界に身を置くプロとしての覚悟と、鹿島アントラーズというクラブへの深いリスペクトが同居した言葉だと感じる。

試合中、スタンドの鹿島サポーターからは、愛情に満ちた盛大なブーイングが送られた。

そして試合後には、温かなエールも飛んだ。

「裏切り者」ではなく、「育てた選手が別のチームで戦っている」ことへの、サポーターなりの感情表現。

そこには、鹿島というクラブが長年積み重ねてきた「GK文化」への誇りと、沖悠哉という一人のGKへの期待が、確かに込められていた。

「A代表に来い」と言われたGKが、今どこに立っているのか

権田修一は、「沖がA代表に上がってくるまで、自分がゴールマウスを守り続ける」と話した。

楢崎正剛は、「もっと上を目指せる選手」と評した。

スペインのアナリストは、「ペップが求める広いエリアをカバーする若手GK9人」の一人に挙げた。

そのGKは今、J1復帰を果たした清水エスパルスで、権田修一とともにゴールマウスを争い、新たなキャリアの局面に立っている。

レギュラーとしてフルシーズンを戦っているわけではない。

順風満帆な「一直線の成功」とは言えないかもしれない。

だが、育成年代からプロの世界までを見渡したとき、その不器用さと紆余曲折こそが、リアルなサッカー人生なのではないだろうか。

ここで、育成年代の選手たちや指導者に、そっと問いかけてみたい。

  • 「将来の日本代表」と言われた選手が、控えに回る時間をどう過ごすのか。
  • 「勝負の世界で残るGK」と「途中で消えていくGK」の違いは、どこにあるのか。
  • 評価された才能と、現実の出場機会が噛み合わないとき、どんな決断を選ぶべきなのか。

沖悠哉のキャリアは、その問いに対する「一つの答え」を示しつつあるように見える。

鹿島でレギュラーを掴みかけ、再び控えになる。

東京五輪世代として名前を挙げられながら、本大会メンバーから落選する。

アカデミーから育ったクラブを離れ、清水という新しい環境へ移る。

日本代表GKの控えという立場で、長く出場機会を待つ。

そして、訪れた数試合のチャンスで無失点と昇格、優勝に貢献する。

その一つひとつが、「評価されること」と「選ばれること」の間にあるギャップを埋めていく過程だったのかもしれない。

GKというポジションが教えてくれるもの

GKは、ミスが最も目立ちやすいポジションだ。

交代も少ない。

スタメンか、ベンチか。

極端に言えば、立場が「白か黒か」で分かれてしまうポジションでもある。

だからこそ、日々の準備と、来るかどうか分からないチャンスに対する覚悟が問われる。

沖悠哉が、鹿島でも清水でも示しているのは、その「準備し続ける力」だ。

栃木戦、いわき戦で見せた無失点。

それは、単発の「当たり試合」ではない。

鹿島時代、クォン・スンテや曽ヶ端準の背中を見てきた時間。

東京五輪世代として呼ばれながら、本大会をスタンドから見つめることになった悔しさ。

清水で権田修一のプレーと日々の姿勢を間近で見ながら、自分の在り方を問い続けてきた日常。

そのすべてが積み重なって、あの数試合でのパフォーマンスに結実している。

育成年代のGKたちにとって、「いつかA代表に」「いつか海外に」という夢は、大切なモチベーションになる。

しかし同時に、週末の試合に出るかどうか。

チームの練習で、コーチに信頼されるかどうか。

その小さな積み重ねの中で、自分のキャリアは静かに形を変えていく。

沖悠哉のサッカー人生は、華やかな見出しだけでは語れない。

「月間ベストセーブ」や「25歳以下の注目GK9人」といった評価の裏側に、無数のベンチ、悔しさ、決断があった。

それでもなお、彼はゴールマウスに立ち続けている。

鹿島から清水へ。

J1からJ2、そして再びJ1へ。

その変化のすべてを飲み込んだうえで、次にどんなセービングを見せてくれるのか。

どんなマインドでチームを支えていくのか。

日本サッカーは、そしてGKを志す若い選手たちは、沖悠哉という一人のゴールキーパーのこれからを、静かに、しかし確かに見つめている。

LANGL SCOUTING & SUPPORT PROGRAM

評価 :5/5。